二つ火

 蒼穹に輝くは太陽に非ず、況してや月にも非ず。煌々と、而して静かに輝く星々の紡ぐ彩雲がごとき極光オーロラ。その衣の裾を撫でるようにして野山の街道を歩み続ける、とある男と少女がふたり。

 二人の様子は対極的だ。金髪を下ろし、苛烈な気性を思わせる瞳を持つ男は何食わぬ足取りで前を向いている。しかし彼に比するとこれといって特筆することのない凡庸な少女は、そろそろ疲労を隠せない様子だ。然りとて意地を張る力はまだ残っているのか、彼に遅れを取らぬよう一歩一歩地を踏みしめていく少女に視線を送らぬまま、男は自然と彼女の歩幅に合わせながら道の先へ進んでいく。

 男の名はギルガメッシュ。彼等が今在る霊子虚構世界より1500光年離れた蒼き星にて英雄王と畏れられた、人類史において最も古き英雄譚の主人公。そして少女の名は岸波白野。ムーンセルに造られしNPCであり、彼が掬い上げねば月の海に泡と消える運命だった、ただの人間誰でもない誰かである。

「そろそろ休むぞ」

 平坦な道のりを歩み続けていたギルガメッシュの脚が唐突に止まる。それまで自分の歩みに精一杯だった白野が「え」と慌てて立ち止まって見上げると、彼はふむと何やら思案しつつ周りの野原を品定めするように見回している。

「でも、まだ次の街に辿り着いてないのに」
「先の村落を出発してより三刻と四半刻。貰い受けた旧式タンデムバイクが故障してより二刻。貴様の体力もそろそろ枯渇し始めているだろう」
「うっ……」

 鋭い指摘に返す言葉もなく顔を引き攣らせる白野を見て、ギルガメッシュは数時間ぶりにふっと頬を緩めた。息切れしているわけではないものの疲労が溜まり、普段に比べあまり芯の感じられない態勢でいる彼女を嗤いながらも貶めるでなく、親しみの籠る眼差しで見下ろしている。

「幾らこの星に昼夜の概念がないとはいえ、人間とは朝目覚め、昼働き、夜休むもの。人間としての生を歩み始めたばかりの貴様がそれを疎かにしてどうする」

 そんなギルガメッシュからの視線がくすぐったくなったか、白野は一瞬だけ目を逸らしながらも再び呼吸を整えて彼の言葉に頷く。

「そう……ね。うん、確かにギルの言う通り。でも休むって、まさか」
「無論、野宿よ」

 焦る白野を横目にはっはっはと高笑いを上げるギルガメッシュの胸に去来していたのは遠き日への旧懐であった。何しろこうして野ざらしで眠るなど四千年ぶりのことだ。それもサーヴァントとして契約者と共に聖杯戦争を勝ち抜くため、などという無粋無骨な理由ではなく、一人の凡庸な人間の生に付き合うためだけに。己が生者であった頃、不老不死の霊草を求め旅をした日々を追体験するかのような彼の心持ちを知らぬまま、白野は目を瞬かせて息をつく。

「ちょっと意外。ギルの方から野宿を提案するなんて」
「鳥頭め、我自ら語り聞かせてやった逸話を忘れたか? 霊草を捜しあらゆる地を巡り、遂には冥界まで下った我だぞ。僅かでも想像を廻らせれば我が野営に長けていることなど推し量れようものを」
「……それはわかってる。でも、ギルのペースで歩いていれば次の街に辿り着いてたでしょう。それはちょっと、申し訳ないから」

 そう呟いて瞼を伏せる少女をみとめた途端、ギルガメッシュはすかさず禍々しい目つきで「ほほーう? 貴様言ったな?」とニタニタ口角を上げる。その悪鬼じみた彼の様相によって失言だったと思い当たった白野だが、ギルガメッシュは彼女のもの言いたげな唇を顎ごと掴んで塞いでしまう。白野は「ふがっ」と間抜けな声を上げた後ばたつきつつぽかすかと彼の胸を叩くが大して効果はみられない。暫く彼女をそのまま好きにさせて眺めた後、ギルガメッシュは掴んでいた掌を離す。「ギル、ひどい」唇を尖らせつつじとりと己を睨み見上げている彼女に彼ははははと一笑した後、口を開いた。

「たわけ。何度も言わせるな。これは我の旅ではない、我等の旅だ」
「我等、の……」
「そうだ。故に我だけが物語の先を見たところで何の意味も価値も成さぬ」

 悪辣な微笑みを浮かべておきながら、ギルガメッシュの言葉尻が存外柔かったことにほっとしつつ、白野は手持無沙汰な掌を握ったり開いたりを繰り返す。その稚い額に軽い指はね、もといデコピンを喰らわせた後、彼は街道を外れひらひらと手を振る。

