宿を取って一息ついたあと、私達は近くの歓楽街に繰り出した。宣言通り例の豹柄ジャケットを羽織った彼はこの街にひどく似つかわしい。反対に私は夜に溶け込むような制服のまま、彼の隣に並んでいると取り分け場違いさが際立つ。それでもこのネオンの眩しい街は私を締め出すこともなく、寧ろその最奥へ誘い込むような幻惑のにおいを漂わせている。夢のようなという第一印象はあながち間違っていなかったのだろう。色とりどりの放漫な看板に目を奪われている内に、そんな心の隙間を喰らい尽くされそうだ。
少しばかり浮ついた足取りで彼に手を引かれ辿り着いたのは、路地の一角の居酒屋だった。基本的に彼の直感で選んだものや店が外れることはない。無論SE.RA.PHと同様生命維持活動に必要なエネルギーは霊子で賄われているので、私達は食事を摂る必要がない。ないのだが、この宇宙を漫遊しながらそこかしこの珍味に手を出すギルガメッシュに影響された私は、日々の精神的満足を得るのに食事は不可欠だと思うようになっていた。健康で文化的な最低限度の生活という奴である。だからこそこのオリオン手前で生を営む霊子虚構世界のひとびと(便宜上ひとと呼ばせてもらおう。極めて人型に近い形をした生命体も、何とも形容しがたい様子の生命体も様々いるのだ)だって、こうした一角をわざわざ作り発展させているに違いない。この世界のひとびとは私達人間とは背負った時間も文化もまるで違っているけれど、どこか似通ったものも感じる。
通されたのは個室で、二人にしては少しひらけた大きさの部屋だった。どうやらこの店では手掴みでものを食べることを要求されているらしい。「手が汚れるではないか」と言いながら満更でもなさそうにあれこれ注文する彼の横顔が眩しい。ウルクの人々がどんな食事をしていたのかは知らないが、案外粗野なものも彼が愉しむのはやはり霊薬の為の長旅の経験故だろうか。美しいものしか愛でないと言いながら、彼の趣味はわかるようでわからない。……いや、こんな風に私に付き合ってくれている時点でそりゃあちょっとばかりはわかっているのだけれども。
「何だ頬紅でもさして。ふふん、この淫らな脂肉にでも欲情したか」
出された皿の上の肉(のようなもの)をぶら下げてにやにやとこちらを見遣るギルガメッシュ。あー、前言撤回。あなただってそのテンプレをやめよ。「冗談はいいから」と適当にあしらって取り皿の上の野菜(のようなもの)を咥える。
「では一体何を所望する。シールドに魂でも抜かれたか?」
瞬間ぞわり、と背が総毛立った。
久々に彼のそういう声を聴いた。いつのまにか野菜は口からこぼれ落ちていた。徐に顔を上げると、冷たくはないがあたたかくもないニュートラルな面持ちで、ギルガメッシュは私を見つめている。──ああ、これ、やらかした。いくらなんでも気を抜きすぎたらしい。冷たい汗が背中に流れる中、無意識に正座の姿勢をとっていた。
「──そんなことない」
喉からそう絞り出すと彼はその表情を至極つまらなさそうに崩して、また盛り合わせの皿へ手を伸ばし始める。
「まったくつまらぬぞマスター。いい加減王の面前で控えるべき振る舞いをわきまえよ。先程から何をふらふらと彷徨している」
再び聴いた声音にはまだ彼自身の優しさ、というかわざと作られた隙のようなものが感じられた。……大事な時にちゃんと「マスター」って呼んでくれるあなたの思考回路、わかるけどわからないし、身構えていないと怖いものは怖い。それでもこんなことでいちいち怯んでいては彼のマスター失格である。私は正座を崩せないまま、素直に反省の意を述べた。
「ごめん。確かに今日はぼんやりしてた」
「自覚があったのならば尚更糾弾せざるを得んぞ。またつまらぬ感傷に浸っていたのだろう」
更に不機嫌そうな声で彼は私を叱りつける。ううむ、彼にとっては面白くなかったんだろうな、さっきの私。似たようなやり取りは前にも何度か彼と交わしたことがある。月を飛び出して暫くは、何かの拍子に色んなことを思い出しては切なくなったりして、それを彼にたしなめられていた。最近は特にそういうこともなかった分、彼も彼で痺れを切らしたのだと思う。
