歌舞伎町から自由へ道連れ - 3/6

 それ以上彼は言葉をくれなかった。

 さっきは、色々と変だった。いつものやめてくださいAUO、などという戯言が頭からすっぽり抜け落ちていた。今までに経験したことのない息の止まるような官能。今にも張り詰めた糸が切れて全てが爆発しそうな緊張感漂う空気。確かに私は何度も彼に抱かれているし、あの行為に比べたら指を舐められるなんて日常茶飯事だ、多分。だけどあんな風にアダルトで妖しげでパープルピンクな雰囲気を彼からむらむらっと感じたのは、さっきが初めてだった。だというのにひとしきり私の指に舌を這わせて脂を舐めとった後、彼はそのまま「帰るぞ」と席を立ってしまった。
 ひどい話である。……様々な意味で。言いたいことは色々あるが、とにもかくにも最後の一言の投げやりさについては、うん、ひどい。どういうことなのかもっと説明してほしいようなしてほしくないような、変な気持ちだ。そうは言っても彼のことだからどうせ生易しく教えてくれるわけもない。そもそもそれ以前に、どういう文脈で彼は私の「欲深さ」を指摘したのだろう……? 自分でも気がつきかけては気がつかないよう必死に思考を押しとどめる。
 そんな風に考えがまったくまとまらないまま、ざわつく胸を抱えて帰路についた、というのに。

「……寝てる……」

 まさか目を離した隙に彼が眠ってしまうとは。
 適当な理由をふっかけられて手を出される夜は多い。多いだけにこれはますます拍子抜けとしか言いようがなかった。こっちの心を散々高鳴らせ、いや違う、波打たせておいてこの仕打ち……! 据え膳食わぬは王の恥なんじゃないのか、別に期待してたわけじゃ、まあしてなかったわけでもないけれども……! 紅潮のおさまらない頬を両手でべちべちと叩きながら、彼が身を投げ出しているベッドへ歩み寄る。

 相変わらず美しい顔だと思った。髪を下ろしているとますますその中性的な顔立ちが際立つ。そして何より、立てている時よりほんの少し幼く見えるところがこの髪型に好ましさを感じる理由だ。サーヴァントに年齢も何もないし、彼がどう見えようが彼の中身は変わらないので、要は親しみやすさや自分の気持ちの問題なわけだが。

(でもやっぱり時々怖いんだよなあ)

 じっと見つめていると時々わけもなく思う。最近はある程度平和な為に忘れがちではあるが、この閉じられた賢者の石の瞳に魅入られるたび、本能は古の魂への畏れを思い起こす。どんなに近づこうとも彼はただの人ではなく人類の裁定者だ。普段は緊張感なく接しているとはいえそれは変わらないし、その事実を挟んだ上で私と彼は相対している。……そんなことを改めて思うのは、さっきのSGについての会話と雲行きの怪しいやり取りのせいだろうか。

 だからといって悲観することもないのだと、ちゃんと私はわかっている。だって私はこの距離の埋め方を知っている。彼を知っているからだ。もちろん全てとは言えない。彼の知覚は常人には及ばないほど広大であり、言葉も夢も、私が知れたのは彼が踏み込むことを許してくれたところまで。そしてこの溝は一生かけたって埋まらないだろう。距離にして38万キロ、時間にすれば4000年離れ、ただの人間である私と人間以上の存在である彼は本来とても隔たっていて、絶対に交わることはない。それでも私は、彼と共にいることを許されているわけで。近づけないとしても、理解出来なくても、理解したいと彼と向き合うことは無駄ではないと思う。だからギルガメッシュへいつまでも全力で手を伸ばしていたいのだ。あなたは無様だと笑いながらも手を取って、私が知らなかった景色を見せてくれるから。

(──あ)

