朝焼け

 足の裏にはり付く砂の感触を心地よく思った。すぐにでも命を奪っていきそうなくらい容赦なく陽射しは照りつけている。けれどその乾いた厳しさは、ある意味懐かしさすらもよおす程に全身を打ち震わせる。──否、今私の身体はないに等しく、ただ視覚だけがこの世界と関わる唯一の手段だった。彼の語り聞かせてくれた言葉から思い描いた想像と同じ光景。蛇に盗まれた不老不死の霊薬。自らの描いた物語の呆気ない顛末にひたすらに声高く笑った、彼。
 彼は笑っていた。熱気に揺らぎ明滅する光のように、彼の感覚が流れ込んでくる。しとどに濡れた髪から滴り落ちる雫も払わずに、彼は自らの胸の内の鼓動に酔いしれていた。眩しさに満たされた自分と、過ぎ去った悦びと、得た答えへの万感の思いに身を唸らせながら。

 彼は、笑っていたのだ。

 瞼の裏が明るくなったのを感じてゆるゆると目を開く。朝の陽光が窓から部屋を光で染め上げているのだろう、未だ覚醒しきらない意識で目の前の広い胸板をしばらく眺めた。夢を見ていたんだな、と先ほどまでこの身にあった感覚を反芻する。
 夢、というか彼──ギルガメッシュの生前の記憶へと迷い込んでしまったのだろう。月にいた時もこんな風に彼の過去を視ることはあった。けれどあのとき月の裏側で語り聞かせてくれた、彼の生まれ変わりの瞬間を垣間見るのは初めてだった。記録映像と言い表すには余りにも鮮烈すぎる夢。彼の沸き立つ血が、傍観者でしかない私にまで流れ込んでくるような。
 ギルガメッシュはまだ眸を閉じたまま、私と向かい合うかたちで横になっている。彼の膚の下にもきっと存在しているだろう鼓動を直に感じたくなって、そっとその胸に手を当ててみた。その動作で、自分も彼と同じく何も着ないまま蒲団に包まっていたことを思い出す。急に自分の身の心細さを感じた私は、寝返りを打ったせいで少し離れてしまっていた分、更に彼の方へと距離を詰めた。
 はじめは肌を晒したまま眠るだなんて心もとない、というか恥ずかしいと思っていたのだけれど。己の身体つきの貧相さは何度見ても悲しいものの、彼の腕の中にいる時はそんな瑣事は気にならない。それほど彼の傍はあたたかく、優しくて、気持ちがいい。

「目覚めたか」

 このままもう一眠りしてもいいよね、と瞼を閉じかけた瞬間、彼の声が急に耳に響いて肩が跳ねた。慌ててぱちぱちと瞬きすると少し見上げた先には朝の光に煌く金の髪とルビーの眸が二つ、私のとぼけた起き抜けの顔をばっちりと映し出している。

「び、びっくりした」
「貴様が起きて我が起きぬ道理はなかろう」

 そう言って片肘をついた彼は少し乱れた前髪をかきあげ、私を見下ろす。考えてみれば当たり前のことなのかも知れないが、声をかけるタイミングは見計らってほしいものだ。おはよう、と間抜けな声音が舌先を滑っていく。

「……」
「我に問うべきものでも見たか」

 何となくそのまま目を逸らせずに、ギルガメッシュの端正な顔立ちを眺めているとそんな言葉が降ってきた。
 言いたいこと。そんなこと、言わなくても何となく察しているのだろうに。隠し事のできない未熟な私の言わんとすることは大方彼に見透かされている。葛藤も悩みも、その末に得た結論も、ギルガメッシュは何一つ見逃そうとしてくれない。こうしてわざわざ私の口から語らせたがるのは物好きな彼の趣味の一つだ。だからちょくちょくこちらの予想を上回るほどに笑われたり怒られたりするのだろう、けれど。
 ──何より驚くべきことは、そんな〝展望するモノ〟である彼にとって視認できるかできないかくらい小さな存在の私を、彼は気にかけて、拾って、受け容れてくれているという現実だ。月を飛び出して後、彼と言葉を交わすたびによくそんなことを考える。だってその事実だけで、空虚でしかなかった私の意味はこうして満たされているのだから。

「ギルが冥界から戻ってきたときの夢を見たよ」

 自然と背筋が伸びるのを感じながらありのままを告げると、意外そうな顔をした彼は「我ながら随分と気の緩んだことよ」と、明後日の方向に視線を逸らして独りごちた。彼は月を出てから更に、こうして可愛げのある表情を見せてくれるようになった気がする。

