一目見て彼女――【私】をおぞましいと感じたのは、その姿があまりに恥知らずだったからだ。
そして、【私】も同じくそんな感想を懐いただろう。――ただし。この感情は絶対に相容れないけれど。
「ううむ……」
見下ろした先の、天使の輪が光る橙色のつむじから唸り声が聴こえてくる。手入れを怠っている癖に髪の毛がこうもつややかに見えるのは若さ故か。羨ましいったらありやしないと思いながら、水色に染めた爪でひと房掬い取ってみる。彼女は私の手遊びに気が付かぬまま、私の太腿に顔を埋めて何やら思案に耽っている。
まったく、思わずため息が漏れそうになるくらい不敬にも程がある図だ。貴いバートリの血を引く私が、こんな小娘相手にばかみたい。……こんな距離を彼女にゆるしてしまっている、私が一番ばかみたい。
「あのう、カーミラさま」
突然がばりと飛び起きた彼女に驚いて、噛んでいた唇から慌てて力を抜く。何やら吹っ切れでもしたのか、さっきまで似合わぬ唸り声を上げていたとは思えない、あっけらかんとした面持ちだ。
「何、いきなり改まって」
少しちょっかいをかければ唇が触れてしまいそうな程に顔を近付けてみる。と言っても、血を吸われることにはもう慣れている。今更彼女が恥ずかしがることはない。……寧ろ私の方が耐え難くなってしまう。マスターのこがねの瞳は私のそれと似た色でありながら、後ろ暗いものはない。太陽のような光に満ちているから。それでも今は強がってみたくて、彼女の真っ直ぐな視線から目を逸らさない。
「あのですね、やっぱり教えてはもらえないでしょうか」
「何を」
「その……さっきの、エリザベートとのこと」
少しだけ躊躇いながらも彼女は率直に私の心に指を埋める。そんな人好きのする素直さが召喚されたばかりの頃は酷く苦手だった。今だって得意だとはとても言えない。悩ましい茨に雁字搦めになった私に、彼女の姿は眩しすぎる。……やっぱり、真っ直ぐ見てはいられない。少しだけ視線を地へと傾けて私は緩慢に首を振った。
「……だから、大した話はしていないったら。二言三言嫌味の応酬の末に向こうが勝手に頭痛で倒れただけ」
「ほんとに?」
「本当よ。嘘を吐く手間なんてかけないわ」
そのとき、確かに私は嘘を吐いていなかった。たった一時間ほど前、カルデアの長い廊下の隅で起きたとあるアクシデントについて、簡潔に述べたまでだ。
『何て――恥知らずな恰好をしているの』
いつもとさして変わり映えのしない朝。出会い頭にマスターに、「おはようカーミラ、あの……子供時代の自分が召喚されたって聞いたらどう思う?」と突然訊ねられて目を瞬かせている間にマスターは管制室へ召集され、入れ違いで私と【私】は出遭ってしまった。
『はあ? これが今風のアイドルに相応しいキュートな衣装だってこと、大人のアタシはわかんないわけ?』
『そうじゃない。そうじゃないわ……』
のっけから喧嘩腰の彼女には、私の言わんとすることが全く伝わっていなかった。それも当然だろう。こんな見た目でエリザベート=バートリ―を名乗る少女が、カーミラの言葉を解するわけがない。
――けれど、それでも呪いは残る。老いた私の唇から零れる声は呪文となって未だ熟さぬ【私】の夢を脅かす戒めとなる。
『……じゃあ、アンタは一体何に文句つけてるのよ。失われた自分自身の完璧な美に嫉妬してるだけ?』
私の恨みがましい異形の瞳に慄く彼女の唇は、小憎らしいほど綺麗な形だ。それは、あの日夢に見た通りの姿。
『あなた、今自分がどんな顔をしているか――本当にわかって?』
その言葉の意味を理解したのか、していないのか。真実を私が知る意味はきっとない。
『な――に、それ……』
だって、【私】のその表情を見れただけで。私の曇り空の心に一瞬、稲妻が光った気がしたのだもの。
「まあ、カーミラが話したくないならこれ以上は無理に聴かないけどさ」
晴れすぎた空を思わせるマスターの声に私の意識は現へと引き戻される。ふと向けた視線の先では、変わらぬ真昼の陽射しのような少女が肩を竦めてこちらを窺っている。
――あの後。私の呪いを耳にしたエリザベート=バートリ―は頭を押さえて蹲り、軈て意識を失った。その場へ戻ってきたマスターとダ・ヴィンチによって彼女は運ばれ、程なくして目を醒ましたらしいが、その後の事情はよく知らない。知ったところで私の益になることはない。
「過去の自分が同時に存在してるって……どんな感覚?」
「……結局訊くの?」
掌を返すようなマスターの発言に呆れてため息をつくと、彼女はあまり悪びれた様子も見せずにごめんごめんと頭をかく。そうやってわざと無神経なふりをするのが、今の彼女なりの気遣いなのだろう。