 だからさっき、手を取ってくれなくて不満になった、のか。そう気がついて、岸波白野も随分と思い上がった雑種になったものだと思った。

 長々物思いに耽っている間も、彼は変わらず眠っていた。どうせブラフな気がする。絶対起きてるでしょ、これ。それでも直接揺り起こすのはまだ何となく躊躇われて、せめてもと普段よりずっと無防備な彼の唇に自分のを寄せてすぐ離す。リップ音も立てないほど軽いふれあいだったからか彼が起きる気配はない。……もうちょっと味わえばよかったかな。そう思いながら、結局こんな軽い触れ合いでは満足出来ないだろうと体の奥に疼く欲動が囁いている。
 ──こんな彼の思わせぶりな行動に乗るのは癪だ。けれどそれ以上に、ここまで煽られておいて何も無しでは寝られない。彼がちゃんと私と向き合ってくれないのは、嫌だ。

 意を決して耳元で囁く。

「ギル。起きて」

 徐に開いた彼の目に映る私はどんなに卑しい顔をしているだろう。なるべく平静を装って続けた。

「起きてたでしょ」
「さてな」

 そういう風に答えをはぐらかすのはどうにも賢しすぎて、愚鈍な雑種は言葉に詰まる。するといつもの含みのある笑みを浮かべて彼は問うた。

「起こすほどの用件があったのだろう」
「え、えっと。……抱いてほしいんですけど」

 恥ずかしさを薄めるようにぼそっと、できるだけさくっと答えた後で、今更気がついた。多分、自ら彼を求めるのは初めてなんじゃなかろうか。どうしよう、予想の三倍ぐらい恥ずかしくなってきたぞ。

「何故だ」
「……それぐらい察せよ」
「いいから教えよ」

 ほれほれ、と凶悪な表情の彼は手遊びに私の頬を摘まむ。まったく、私だけじゃなくあなただってかなり言葉に執着している。私の口から全て言わせたがるのはちょっと悪趣味だ。いくら女としての自覚が足りず、秘密もない私にも指摘されたら恥ずかしいことぐらいはあるわけで、そんなの口にしなくてもサーヴァントであるあなたぐらいにはわかってほしくて、わかってくれていると思うからこそこんなに安心してあなたの隣にいられるわけなのであって──ってあれ。何だろうこのデジャヴ。こんなやり取り、あの迷宮で幾度となく繰り返したような……。

「得心がいったか? 貴様、あの迷宮の少女たちとまるで同じ面をしているぞ」
「──そんなことないから!」

 口ではそう言ってはねつけたものの、心の中には彼の言うとおりなのだろうと納得している自分がいた。確かに皆、SGを暴かれたときや心の最深部で私に真実を突きつけられているときはこんな反応をしていた、ような。SGが開放される瞬間ってこんな気持ちになるのか……皆、あの時は本当にごめん。自分のやっていた事の重大さに今更気がつかされた。

「我は貴様にもわかるように言葉にしてやったつもりだぞ? 知るべきことは知った筈だ。あとは貴様自身が決めろ」

 顔に影を落とす私の髪を梳きながら彼は意地悪く応えを促す。甘言だ。口に出してそのまま彼の言葉を肯定すればいいのだと囁かれている。阻むのはただの自分の非合理な羞恥心ぐらい。だってこの人にはもう全部視られて言葉にされているわけで、今更意地を張っても嘘になる。だから今はただ観念して、自分の求めていることを素直に認めてしまえばいい──湯気が出そうなほどの葛藤と、それを乗り越えてなお存在を主張する期待を込めて口を開いた。

「……私、あなたと知らないことを知るのは楽しいし、好きだよ」

 言葉一つ紡ぐだけでバチンとスイッチが落とされていくように感じた。本当に思っていたことを告解することはとても──胸のすくような思いがする。

「気持ちいいことも……好きなので、したいです……私は強欲、だから」

 そう言いかけた途中で彼に引き寄せられて、彼の胸の中へと落ち込む。

「今宵はそれで十分だ」

 吐息が耳のそばを横切っていった。私が耳が弱いことを知った上でのこの仕打ちなのか。自分の胸の下で響く早鐘が服を通して彼にまるわかりな気がした。それとは別に、いつになく機嫌のよい彼の体温に安心する自分もいて、色々と頭の中がしっちゃかめっちゃかである。とにかく今わかるのは、今日の私はいつも以上に彼に甘やかされているということだった。

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