宝の在処

 ステップを昇るとすぐに、まばらに空いた席の中から一番後ろの、誰も座っていない場所を彼が選んだ。席に辿り着くとすぐにエンジン音が響き、まだスカートの裾を整えていて座っていなかった私は危うくバランスを崩したけれど、「阿呆」とすぐに彼が手を掴んでくれたおかげで何事も起こりはしなかった。
 床は尻餅をついても怪我のしようがないくらいに柔らかい素材で敷き詰められていたから、本当は放っておいてくれても問題はない。それでも手を延べてくれた彼に笑むのをやめられないまま、私は座席に腰を下ろす。
 窓の外の景色が段々と速度を増して動き離れていくのを、窓際に座った彼ごしに眺める。相変わらず彼に似つかわしい金ぴかな街だ。──と言うと叙情も何もないから、星の街とか、不夜城という表現を当てはめればよいのだろうか。永遠に闇を照らし出すのをやめないように思われる程、強い光の営み。純粋な金いろの中にちらちらと灯る螺鈿の色彩。こちらの世界に来てから飽きるほど目にした光景のはずなのに、私の心は未だにこの光へと惹きつけられてやまない。

 月の聖杯戦争のあと、人類の住処のはるか彼方、この光で構成された霊子虚構世界へ空間跳躍して暫くが経過した。不正データとして削除され、消える運命にあったはずの私の命を救い出し、ここまで連れ出してくれたのは紛れもなくサーヴァントであった彼──英雄王ギルガメッシュである。彼はその苛烈な輝きを持った紅の瞳で私を見下ろして笑った。曰く、「貴様はもっと生きる悦びを知るべきだ」と。
 彼はまだ足りないと笑う。私はまだ満たされていないのだと。けれど、何が満ちていないのか、それはどうやって満たされるのか。本当は、今の私には手に余る話だった。──だって、私はあなたと、ラニと、生きるために命を奪った彼らのことしか知らない。

 私は生きるために色んなものを奪ってきた。それは、聖杯戦争中に受け容れた事実だ。私は彼らの未来を代償に先へ進まなければいけない。そして、最後にその役目を正される、それが正しい運命なのだと。
 だがこうして私はここで生き永らえている。私をマスターとして、人間として認めてくれたギルガメッシュによって生かされている。それはとても喜ばしいことだ。貴様はまだ死ぬなと手を取ってくれた彼への思いは一言では表せない。
 ──その代わりに彼を彼たらしめる宝物を殆ど置いて来てしまった彼、への。

「またくだらぬことで眉間に皺を寄せているな」

 気が付くと、ギルガメッシュがぐいと身を寄せて私を見下ろしていた。反射的にデコピンを避けようと額に手を当て「そんなことない」と返すと、「あまり反応がわかりやすいのもつまらぬぞ」と鼻で笑われてしまった。

「ほ、ほんとだもん。外の景色が綺麗だったから」

 そう弁解すると、「よく見飽きぬことよ」と彼は愉快そうに腕を組む。そう言いながら、自分だって窓の外ばかり見つめていた癖に。

「財宝のごとき都市だ。人類とよく似た欲望と息遣いがそのまま光となり、空間を縦横無尽に駆け巡っている。戯れに遠回りの車に乗り付け街を一望しながら旅するこの試み、ハサンらしいがなかなか風情があるではないか」
「はいはいそうだね……」

 ハサンハサンと言うけれど、あなただって今はただのちょっと強い人じゃないか。カジノで大儲けしたおかげで、暫く生きていく分に困りはしないけれども。私は不思議な感触の座席をもちもちと手で弄びながら、通り過ぎていく街とすれ違っていく車を眺めた。図書室で得た地球の車の知識には全く当てはまらない、エキセントリックな形の車──車という言葉が当てはめられるかもよくわからないものばかりだ。それこそ宝具みたいに強そうなものさえ、私たちを通り過ぎて道の向こうへ見えなくなっていく。