「あの時のあなたに少しだけ近づけた気がした」

 ギルガメッシュの緩んだ表情に釣られて心に浮かんだ言葉をそのまま口にすると、彼はその顔を見るからに曇らせながら私の顎をくいと掴んだ。あ、そっか、こういうこと言ったら怒られるんだったっけ。気の抜けたまま彼の出方をじっと伺っていると、彼は軽く嘆息して不意に私の額を指で弾く。ちょっとだけ痛い。

「この期に及んで尚も貴様は己の尺度で我を測るか。幾度聞かせれば斯様な斟酌は無意味とわかる」
「うん。でも私があなたと対等と思ってくれるなら、少しはわかってほしいな。実際にギルが見た景色を見て、ギルが聞かせてくれた言葉以外に味わえたものがあった。……この実感を、私は近づくって言葉でしかあなたに伝えられない。他にうまい言い回しが思いつかないんだもの」

 こういうとき、いつももう少し私の口が達者であったならと思う。もどかしく悩ましい。それでもきっと彼なら受け容れてくれるだろうと信じて精一杯言葉を探す。

「ええと。私はね、あなたがあなただったってことを実感できるのが、何よりも嬉しいの」

 そう口にした瞬間、自分でも「ああ、本当に嬉しかったんだ」と遅まきながらに実感して、思わず口元がほころんだ。締まらない唇が恥ずかしくなって掌を添えて喜びを噛み締めていると、すぐにその手首も取り払われて更に近くに抱き寄せられる。
 押し付けられた胸板の奥にはきっと、心の臓が彼の鼓動を刻んでいる。あたたかくて血の巡った、まるで本当の肉を持った人間のような彼の身体。そして私の身体もまた同じく彼をなぞるように出来ている。ここでその電子で造られた身体に価値はあるか、自分が何者かの移し身であるかなんて問いは意味を持たない。だって私は私だし、彼は彼なのだ。そして私が知っていることは、この世界で走り抜けてきた経験だけ。それをただの星屑のかき集めとして笑うことは誰にも出来ないし、させられない。あなたがここまで私を連れてきてくれた意味はあると信じていたいし、それを真実にしたいと心の底から思っているのだから。
 ああ、そんなこと、本当は初めからわかっていたのに。

「……言うべきことはそれだけか。察せよ。そも未だ心得ておらなんだか」
「えっと……ううん、知ってたけど今気がついた」

 自分でもちょっと馬鹿にされそうな気がしながら返すと、それ見たことかと言わんばかりに彼は私の髪で遊びながら軽口を叩く。

「度し難いほどのうつけめ。毎夜幾度となく交わり愛でてやっているというに、少しは頭でも考えよ。これでは幾らまぐわったところで意味がない」
「なっ、……恥ずかしい言い方はやめてよ。ギルだって気持ちよさそうにしてるんだからお互い様でしょ」
「眼前の悦楽を愉しまずして如何とする。我が求めるのはその先だ。まあ良い、それは今の貴様には得心いかぬ話よ。──だがな白野。我との繋がりなど、夢に見ずとも推して知るべきであろう」

 そうぼやく彼の声音は、まだ少し不機嫌そうな──というか、明らかに拗ねたような色を纏っていた。だけど私の言いたいことが伝わったかどうかは、もう逃げられないとばかりに抱き寄せる彼の腕の力が証明している。
 かつて森の化生と天の牡牛を打倒し、世の全てをおさめた腕。そしてその後己が末期に得られるはただ「無」なのだと、そう悟りを手にした腕。けれどその中には今、岸波白野という一人の人間が確かに存在している。孤高という在り方を選んだ彼が隣に置くに足るものを見つけた事実。そしてその隣に在ることを許されたのが他でもない自分であるということ。この喜びを、どうして尊ばずにいられるだろう。

「……わかってるよ。ねえ、ギルは私の夢を見たことあるの」
「さてな。貴様が我をいつも以上に愉しませることがあれば、我が手ずから教えてやろう」

 手ずからなんていう彼の放言に妙な不穏さを感じながらも、私は「じゃあ頑張るね」と腕には収まりきらない背中をめいっぱい抱きしめ返す。彼もまた指に絡ませていた私の髪をふわりと掬い上げ、そこに無造作に顔をうずめた。膚を通して合わさる二つの鼓動は、共鳴するように私たちの身体の隅にまで熱をめぐらせていく。

 私達は今、生きている。

 この実感を、照らす光が身体に焼き付けてくれるといい。私はもう忘れたりしない。いつか燃え尽きる時が来るまでずっと、眸にあなたという星を映し出しているから。重なる彼の唇の柔らかな感触を、そんな優しい気持ちで私は受け容れた。

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