「……SGを暴かれるって、どんな気持ちなんだろうね」
すかさず向けられる「何が言いたい?」と訴えるような彼の視線に促されて、わだかまりをそのまま告げた。
「あのシールドを見て、改めて五停心観って強引なシステムだったなって思ったの。特にBB、というかサクラたちは……今更だけど感情移入しちゃうんだ。私も元々はあの子たちと同じだったじゃない。生まれた心そのものがバグで正さなくちゃいけないものでも、それを私が否定するなんて、そんなの」
間違っていた、とはそれでも言えなかった。戦った七人に対して同じように言うことが出来ないのと同じだ。今の私は彼女たちが「なかったこと」になった事実の上で息をしている。誰かを損ねることでしか生きることを許されなくても、歩みを止めることだけは出来なかったのが岸波白野だ。だからせめて、彼女たちの存在を蔑ろにするような姿勢は取りたくなかった。
それきり言葉を呑み込んでしまったのを見かねてか、取り皿を空にしてやおら彼は口を開く。
「自らの秘め事は即ち弱さにもなり得ることは覚えていよう。その過ちから目を背けて存在しようとする矛盾も極まれば愛でるに値するが、突きつけられた本来の自分と自我の衝突で壊れるならばそれまでだ。その過程も含めて称賛してやれ。あのAI共については尚のこと。己と似た境遇に共鳴するのは勝手だが、自我を獲得した時点であやつ等にも矜持があるのだから」
「──私は、皆の矜持を汲み取れたと思う?」
「存外あれはあれで悦んでいたぞ。彼奴等は真実をひた隠しにしようとしながら、何よりも貴様に己の心を知って欲しいと叫んだ。その有様を少なくとも知ろうと努めたのだ。全て見据えたその後に己の道を突き通したとて筋は通っている。
加えて、BB──いや、桜の最優先事項は岸波白野の生命の保護だった。人類の欲望肯定などという余計な目的が設定されていた理由は貴様の知るべきことではない。今貴様がただ健やかに生きている現実が、彼奴らへの最上の手向けになろうよ」
声音は一転して夜のように静かに響く。彼の慰めはいつも遠まわしだ。まわりくどくて頭の中でいちいち翻訳しないと手に取るようにはわからない。……それでも確かにこちらを思ってくれていることが伝わってくるから、ずるい。普段は何かと馬鹿にされたりからかわれたりしているぶん、気のなさそうな素振りでかけられる言葉が清水のように心に染みわたっていく。
……これでいいのかな。都合のいい考えじゃないかな。彼が言うならそうなのだろうけれど……。彼の言葉を噛み締めながらも顔が晴れない私を彼は見過ごさない。
「王の言葉が信じられぬと?」
「う、いやそうじゃなくて……ごめん。すぐ卑屈になっちゃうね、私」
「ならばその鳥頭でも忘れぬよう心に留めておけ。少女の心は複雑怪奇だとな。ま、自らの秘密を暴かれたことのない貴様には理解し得ぬ境地かも知れんが」
最後の少しだけ軽い物言いに、言われてみればと気がついた。そうだ、一丁前に彼女たちへ共感しようとしながら肝心の、彼女たちの心の指向を私は理解していない。多分。わからないのにわかる、なんてそれこそ一番彼女たちに失礼な言動だった。ギルガメッシュもいつだったか、私にSGがあったらさぞ無味乾燥としているだろうなとか言っていたっけ。確かに私はああいう細かな心の作りをしていないと思う。
「そうだね。そういう複雑な気持ちはまだよくわからない。だから私にはSGがないのかな」
「何を言う。貴様に心があるならば必然SGもあるに決まっておるだろう」
「えっ」
何気なく返答したつもりが、予想外の切り返しにあって更に驚いてしまった。私にSGがあるだって? 説明を、と首を傾げると彼も彼で意外そうに眉を顰めている。……その反応はこっちのものだ。私にSGがあるだなんて、あなたが一番言いそうにない言葉じゃないのか。
「貴様にSGがあったらつまらなさそうだ、とか言ってなかったっけ」
「それは貴様が秘密を暴く側だった故だ。よもやそれにすら気がついていなかったのか。度し難い。わからぬなりにもあやつ等に何がしか共感を覚えた時点で貴様の中でも形になっているだろう」