「精々力尽きぬ程度に足掻け。言ったであろう。我の愉しみは貴様の行く末だと」
「……うん!」

 その手の意味が「ついて来い」だということを既に白野は知っている。白野が疑いなく己に我が身を預けることも、ギルガメッシュは知っている。──斯くして。ギルガメッシュと岸波白野の、初めての野宿の夜が始まったのだった。

✦ ✦ ✦

「用意がよすギル……」

 ギルガメッシュが見繕った木陰で野宿の準備を始めた二人──だったが、準備は白野が手伝わずとも彼が手際よく済ませてしまった。いつの間に蔵にしまっておいたのか、テントも寝袋も飯盒もある。

「初めに降り立った黄金都市でこの手の旅支度は済ませておいたからな。当然だ」
「ギルの慧眼、というか千里眼に感謝だね」
「たわけ、この程度千里眼でなくとも旅慣れている者であれば見当がつくわ。貴様も今の内から慣れておけ。これからどのような都市に向かっても生きることを迷わぬように。手始めには、そうさな……」

 テントの組み立てを終えて──一応、これは白野も手を添える程度の手伝いはした──進む雑談に、二人共心持ちが上向いている。特に白野は野宿の準備が新鮮だったか、先程の疲労を忘れてギルガメッシュの行動に目の光をきらきらと瞬かせていた。

「ギルガメッシュ直伝のサバイバル技術ってやつ?」
「当世風に言えばな」

 白野の稚い表情にふふんと鼻を鳴らし、ギルガメッシュは立ち枯れた草木を手折りくるりと器用に回す。その途上で何やら思いついたのか、彼は彼女に枝を手渡し、火を起こそうとしている場所へと座り込んだ。

「言うまでもなく、簡便に火を起こす為の道具も蔵には収めてあるがな。またとない機会だ。今夜は手で火を起こすぞ」
「わかった。この枝……茎? を板の上でくるくる回すんだよね」
「それくらいは心得ているか。だがそれだけで貴様の軟弱な手では火は点かん。何事もコツがいるのだ。ま、そもそもまともな魔術師であればその辺りの工程などすっ飛ばしてハッキングで点火できようが」
「ヘッポコデスミマセンデシタ」

 準備片手間に白野を揶揄うことも忘れぬギルガメッシュだが、取り出した小刀を扱う手つきに無駄はない。へっぽこであることは疑いようもない事実なので言い返せないまま、白野がくるくると堅く真っ直ぐな茎を掌で転がしていると、彼は先程までいじくっていた木の細長い板を地面に置く。板の上部には彼がナイフで削ったらしき皿状の痕が見えた。

「貴様の持つ茎をこの上できりもみする。手本を見せるのでよく見ておけ」

 そう言って、既に用意されていたスペアの茎でギルガメッシュはきりもみ用の板を踏み、茎を手の摩擦によって回転させ始める。その姿を好奇心半分、真剣半分で白野はじっと観察した。結論、とてもすごい。不必要な力を一切かけていないのだと一目でわかる。茎の効率的な揉み方や板への体重のかけ方は何だか堂に入っている。彼が男性で筋力が高く、旅慣れていること、生前似たような火起こしだって幾度となく行っているということを差し引いても、だ。

 いつの間にか、ギルガメッシュの揉んでいた板から白い煙が立ち上っていた。「すごいね」と感嘆する白野に「次は貴様だ」と再び地面に細長い板を置く。白野はそのまま少しばかり緊張した面持ちで、ゆっくりときりもみを始めた。

「姿勢はそれでよいが、更に前のめりに下の板を意識してもよい。あとはもっと回転率を上げよ。その調子では朝になるぞ」
「えっと……こんな感じ?」
「どれ、こうだ」

 そうして必死に白野が板に摩擦している茎にギルガメッシュが手を添え、更に擦る。暫くすると少しずつ煙が立ち始め、白野は「おおー」と感嘆符を頭の上に点灯させる。

「よく見ておけ。程なくして削り粉からも煙が昇る」
「わかった、もう少しね!」

 白野は再び気合を入れ直すかのように深呼吸した後、ギルガメッシュに負けじと目の前の茎をぐりぐりときりもんだ。そうして、彼の言った通り板と茎の間に溜まった黒い削り滓からも白い煙が巻き始める。「よし、そのまま待っておけ」と口にした後mギルガメッシュは足下に置いておいた何かの塊をごそごそと手に取り拾い上げる。

「枯葉と雑草……」
火口ほくちという。今できた火種をこれに移し、より燃えやすくしてからそこの枝に点火するのだ。そら、持て」
「手に持つの?」
「そうだ。恐れずともよい。急に燃え盛り手を火傷する、などということはない」