元は同一存在であっても別個体、別クラスとして招かれるサーヴァントは数多いると聴き及ぶ。たとえばそれは剣を持った姿だったり、槍を持った姿だったり。若い時の姿であったり、老成した姿であったりする。【バートリ=エルジェーベト】という過去に存在した大量殺人鬼の姿と人間性を模した私達も、その一例に過ぎない。
とはいえ、魔術師ですらないただ人のマスターが正しくこの事象を理解しているかは別問題だ。彼女が純粋に問いを投げかけたくなる気持ちも、わからなくはない。
「だから、前から言っていたでしょう。私は私が大嫌いなの。最悪な気分に決まっているわ」
「そういえばそうだったね」
召喚されたばかりの頃、嫌いなものは何かと問われて「自分自身が嫌い」と答えたとき、マスターはまさか【私】と邂逅するだなんて思ってもみなかっただろう。私もおんなじだ。こうして皮肉にも、老いさらばえた醜い私の憎悪の矛先は若々しく美しい別個体に向けられることになったのだけれど。
「何か、大変なことになっちゃったなあ……」
腕を組み唇を尖らせるマスターは、案外私達のことについて気を揉んでいるらしい。くよくよと考え込むことのない姿ばかり見ている身としては、珍しいこともあるものだと少しだけ笑みが零れた。……それだけ、私のことを思ってくれているのだろうか。そんな甘い妄想は、誰の声も届かない暗闇がお似合いの吸血鬼にはあまりに不釣り合いに過ぎるけれど。
曖昧に微笑んだまま、そっと彼女の髪を再び掬う。私の鉤爪が彼女の柔肌を裂かないように。彼女には、私達のかかった呪いが及ばぬように。
「あの子は目を醒ましたんでしょう。その時何て言っていたの」
「えっと……大丈夫? って訊いたら『何だか急に気分が悪くなったんだけど、ひと眠りしたら綺麗さっぱり忘れちゃったわ!』とか……。一応、嘘はついてなさそうだったけど」
「そう。それは多分本当よ」
「わかるの?」
「だって、【私】のことだもの」
ふと目を伏せ、私は独り言のようにつぶやいた。
「でもね。あの子と私は同一人物だけれど、決して相容れない存在。あなたも一目でわかるでしょう? 私たちは姿も形も声も違う。だからきっと、見えているものも違うのよ」
わざとわかりにくい表現をすると、見事に何も理解できなかったらしいマスターは素直に首を傾げた。その反応に満足して、私は彼女の髪から指を離す。
マスター、あなたは知らなくていい。……そして、彼女も本当は知らなくていいのでしょう。
エリザベートに残した呪いは、これから彼女自身を苛むだろう。彼女の見ている夢に、度々現れる悪夢となるだろう。けれど正直――その種子が実を結び、十四歳のエリザベート=バートリ―を根本から突き崩すこともないのだろう。だって私達は初めから狂っている。自分自身に呪われる以前に、その運命に呪われている。……だから、あれはただの嫌がらせ。負け戦とわかって放った一矢でしかない。
たとえうたかたの夢だとしても、あの恥知らずな姿でサーヴァントとしての器を得たというのなら、それは永遠。ならばどうあっても――永遠を手に入れられずに老いた私の敗北なのだから。
「……で。あなたはあの子の機嫌を取りに行かなくていいの?」
部屋の扉を指し示すと、意外にもマスターは首を振ってこちらへ身を預けてくる。……人肌のあたたかさが、私の冷たくあらねばならない皮膚をじわりととろかしてゆく。
「今はカーミラと一緒にいたい」
「……そう。別に、あなたに気を遣われなくたって私はいいのだけれど」
「気を遣うなんて芸当私には無理だよ。……ね、取っておいたチョコあるから食べよ」
「間食のし過ぎは肌によくないってば。……まあ、でも折角だからいただくわ」
マスターの無邪気な笑顔に向き合っている内に私まで微笑みがこぼれるなんて、随分と分不相応な幸せに苛まれている。……ああ、吐き気がするほどに幸せだ。夢を見てはいけない私が、夢を見てしまいそうになるくらい。
私は吸血鬼カーミラ。永遠の美を求め、数多の少女を殺戮した怪物。けれど生前あんなに固執していた美に永遠はないのだと、暗闇の中で惨めに死した私は既に知っている。私は鉄の処女などではなかった。そう認めてしまえば私は【私】でなくなってしまうから、認めていないだけ。
だけど――鉄でないからこそ、私は彼女の血のあたたかさを感じていられる。彼女に触れられた分だけ、生きている間はついぞ埋まることのなかった心の隙が満たされていく。たとえ、その安らぎすら刹那の瞬きなのだとしても。
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