我がマスターが見苦しくもその矮小な自意識を成長させているらしい様子に我は思わず感動したというに、これではまだまだ愉悦を知ったとはいえぬな、とか何とか続ける口調は面白そうなんだか面白くなさそうなんだかよくわからない。そういうデリカシーのない言い方には激しく抵抗を覚えるが……実際、そうなのだろうか。
SGは人の恥ずかしい一面をさらけ出すものとは限らない。私にお天道様に背くようなやましいところは一つもないが、彼が言うなら私にも感知し得ない隠された嗜好──眼鏡に対するフェティシズムは少しばかり感じたけれど、そこは関係ないだろう──はあるのかも知れない。ふむ、と一考してまた顔を上げると彼はすっかり一人で笑壷に入ってしまったらしく、噛み締めるようにこちらを窺っていた。……やっぱり面白がっているんじゃないか。彼への反感が私の中でノンストップである。
「でも私、隠し事は特にないよ」
内心憤慨しながらも返した言葉は嘘でも虚勢でも何でもない。だって本当にそうなのだ。彼に何か隠したところで全部お見通しなんだろうし、それでは隠す意味がない。
「我からしても貴様のそれは秘め事とはまるで言えぬわ。貴様のSGなどとうに手中におさめているも同然よ」
話の流れとも相まって人を小馬鹿にした物言いには腹が立ったが、実際彼は私よりも私のことをわかっているのだから文句はつけられない。しかし、そこまで言うなら私のSGが何なのか教えてくれるのが筋というものだろう。食事をすすめながら何となく私は尋ねる。
「ふうん。なら黙ってないで教えてよ」
「──本当に知りたいのか?」
そう言った彼の声音は特に変わってなどいないのに。組まれた彼の指が僅かに動いたのが、何故か気になった。
「え……聞いたらどうなるの」
野菜を咀嚼するのをやめて呑み込み、腹を落ち着かせ、重ねて彼に問う。至極何気ない様子で肉を皿に並べ終えたあと、彼は答えた。
「女でないものにはもう戻れぬぞ」
──私はずっと女だったじゃないか。
なのに彼の試すような言葉と瞳に射抜かれて、言葉が出なかった。そういうことじゃない、と本能が警告する。何か重大なことを私は知ろうとしているのだろうか?
元々、自分は月でも女扱いしてもらえないことが多かった。変に女の子として扱われてもどうしていいかわからないから、当時は特に問題はなかった。それでも自分の性別が男ではなく女であることは紛れもない事実である。だから彼が急にそう言い出した意味が、わかるようでよくわからない──
けれどそれで竦んでしまうほど、自分の興味は小さなものではなかった。このように、彼に馬鹿にされる程度には私は自分のことを自分でもまだわかっていない。だからこそ、これがわかればサクラたちへの割り切れない思いも少しはどこかに落ち着けることが出来るような気がした。それに、彼が自分のことをどんな風に言葉にするのか気にはなる。いつも言葉に出さなくてもわかっていてくれることが多い分、たまには彼の口から私について聞いてみたい気がする、という純粋な好奇心である。
「……知りたい」
天秤が好奇心の方へと傾いて、勢いで言葉にした一瞬、彼は獲物を捉えた獣みたいな顔をした。
「よい。では語ってやろう」
その表情と返答が、どうにも急な不安を私に沸き上がらせた。……これはまさか、彼との出会ったばかりの頃に見えた選択死というヤツだったのだろうか。……いや、ここまで生き抜いてきた自分を信じろ……! 嫌な予感を必死で打ち消すように皿へと手を伸ばすと、彼は再びその口を開く。
「一つはそうさな、貴様の生まれの特異性はその精神の構造にすら影響をもたらしている」
「もともとNPCだったっていうこと?」
「そうだ。器は少女の形をとりながら、中身はただ生きたいと這い回る赤子のそれと変わらぬ。本来人間とは年月をかけて自我を形成し、自他への理解を錯覚する。しかし貴様は赤子でありながら一個の自我の殻を与えられた故、その錯覚は不可能だ。自他への欲求を満たせぬままただ際限なく足掻くしか能がない。故に貴様は無垢なるもの。成長はすれども、岸波白野のその在り方は魂でも抜かれぬ限り変わらぬだろう」