「ギルは車持ってたの?」

 思わず自分で自分の心の痛い部分を掘り返すような質問をすると、彼はこちらに向き直って無論と即答する。

「この世の財の原典は全て我が宝物庫の内。どれもただの車と呼ぶには些か機能的に過ぎるものばかりよ」
「そっか……」
「む。やはり貴様、くだらぬ妄想で身悶えしているではないか」
「変な言い方やめて」
「どうせまた自分の価値でも問い直しているのだろう。──何が不満だ? 不満とは欲望が満たされぬが故巻き起こる感情。つまり貴様の愉悦への喜ばしい第一歩だ。つまびらかに奏上せよ」

 私の様子を面白がって、顔を寄せて問い質す彼に圧倒されつつ「だ、だって」と口ごもるが、魔眼のごとき赤の瞳を逸らすことは出来ない。ここで逸らしたら彼のマスターとして相応しくないと思ったからだ。だが、「どうなのだ」と逃げる間も与えず詰め寄る彼に、負い目のある私が勝てる筈もない。根負けして泡を吐き出すように私は尋ねる。

「ほんとに私……ギルの落として来た宝と釣り合いが取れてるかな」

 そうぽつりと漏らして、ちらとも彼の顔を正面に見返せずに膝元へ俯いた。

「ギルが私のために捨てた宝物、私が一生かけて返せる程のものじゃ全然ないし……私もギル以外の大切なものは全部置いて来たよ。でも、それなのに私……本当のことを言えば、ラニに会いたいって思ってる。……それは、不公平じゃないのかな」

 ほろほろと考えなしに思ったことを端から言葉にしていると、急に顎をくいと指で持ち上げられて息が止まる。呆れと愉快げな様子が入り混じった瞳で彼は私の言葉を遮り口を開く。

「つくづくハサン程度の発想しか出来ぬのだな貴様は。それでも我と共にあると誓った身か」
「え……」
「我を我たらしめるのはこの我自身だ。貴様如きが関与するところではない。貴様は見定めるのではなく見定められる者であろう。我が自ら裁定してやると言ったのだ。斯様なつまらぬ苦悩よりも、貴様がここに来て口にした初めての巨大な欲望に目を向けずにどうする。
 ラニと再会したい? ならば目指せば良いではないか。突破口が見つからぬことはなかろう。何せ1500光年を跳躍した我らなのだからな。この宝の都市を踏破してゆけば必ずそのような機会は再び巡って来る」

 ……ええと、つまり。私なりに翻訳すると、「宝を置いてきたことなんか気にするな。そんなことより今の自分の欲求を実現させるよう努力し、もっと我を愉しませろ。それが全ての代償である」と言いたいのか、ギルガメッシュは。
 そうして私の存在を再び全肯定した彼は、気が済んだのか足を組み直してにやりと笑った。私がどんな気持ちでいるかなんて、きっとまるわかりなのだろう。悦楽に満ちた目でこちらを見遣る彼に向けた私の表情は、いったいどんなものだったのか。うまい言葉が見つからず、喉から何とか声を絞り出す。

「……ギルは何でもお見通しだね」
「今更何を言うか。理解出来たならば一層我を崇め賛美し、毎夜濃密な魔力を献上するのだな。……気が済んだなら体を休めておけ。息もつけぬ内に、再び貴様に厄災が降りかかる未来が訪れることだろうよ」

 そんな預言めいた嘯きはやめてほしい、本当の未来を告げられている気分になる。あと毎晩そういうことするのはよくない。絶対私の体が持たなくなるから。などと、呟こうにも呟けずに「ありがと」とだけ口にすると、少しぞんざいに肩に腕が回される。相変わらず彼は窓の外の黄金のその先を見据えていて、逆光になった彼の後ろ姿は尊い生命の焰を灯しているように見えた。
 そのまま少しだけ体を彼に預けると、あたたかな彼の体温が私にふわりと流れ出る。それがただのよく出来た電脳世界のエフェクトに過ぎないとしても──月の海原で生まれた私には、これが全てなのだと思う。ただの0と1で構成されたデータに過ぎない身で人間賛歌を謳い、知り得るものは彼と、はるかの星に残してきた友人のみ。だけど──だからこそ私は、この背中をいつまでも追っていけばいいんだよね。私を認めてくれるあなたを。黄金の光、生命の星に手を伸ばしていけば。

 彼の手が、ふと私の肩の形をなぞるのを感じながら眼を閉じた。私たちの目的地はまだ先だ。

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