砂糖で鉄は錆びるのか

 夢の中でいつも出会うニンゲンがいる。

 それは子ブタのようにちっぽけで、アタシに飼われなければ生きていけないようなオトコだったり、時には子リスのようにみじめで、アタシが愛さなければ死んでしまうようなオンナだったりするけれど、どちらも魂の形はおんなじ。そんな夢だ。彼の、彼女の手を掴もうとするところでいつも目が醒めてしまう。
 でも、本当はこれでいいのだと思う。アタシの夢は、いつまでも完璧に美しくあり続けること。お茶の間を騒がす派手なスキャンダルには胸が騒ぐけれど――あんな庶民に心を奪われるだなんて、アタシの目指すアイドルという職業には似つかわしくない過ちだ。ああ、アイドルって本当に素敵! 皆にちやほやされるのがお仕事だなんてアタシにぴったりだと思わない? 召喚当時、そう訊ねられたマスターは、困ったように笑ったけれど。あんな人のいい笑みを向けられたのは、きっと夢以外では生まれて初めてだ。昔のことを朧げにしか思い出せずとも、それだけははっきりとわかる。

 ああ痛い、また頭が痛い。頭なんていつでも痛いけれど、昔のことを思い出そうとするとより一層痛みが増す。大人になった後のことなんて覚えていない。死ぬ間際、閉じ込められた暗闇だけは鮮やかだけれど、それ以前の記憶はすっぽり抜け落ちている。まるで思い出してはいけないのだと、もう一人のアタシが閉じ込めているみたい。
 ……でも、もう一人の【アタシ】はそんな優しいことをするかしら?

「エリザ?」

 頭痛による耳鳴りを越えて、マスターの声がふと届く。瞬きの後、目に映ったのは不安げにこちらへ視線を向けるマスター。その後ろでマシュやダ・ヴィンチ達もこちらを窺っている。

「何でもないわ。ちょっとクラっときただけ」
「……ほんと?」
「ええ。信じて、マスター。アタシは今日、あなたの力を借りて新たなるステージへ上がるんだから」

 アタシ史上最高級にスイートな微笑みを浮かべてあげると、マスターはマスターで何か吹っ切れたように「うん」と首を縦に振る。……本当に、アタシは大丈夫。大人になっちゃうかも知れない、なんてどうしようもない恐怖はほんの少しあるけれど。それでもアタシは決めた。彼女は言った。アタシは、アイドルなのだ。その夢を懐いたことは絶対に嘘なんかじゃない。

「それじゃあ始めようか」

 ダ・ヴィンチの一声の後、マスターが工房にセットされた素材へと魔力を籠める。再臨のため、アタシに捧げられた供物たち。それらは少女の鮮血でも豚共の悲鳴でもないけれど――いいえ、だからこそやっとアタシは穢れなき白へと手を伸ばせる。

 アタシはカーミラにはならない。……そう願うことは既に無意味だ。罪を犯した記憶がないだけで、バートリ=エルジェーベトの罪が消えることは未来永劫在り得ない。どんなに救われたいと願っても、天国の門を鎖されたアタシが救われることはない。そんなことは初めからわかっている。わかっているから、初めから救いなんて求めていない。

 それでも――アタシが十四歳の、罪を犯す前の姿のエリザベート=バートリ―なのだというのなら。完璧な貴族であれと願われ、皆からその美しさを貴ばれたアタシであるならば、そう在らなければ気が済まないだけ。完璧である為に完璧な偶像であるアイドルを目指す。それはサーヴァントとして召喚されたアタシにとって必然の選択だった。

 七色に輝く眩い光に包まれて、アタシはつい目を瞑る。霊核である心臓が早鐘を打つ。体の組成すら作り替えられているような熱が頭のてっぺんから爪先まで駆け巡る。魔力がアタシの体に掛けられた留め金を外していくものだから、思わず声にならない悲鳴を上げそうになる。

 そうして、光が弱まった後。恐々とアタシは瞼を開く。――辺りの様子は何も変わらない、いつものダ・ヴィンチの魔術工房だ。けれどマスター達は皆一様ににわかに目を瞠り、こちらを注視している。