 戸惑いつつ言う通りに茎を地面に置き、白野が差し出した掌の上へギルガメッシュは火口を被せる。二人で屈みこみ、白く煙を上げ続けている火種を絶やさぬよう囲む。「行くぞ」と彼女に目配せし、彼はその火種を彼女の掌の上にそっと乗せた。そのまま彼の大きな掌が、火口を持つ彼女の掌を包む。戯れに視線を向けると、白野は少しだけ頬を紅潮させながら何かを期待するように唇を開き、ギルガメッシュを見上げている。

 その表情は男勝りとはとても言えぬものの、女の浅ましさと評するにしてはあまりに未熟だ。さながら、ケーキをお腹いっぱい食べた後に贈り物を期待する子どものような。「急くなよ」とギルガメッシュは白野を牽制しつつ、彼女の掌を導くように軽く掴んで火口を揉む。そのまま息を吹きかけてやると、細々と立っていた煙がもくもくと勢いづいて広がり始めた。

「外から圧をかけ、空気を送り込むことで火種を育てる。白野、貴様も疾く息を吹き込め」
「やってみる」

 彼に言われた通り、白野もまた慎重に火口に向かって息を吐く。すると、彼女に呼応するかのようにごくごく僅かだった枯葉の焦げ付きが明るく燈った。

「わあ……」

 火と呼ぶにはあまりに微かだった掌の上の明かり。それがギルガメッシュの後押しと自分の吹き込んだ息によって、確かな焔として育っている。目をぱちくりと瞬かせながら手中の命を眺めている白野の顔を覗き込んでいる内に、ギルガメッシュの頬の筋肉もまた柔くほどけていく。

「頃合いだ。その命、この薪に示せ」

 そうして添えていた掌を離そうとするも、白野が軽く首を横に振ったことにギルガメッシュは少々目を瞠る。「何だ」と訊ねた彼をまっすぐ見返して、彼女は喜色を隠し切れぬ様子で唇を綻ばせた。

「ギルも一緒に」
「──」
「これは我等の旅、なんでしょう」

 そうしてにっと目を細めて笑う白野に、ほんの一瞬だけ言葉を失った。

 ──ああ、これでいい。

 そう心から感じたまま、下ろした瞼の裏にこれまで白野と歩んだ未だ短き道程が次々と浮かんでは消える。月の海の底で完結する筈だった少女の結末を書き換えて、善しとした未来へ導いた。だが──少女の全てを知ったが故に導いているわけではない。岸波白野にんげんの秘めた未知の可能性を肯い見届ける為に、我はそのか弱き手を取ったのだ。──であれば。繋いだ手より、思わぬ方へ牽かれることもあろう。

「勢い余って吹き飛ばすなよ」

 そう言ってギルガメッシュは白野の手を包み込み、目配せする。彼女も頷いて、手中で勢いづき始めた火口を足下に集めた枝葉へ移す。二人の手から離れた火は集まった枯葉に燃え移り、次第にぱちぱちと産声を上げ始めた。

「生まれたんだね」

 嬉しげに下がった眦、アーモンドのような彼女の瞳には、目の前の未だ小さき焔が映っている。強くも激しくもない、遠方の誰かを標星のように導くこともない、朝になれば消えてしまうだけの焚火だ。けれども、それもまた確かな命である。

 人間は、これでいい。これが人間として生きて死んだギルガメッシュの見た光。そして、魂なき人形から人間の命としてこの世界に生まれ落ちたばかりの、岸波白野の魂の輝きだった。

「……ふ。では夕飯の準備だ。その辺りに口にできそうな茸が生えておったが、今日はこれを主食とするか」
「いや、どう見ても毒キノコですが」
「この我の見立てを疑うとはな。これはどう見ても美味珍味の類だぞ。まあ、食べた後暫く笑いが止まらなくなるやも知れぬが」
「そりゃあギルガメッシュは食べてもあんまり普段と変わらないけども」

 他愛もない会話を交わしつつ、ギルガメッシュと白野は二人以外誰もいない野山の街道の傍らで笑い、呆れ、小突き合う。その足下で、生まれたばかりの焔が揺れている。時間は静かに、ゆっくりと流れていた。そもそも彼等の降り立った星に朝と夜はない。無論、次に向かう星のネットワークには何があるかわからない。けれど今はただ思うままに生き、思うままに眠ればよい。二人の旅は、まだまだ始まったばかりなのだから。

 眩い星の大海へ、片道切符だけ掴んで飛び出した男と少女が謳うはこの世界で最も新しい御伽噺の続き。その結末を識る者は、どこにもいない。

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