無垢……そう言われても自分はそれなりに欲にまみれた普通の人間だが、自分が未成熟であることは自覚出来なくても納得は出来る。私には過去がない。今こうして思考しているのは元の地上で眠っていた【岸波白野】らしい人格なのだろうが、彼女を自分の経歴として今の私に繋げることは出来ない。だからこそ私はどうしようもなく弱い赤ん坊みたいな存在で、サーヴァントである彼や周りの人々に手を差し伸べられたからこそここまで生きてこれたのだと思う。
そしてそんな話の要よりも、どさくさに紛れて褒められたことに余程驚いてしまった。改めてそんなものすごい言い方をされますと、その、なんだ。照れてしまう。
「あ……ありがとう。ちょっと嬉しいな」
「我は貴様を滑稽で無様だと評したのだがな?」
……素直にここで感情を表明すると冷やかされるということがわかったので、黙って続きを促すことにしよう。野菜の串焼きを手にとって適当に相槌を打つ。
「他にもあるの?」
「無論。貴様は言葉へ一定の執着があるな。書物を読み解くのは嫌いではなかったであろう? 寧ろ知識欲は旺盛な方だ。納得いかぬもの、理解し得ぬものに出逢えば自ずとそのものの核心に触れようと足掻く。そして貴様が望む最も単純な答えは相対するものの言葉によって導き出されるもの。
同じように自ら発した言葉が相手に影響を与えることにも少なからず歓喜を覚えているだろう。もっとも、その扱い方は理解しているようでしていないようだがな」
袖へと垂れそうになる脂をどうにか避けつつ、「そうなんだ。そうかも」と更に残っていた肉へとかぶりつく。
確かに自分のこの生は「死にたくない」から始まった。生まれた意味も知らないまま私は死にたくなかった。今咀嚼している肉のように、わけもわからず噛み潰されて胃袋に流し込まれるような、意味のない終わりを迎えたくなかったのだ。その気持ちが転じて様々なものに対する知的好奇心へと繋がっているというのはご明察……かも知れない。図書室に通うのが苦ではなかったのも、そこにある資料が、対峙したサーヴァントだけでなくギルガメッシュ自身のことを知る手がかりも共に与えてくれたからだと思う。そうでありながら書物は最初のきっかけに過ぎず、当人の語る言葉こそに自分が心動かされていたのもまた事実だ。
反対に、自分の言葉が相手を動かすというのは……どうだろう。私の物言いはいつもぎこちないから、行動でしか自分の心を示せないと思っていた。それでも彼が言うなら案外私の言葉はその行いと同じくらい皆に──そして彼自身を含めてさえ響いていたのか。それはやっぱり、一つ目のSGと同じぐらいに嬉しいことだ。
「──白野。最後の一つは何だと思う」
そう言われたとき、私は肉から滴った脂でべたつく手を無意識に舐めている自分に気がついた。ああまたやってしまった、彼は意外とテーブルマナーにはうるさいのだ。そう思って身を固くしたが、いつもの彼の叱咤は飛んでこない。代わりに紅玉の双眸からの無色のまなざしが、私をじっととらえている。
「まだあるの?」
「SGは三つで用を成していたからな」
「……もう品切れなんじゃない?」
最後と言われても、元々空っぽな私のことなんて、さっきの二つで語り尽くされたような気がするのだが。素直にそう返事すると、彼は身を乗り出し、無言で私の手をとる。ぼんやりしていると、そのままテーブル越しに彼の方へ引き寄せられて今度は私が前のめりになった。少し無理のある体勢に顔を歪めながらも、何なのか尋ねる余裕すら与えられずに息が止まる。
──彼の美しい額が、鼻が、私のそれとかち合うぐらいに近い。そんな風に近づくなんて、いやもっと近づくことだって今は当たり前なのに、何故だろう。不穏な匂いがそこらじゅうに満ちている。生死に関わりそうな、けれど何だかそれ以上に妖しい雰囲気というか──今まで感じたことのない空気に困惑しながらも、流されたままでいる私を弄ぶようにギルガメッシュは嘲笑う。
「欲深さだ」
そう言って、彼はまだてらてらと脂で光る私の指をゆっくりと舐めた。
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