 やっぱり、失敗しちゃったのかしら。アタシの夢は、所詮夢でしかなかったのかしら。あんなに強く願ったのに。マスターだって一緒に信じてくれたのに。アタシが見出した理想は、所詮紛い物でしかなかったのかしら。
 しかし、咄嗟に俯いた時に目に飛び込んできたのはキュートなピンクとサックスのドレープのスカート。ドットやストライプ、レースがふんだんに用いられた、まさに夢見心地のデザインだ。

「エリザ――すっごい! すっごい可愛いよ!」

 しんとした工房の静けさを破ったのはマスターだった。近くのマシュに相槌を求め、彼女もまた圧倒された様子で頷いている。ダ・ヴィンチは何やら意味深に微笑んでいるけれど、何も口にしようとはしない。

「え? え……? 何、どうなったの、アタシ」
「あ――そっか、ちょっと来て! 鏡で見てみて!」

 紅潮した頬のマスターはアタシの手を迷わず取り、近くにあった鏡へ引き寄せる。ぐいと引っ張られた反動でこけそうになったけれど、指摘している余裕はなかった。彼女の言うまま鏡の中を覗き込む。

 ――そこにいたのは。相も変わらず十四歳の、赤髪に空色の瞳をした【エリザベート=バートリー】だった。

 いいえ、相変わらずだなんて謙遜はアタシには似合わない。訂正しよう。そこにいたのは――世界中の誰もが羨むような美しい少女。肌ツヤは以前の三割増し。衣装はさっき自分で垣間見た通りの豪奢な、アイドルの卒コン衣装ばりに派手なワンピース。竜の尻尾は健在だけれど、角はワンピースに合わせて愛らしいシルクハットへ姿を変えている。そして――そのシルクハットに載っていたのは、子ブタと子リスのぬいぐるみだった。

「……ねえ、マスター」
「んー?」

 アタシなんかより余程嬉しそうにアタシを見下ろしているマスターの顔を直視できない。……わかっている。鏡に映った顔は隠せないから、どんなにそっぽを向いたところで彼女には全部見通されているだろう。

「アタシ、こんなに幸福でいいのかしら」

 フリルが皺になるのもお構いなしにスカートを引っ掴む。そうでもしないと抑えきれない。こんな幸福には耐えられない。

「こんなにたくさんの贈り物を頂いて……」

 サーヴァントは生前に縛られる。アタシは貴族として、美しくあれと望まれた少女として生きなければ気が済まない。だからアイドルになることにした。けれどそれは決して贖罪ではない。だってバートリ=エルジェーベトの罪は贖えない罪なのだ。
 だから今、自分が――ただの【エリザベート=バートリー】として幸福であることに慄いた。そんな道はアタシには許されていない。だからアタシは救われない女の子なんだって、思っていたのに。

「だってアイドルは幸せを振りまくのが仕事でしょ」

 けれど、マスターは躊躇いなくそう言い切ってしまう。

「幸せじゃなきゃ、幸せは振りまけないよ。エリザはエリザのままでいい」

 彼女の言葉はアタシの血だらけの手を躊躇いなく包み込んでいく。
 ああ――そうだ、アナタの言う通り。罪は消えない。でも、同じようにアタシがここにいる事実だって消えない。マスターがアタシを信じてくれたことも。信じてくれたからこの姿になれたことも、この帽子を被っていられるということも。そんなちっぽけな事実と奇蹟みたいな現実は嘘じゃない。なら――開き直るしかない。誇るしかない。この幸せを、歌に乗せるしかない。

「……ああ、もう! ありがとうマスター……!」

 思わず抱きついた先の彼女の身体は何てあたたかいんだろう。そのぬくもりに、もう一人のアタシも抗えなかったのかしら。――そのことにだけは同意してあげる。
 アタシはサーヴァント界きってのアイドル、エリザベート=バートリ―。今生ばかりは、アナタの為にこの命を燃やして歌い続けよう。

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