地獄の門

Fate/Grand Order
女主×カーミラ 最終再臨ボイスの話


 體の隅の隅まで満ちてゆく魔力の蜜に身震いしながら瞼を開く。血を塗り込んでもいないのに潤う肌や髪。踊り子のように軽やかな両の手両の脚。あの脳髄を齧られるような頭痛だって、今では壮麗なオーケストラの調べとなって襟足を撫でつける。けれどその重奏の中から、パイプオルガンの音まで聴こえるのは流石に滑稽だ。美を求め、天への導きを喪い、挙句ロベリアの心臓を喰らって血肉と成したのだ。今さら讃美歌を耳にしたところで天の御使いは現れない。最後までわたしが暗闇から逃れられなかったように。
 オルガンを弾いているのはきっと、いつも通り目の前にいる凡庸な少女だ。勿論彼女にそんな教養はないだろう。それでも今このひと時だけでも福音が聴こえた気がしたのは、彼女の所為だ。――わたしが彼女に求めるものも、与えられるものも、救いではないのだけれど。

 感極まった様子でじっとこちらを見つめるマスターに「終わったわよ」と声をかけてやる。肩を震わせへらへらと破顔した彼女は、性懲りもなく堅い荊の巻きつくわたしへ手を伸ばすのだ。

「最後の再臨おめでとう!」

 霊基の段階を上げて、サーヴァントの性能をより効率よく引き出す。カルデア独自の魔術なのか何なのか、魔術師でないわたしは詳しく理解してはいないが、とにかく強くなったということはわかる。特にわたしは彼女が最初に召喚サークルを用いて喚び出したサーヴァントだ。彼女が目を輝かせているのも、初めてこの段階まで至ることができた喜びが全ての感情に勝っていると思えば当然のことかも知れない。

「とうとうこんなところまで来てしまったのね」
「少しは強くなれたかな、わたし」

 頭をかくたびに彼女の奔放な髪の毛先が跳ね馬のように活発に揺れる。まだ素人然としたところは否めないにしろ、既に二つ在った特異点の定礎を復元し終わったのだ。実質的には完成しているサーヴァントの性能ではなく、それを引き出す自分自身のマスターとしての価値を問う姿勢も――まあ、評価に値するだろう。

「……及第点かしら」
「ほんと?」
「勘違いしないことよ。決して満足と言ったわけではないわ」
「そっかあ。じゃあ一本いっとく?」

 わたしの言葉に俄然やる気を出したと言わんばかりに首元を指さして襟を緩めようとするマスターを、持っていた杖で軽く小突く。「あたぁ」と痛みを訴える彼女の声は差し迫ったものではない。寧ろどこか愉快げに聴こえるのは気のせいではないのだろう。氷のようにあしらっても通じないのは彼女自身が熱に湧いているからか。

「そういう意味じゃなくてよ。はしたない。どうしてそんなに嬉しそうなの、あなた」

 自分のことを敢えて棚上げして、問うた。絆されに絆されて、築いていた壁をあえなく崩された今でもやはりおかしな子どもだと思う。怖がらせ跳ね付ける意図で持ちかけたこの行為を二つ返事で受け容れた。それだけに留まらず、最近は彼女自ら吸血を申し出ることも多くなっている。――わからないのだ。いいえ、本当はわかっているけれど。その事実に咽び歓喜の声を上げたい気持ちすらあるけれど。それでも、わからない。そう思わなければ、わたしはカーミラ吸血鬼ではいられない。

「だって血吸われるの気持ちいいし」

 はしたない、という形容を毛ほども気にする様子もなくあけすけにマスターは人差し指を立てた。

「あなたねえ……」
「だって本当だもん。カーミラも欲しいでしょ」
「もちろんよ。わたしは怪物ですもの。でもあなたは……」

 人間でしょう。そう言いかけて口が滑ったことに気がつき言葉が止まる。あからさまに不機嫌な感情を表に出してやるが、失言をしっかと聴きとめた彼女はそれすら脇に投げ捨てて再びわたしの手を取った。

「わたし、カーミラのそういうとこが好き」

 ほら、やっぱりわかってない。

 わたしの気も知らないで、と当てつけたい本能と、彼女のような正しいひとにわたしの心など知られたくない、と嗜める理性がぎちりぎちりと胸を締め付けて押し潰そうとする。そして最終的に溢れてくるのは諦めと、腹立ち紛れの当てこすりだ。

