紅の唇

Fate/Grand Order
女主×カーミラ マスターの手を拒めないカーミラの話


 少女の血は、首の下より吸うのが一等甘美なことを知っている。

 さりとてそれを知ったのはカーミラという名を与えられてからだ。カーミラ。エリザベート=バートリー。どちらも我が真の名。無辜の民草に叫ばれ賜うた悪しき美称に纏わるおぞましき真実も憎むべき虚偽も、そのすべてを呑み込んだ罪深き怪物。それがこのわたし、バートリ=エルジェーベトだ。何がわたしのほんとうで何が演じた所作なのか。時折、自分でもわからなくなる。けれど暗殺者の仮面を纏い、少女の血を吸いながら浴びたところで変わることなど何もない。罪は永劫赦されない。カーミラであり続ける以上、わたしエルジェーベトは少女の血を求めずにはいられないのだから。

 上着を脱がせて開いた胸元に口づけるとき、息を呑む仕草だけはわたしの求める乙女らしいと思うのだった。體に自ら傷をつけるならこの唇からが一番手際がいい。高貴たる者、血税を搾り取る為の膳立ては惜しまないが反面無駄は一片たりとも許さない。舌が這った跡の湿る肌に歯を滑らせて肉を裂く。湧き出る血潮に混ざる魔力が衰えた膚の張りと艶を生き返らせ、粗さの目立つ肌理を次第に細かにしてゆく。少女から血を吸い上げるとき、こうしてわたしは己の美との対話に埋没する。この世界で最も美しいのは誰? そんな風にチェイテのお気に入りの鏡台に話しかけたときもあったかもしれない。あの物語の美の妄執に取り憑かれた女王は、わたしだったのだろうか。――だとすれば、マスター無邪気を名乗るこの小娘白雪姫の様子が気になってしまうのも詮無いことか。

 必要以上に――それこそ子犬のようにわたしを追い回す真意がわからないと、蛮勇を試すように条件として提げた吸血は今や恒常的に互いを繋ぐ儀式に成っていた。わたし、少女の血がないと生きていけないの。軽蔑する? 軽蔑してよ。軽蔑しなさい、ほら早く。だというのに「マスターがサーヴァントに血をあげるのは罪じゃない」なんて、誘導した方向とは全く違う反応を示した彼女に足下を崩されて後、そのままうっかりと――そう、うっかりと絆されている。こんな風に、たじろぐ主の肌から唇を離して彼女のそれに重ねてみるくらいには。

「あなたの血の味、わかって?」

 ふっくりとした唇を啄んだ隙間から血液と共にどちらのものともつかない唾液が混ざり合う。深入りする前に離すと少しまま如何にもなことを言って嗤ってみせると、指を這わせ血を拭いながら表現を探しあぐねたように少女は呟く。

「鉄かな」
「ま。情緒がないのね」

 期待はしていなかったものの、予想以上に味気ない感想に呆れるわたしに反して彼女は嬉しげだ。

「カーミラから触ってくれたの、初めてだよね」

 少女の述べた当たり前の事実に、思わず蹲りそうになる。

「そう、だったかしら」
「そうだよ」

 いとけない仕草で頷く彼女の両の手が伸ばされる。この子どもの掌はいつもあたたかい。人肌にあたためられることなど赦されないわたしが感じられる唯一のぬくもり。それに縋りたくなる気持ちが分度を越えぬようそっと瞼を閉じる。――急に頬を抓る感触に見舞われて目を見開くと、打って変わってむつかしい顔をしたマスターがわたしを見つめていた。

「なんです」
「え? いや何となく」

 額をつき合わせた少女の蜂蜜の瞳はわたしの異形の黄金とは違って実りの秋のように、或いは燃え盛る焔のようにかがよって、見るたびに気が触れそうな気持ちになる。これこそが人類の希望を託された一条の光。地下牢の暗闇に呑まれたわたしが浴びるには、とても似つかわしくない。

「……潤ったばかりの肌を傷つけないでくださる? 弛んでしまいます」
「これくらい大丈夫だよ」
「若さを失った女の膚は繊細なの」
「気にすることないって。……ほら、どこからどう見たっていつもの綺麗なカーミラだ」

 後ろめたさも何もない様子で破顔する少女の姿はちらりと横目でとらえるにすら眩しくて困る。綺麗。彼女の朗らかな声を反芻していると、よくも悪くも堪らない気持ちになる。わたしは美しいのだと、ついうっとりと歯の浮く形容に惹かれながらも同時に反駁心すら湧き上がって、何もかもが憎らしくなるのだ。老いさらばえ罪を背負い、悪に堕した惨めなわたしにこの子どもは何という言葉をかけるのだろう。

「ひどいことを言うのね、あなた」

 彼女の言が本心であると理解しながら、一つだけ素直な感想を舌に乗せるとそうなった。「誉めたのに」解せないと身を乗り出す少女をはぐらかすようにくすくす嗤う。

「わからないの? だとしたらもっと意地が悪いわ」
「わからないよ、だって」
「胸に手を当てて考えてご覧なさい。それでもわからなければそのうちあなたも嫌われてしまうわよ。わたしのようにね」

 蛇の舌より偽りを口にしていると、波打っていた心の漣も次第に平らかになっていく。本来は根性と言うべきなのだろう。もしくは諦めの悪さだ。そんな真実、くどいくらいに反芻していた。けれどわたしの矜持、――いや。吸血鬼カーミラとしての意地の悪さが、正直な声を囁くことを強く拒んでいた。

「そう? わたしは結構すきだけどな。カーミラのそういうとこ」

 無邪気にカーミラの悪を跳ね返す主に心ともなく嘆息すると共に、ゆるやかな絶望を得た。どうしたってわたしはあなたに触れられない。皮膚の下の純潔の血は吸いこそすれ、あなたという杯の中身をわたしの罪の血で穢すことはできないのだ。

 幾たびも、どうしてわたしがあなたに召喚されてしまったのか考える。生前さんざ痛めつけ殺し尽くした年頃の生娘に、数多ある使い魔の一人として使役されるこのひと時もまた運命の織り成す業なのだろう。それにつけ身に余る。正しい未来だけを見据え白を纏う彼女に、罪と汚辱の血にこごった黒衣のわたしは随分と不釣り合いなことだ。
 このまま彼女と共に在るなら、わたしは願ってしまう。せめてあなたに触れられることは赦されたい。少女の血を吸わねば生きていけない悪魔でありながら、その生贄の少女にあたためられて眠る弱さを、今この一瞬だけは見逃されたいと、心の下で浅ましく。

「なら、もっと触れてくださるのかしら」

 そうして静かに誘い水を向けた。唾と共にその水を呑み込む音がしてすぐ、荊も冠も取り払った體にぬくもりが伝わる。そのあたたかい光の中にわたしの暗闇のすべてを預けてしまった。紅の変じた黒に触れてなお雑じり気のない白色の光。ならばどうか。往く道の先の果てるまで、わたしを懐き続けてほしい。

 わたしは吸血鬼カーミラ。カーミラは少女を惑わす悪しき怪物。だから、あなたに罪はない。

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