歌舞伎町から自由へ道連れ - 1/6

 リニアモーターカーを降り立った私達の視界に飛び込んできたのは、駅の出口の先にある大きな壁のエフェクトだった。円形に繋ぎ合わされた水色の硝子にはめ込まれた鍵穴が、光に反射して輝いている。歩み出そうとしてはたと足が止まった理由は恐怖でも歓喜でもなく、ただその壁の造りに多大なる既視感を覚えたからだった。

「ギル。あれ」

 対象へ指をさしながら隣のギルガメッシュを見遣った。ほほう、と一声呟いて動かした眉の下のまなざしはあいも変わらず生き生きとしている。

「何とも見覚えのあるシールドではないか」

 そう言ってずんずんと壁へと近づいていく彼に数歩遅れて追いついた。反応を見る限り、彼はこの構造体に特段の危険性を見出してはいない。一方私はというと……思った以上に動揺しているらしい。シールド自体の大きさに圧倒されながら、その形に伴う回顧の念──実際はそこまで優しい感覚でもないのだが、そういったものが喉元までせり上がってきている。

 恐ろしいわけでは、全然ない。けれど、これは再会でもない。

「こんなところにもサクラ迷宮があるなんて」

 それでも、きっともう二度と会えない名前を祈るように紡いだ。瞬間、それが引き金になったように柔らかな声音が脳裏を過ぎる。

『──先輩』

「それはそれで心躍る展開だが、あり得ぬな。そも我の見立てではあの壁の密度は例のシールドに数段劣る。ただの空似というヤツだ」

 ──彼が言うなら本当にそうなのだろう。聞き及んでいた通りあれは別ネットワークへの通過ポイントに過ぎない。もう少し壁際へと近づいて、以前滞在していた街で手に入れた端末を取り出しシールドにかざす。コードを認識したそれは、強いエネルギーを宿して私たちを包み込んだ。何度かにわたった光の明滅はやはりあの迷宮の壁の壊れる瞬間とそっくり、で。
 手の甲の示す疼き。自分のものではないかのように軽やかに跳ねる私の体、センチネルの胸から出ずる紅玉を掴んだ瞬間の閃光。
 ああ硝子が、壁が割れるのだ、と錯覚しかけたその先に待っていたのはもちろん壁の崩壊ではない。寧ろ実際に齎された感覚は迷宮のチェックポイントでの転移に似ていた。そのようなこと、同じ霊子虚構世界での移動なのだから当然と言えば当然なのだけれど。

〈──転移完了。ようこそ、我等が星の街へ〉

 響くシステムボイスを他人事のように聴き流して躊躇いがちに瞼を開く。目の前にもうあの壁はなく、代わりにがやがやと色を主張するネオンのビル群が私の視界をすり抜けていく。けれど遠くの雑踏は私の月への回顧を途切れさせることはなく、寧ろ引き伸ばすように耳鳴りを起こしてスカートの裾を揺らしている。先ほどまで周遊していた街とはまた趣の違う、見るからに猥雑で、けれど噎せ返るような夢にも満ちた空間。それはもうどこもかしこもあの迷宮とは似てはいない筈なのに、何故だかあの、彼女たちの見ていた夢に似ている気がした。

「実にわかりやすい有象無象の欲の混沌よな。久々に我が秘蔵の夜の帝王スタイルを披露する時が来たと言ったところか。では思う存分目を皿にして品評に値する財を探し出そうぞ」

 家財すっからかんの癖に夜の帝王服はまだ持ってたんだ、というツッコミはやや面倒なのでしまっておく。それよりも今は目の前に広がる新世界に集中しよう。そう思いつつ、私はまだ記憶に纏わっている思い出を肩越しに見遣る。

 月を離れてどれほど経ったのだろう。多分そこまで長い時は流れていないのだけれど、何だか随分と遠くまで来た気がするのは、ここに来るまでに全てをあの場所に置いてきてしまったからだろうか。そうして彼に生かしてもらったことを何よりも嬉しく思いながら、地球に一人残してきたラニに会いたい、せめて言葉だけでも交わせたらという気持ちはまだ胸にわだかまっている。そんな割り切れない感情を抱くこと自体は肯定してもらえたものの、今はまだ具体的な地球への通信手段を見つけられたわけでもない。

 ラニ=Ⅷ。ホムンクルスという特殊な生まれではあったけれど、心を交わしていく内に彼女もまた一人の人間だと私は感じた。そもそも私だって元をただせば魂のないNPCだった。そんな彼女のことを私が否定することはできない。
 彼女は今も地球で生きているのだろうか。アトラス院がどんなところなのか私はよく知らないけれど、レオがいなくなってごたごたしているであろう西欧財閥との抗争に巻き込まれてはいないだろうか。もし、ラニが地上の【岸波白野】と会えていたならば──彼女が少しでもラニの支えになれていたらとささやかに願う。
 私が選ぶことが出来たのはラニの命だけ。選べなかった道は思い返しても尽きないくらいだ。凛を始めとした対戦者以外にも、私はもっと多くの未来を踏み潰してきたのだと思う。ジナコはそもそも私の手の届かないところにいた。エリザベートだって、あれで彼女の贖罪が済んだわけではない。そして何より桜や、彼女と同じ顔をしたあの三人のことは今思い返すだけで心が──それこそ強風にあおられて散る桜のように切ない。

 私を「先輩」と呼び、盲目に、或いは諦めるように私を思ってくれた彼女たち。アルターエゴと名乗る二人を倒し、BBを打ち負かし、最終的には桜のリセットという決断で私は命を救われた。表に戻ってギルガメッシュと再会したあと、全ての記憶と彼の言葉を抱えて彼女に会いに行った。けれど保健室にいたのは元通りの、ムーンセルのAI【間桐桜】だった。自分の存在の有り様を知ってしまった私には、規則どおりにしか動けない彼女を見ることが酷く辛かった。七回戦を終えてあのエレベーターに乗り込む前に会いに行ったけれど、きっと自分の思いなんて半分も伝わらなかったのだろう。そのまま今までずうっと記憶を胸の奥に埋めてしまっていた。

 彼女たちを受け容れることが出来なかったとしても、せめて優しくその心に触れたかった。彼女たちの心がああしてこの世に生まれたこと自体は、決して忌むべきことではなかったと思う。少なくとも心の秘密の全てを詳らかにして調伏する、あの強引なパニッシュという方法以外に手立てはなかったのだろうか。なかったからこそキアラが「致し方ない」と言ったのはわかっている。けれど全てが一応落着した今、自分が生まれた経緯を知った今、そして不意に心の壁の写身が立ち現れた今。私はもう一度

「サクラ」のことを思い出すべきなのではないか。

 ──私が彼女たちと同じ、月で生まれた少女だったのならば。

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