「ほんと、馬鹿みたい。こんな怪物をかまい倒して連れ回して――あなたまで地獄の門を開いたようなものなのに」

 不思議そうにこちらを見上げる彼女に矛盾した本音と嘘をぽつぽつと零す。最早会話ではなく独り言に近かった。だって、既にわたしは知ってしまっている。彼女はわたしで穢せないこと。そして願ってしまっている。だからこそ彼女に懐かれ続けたいこと。わたしはもう地獄の門をくぐった身であるというのに。

(この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ)

 生前、頁を何度もめくった書物に書かれていた一節が頭の奥のオーケストラと共に繰り返される。いつのまにかわたしがあの物語の門を過っていたことも、煉獄ですらない地獄で永遠の責め苦に苛まれるべき悪魔だということも、闇に凍えて死ぬまでわからなかった。そう、わたしは悪魔だ。英霊には相応しくない罪と汚辱に塗れた吸血鬼にもう懐ける願いなどありはしない。
 それでも彼女は門を敲いて、開いた。連れ出せるわけがないのに、どこへ行っても無間の闇が拡がるだけの地獄へ手を伸ばした。

「ううん。地獄だとは思わない」

 だから、そのあたたかさには抗えない。

「カーミラはわたしのサーヴァントだ。だから最後までついて来てほしい。一緒に未来を守ってほしい。その先にあるのは地獄じゃない」

 緩まった眦がきりりと上がり、真摯な面持ちがわたしを正面から射抜く。魔眼でもないのに、特別に誂われたような瞳だと思う。彼女の眼にこうして自分が映っているのをみとめるたびに、咽喉も胸もひとりでに締まるのだ。あなたは鏡だ。あなたに見出したもの全てがわたしの身に跳ね返ってくる。彼女のような子どもを殺した罪業と、それを知ってなおわたしをみとめる彼女の柔さを、わたしは同時に捌けない。――流されてしまう。

「わたしが言えるのはそれだけなんだけど、それじゃだめかな」
「……それは」

 だめじゃないけど、だめなのに。

「契約には従う、けれど」

 麦畑の黄金に吸い込まれて、一瞬だけカーミラ吸血鬼の虚飾が剥がされる。精いっぱいの矜持で踏みとどまって、それから口に出せたのはその一言だけだった。

「よかった。じゃあ、まだまだ一緒にがんばろう」

 わたしのあてつけに落ち込んだ様子も特に見せず、ぴんしゃんしているマスターに今は呆れすら湧き上がらない。この少女はわたしのくぐった門すら希望の天の扉に変えようとする。――そう見えるだけで、実際彼女にはそんな力もなければつもりもないと、わかってはいるけれど。わたしが往く道はいずれ地獄へ通ずる。カルデアよりそのまま導かれるわけではないにしろ、罪はわたしの過去であり未来であり、現在だ。だからあなたでも変えられない。いや、あなただからこそ変えられない。あなたはいずれ正しい未来へ。そしてわたしは魂の牢獄へ。灯りのない暗闇の座へと戻るだけ。
 それでもこの身が枯れ果てるまで、あなたを愛したい。

――ふん。枯れ果てるまで愛してあげてもいいわよ」

 願いは程なくして嘘にすり替わる。だけどこれもまたわたしの吸血鬼カーミラとしての真実だろう。「ほんと?」と嬉しげに絡めた指に熱を籠める彼女の掌を持ち上げて一つ口づけを落とす。

「このわたしをこき使おうと言うのですからね。それはもうたっぷりと血税を搾り尽くしてさしあげてよ」
「死ぬのは流石に嫌だなあ」
「もちろん簡単には殺してあげないわ」

 そう、殺すものですか。あの作家が物語った、手中の灯火に満足して死んだ少女のように、今生わたしはあなたの白色の光を頼りに在り続ける。消してなるものか。わたしの唯一のよすがである彼女を。

「なら、これからもよろしく」

 つられてふと緩んだ口もとが締まらない。けれど、この一瞬だけはそれでもかまわない。頬と背中に伸ばされた手に髪の毛が絡まる鬱陶しさすら愛おしい。少しだけ体重を預けると鼻腔に拡がる陽だまりのにおい。體に巻きつくのは荊ではなくあなたの腕だと信じ、再び瞼を下ろす。オーケストラは終わらない。パイプオルガンの音も止みそうにない。

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