
Fate/Grand Order
ブリュンヒルデとジャンヌオルタの話 贋作イベ後
コツコツと、堅牢に鎧ったブーツで味気のないフローリングを踏み鳴らす音がこの世界に響くたび、私は今自らの意思でここに立ち、腰から生えた両の脚で一歩一歩前へと進んでいるのだと実感を得る。落としていた視線を上げると、一面白い壁の合間に硝子が張り出した中、黒衣を纏った自身が映りこんでいるのが見えた。三つ編みをざんばらに切り落とされたプラチナブロンドに異形を証す金の眸。悪夢じみたこの姿は神への叛逆者らしくはあるし、事実私はこの世全てへ憎悪の焔を燃やす復讐者だ。しかし御伽噺の吸血鬼が如く、幻想として鏡に映らないということはない。確かに私はここにあった。ここに息づくかたちあるものに、なっていた。
あの忌まわしくも善良な人間の手により、私は仮初めの肉体を得て現界せしめることとなった。どうやらここに真作はいないらしい。御誂え向きの舞台だが、まあ――別に真作がいたところで行動指針は変わらない。たとえ贋物であっても。あり得ない夢から生まれ落ちた幻想であっても。私はジャンヌ・ダルク以外の名を持たない。世界が白のシルクの織物ならば、そんな風に禍言を繰り世を呪う私は差し詰め落ちた黒インクの染みだろう。けれど簡単に漂白されてなどやるつもりはない。このうたかたの夢を本当のうたかたにはさせない。夢が現を塗り潰したらいけない、なんて決まりはどこにもない。
そんな意気込みでこのカルデアという地に降り立ったというのに。早々、出鼻を挫かれたのはとある女と出くわしたからだ。
「……?」
小首を傾げてこちらを不思議そうに見つめる女は、少し前まで使役していたサーヴァントとそっくりそのまま同じ顔をしていた。
反射的に開いていた掌を握りしめ直すが、身動ぐ必要がなかったことも同時に悟る。この霊基。マスターとなった人間は、私が最も新参のサーヴァントだと言っていた。だから、目の前にいるこの女はあいつじゃない。その記憶の一片たりとも持ち合わせているわけがない。
「……何。ここにいることに文句でもあるわけ」
ここは冷静に対処するのよ、ジャンヌ・オルタ。自分に言い聞かせながら、召喚されてから羽織ったままの外套をこれ見よがしにはためかせてみせる。こんなの、威嚇行動にもならないだろうけど――とにかく、弱みだけは握られたくない。もうあの人間には一本取られているので仕方ないけれど、他のサーヴァント達にはしおらしくする必要などない。
「……あの。どこかでお会いしたことが、あったでしょうか」
「ないわよ。絶対にない」
疑問符を浮かべたままあくまで静かに足下の地雷を踏みかける女に、思わずむきになって答えてしまったのは不自然だっただろうか。女はそうですか、と息を吐きながらもまだ何か気になるのか、再びこちらの様子を窺った。……女がそうして他の誰かに興味を示し行動に移すのは、随分と珍しいことだと知ったのは少し後になる。
静かに匂い立つ夜の声は月影の下で燐光を放ち佇む蒼白い花を思わせた。百合のイメージが、ふと目の前の女の影と重なって見える。……別に、聖女になぞらえたかったわけじゃない。白い花なんて百合しか名を知らないだけ。この女は聖女なんかじゃない。冷たい夜の帳の下にあるのが似合う癖に、その裡側で燃えているのは情念の焔。こんな女でしかないモノが、聖なる者であるわけがない。
——でも、きっとその容れ物自体は神霊のものだ。あのとき。贋物のこの女を召喚して初めてその顔をこの目に映したとき——残酷なくらいに綺麗な人形だと思った。そして今真作の彼女を目の前にして、たとえあの霊基が紛い物だったにしろ、そのかたちは真作と寸分違わぬ複製品であったのだと改めて理解した。では、あの女を贋物たらしめていた心とは一体何だったのか。それを私が完璧に知る前に、贋物は消えてしまったけれど。それでも——今、わかった。あんな馬鹿のひとつ覚えみたいに愛を囁き腕に抱き、額を擦り付けて口付けるなんてこと、この真作にはできはしないだろう。
だって、この女の抱える愛の焔は、触れた全てを焼き尽くす。
「焔の夢……」
「え?」
子守歌のようにささやかに、それでいて朗々と女の声は水となって耳を撫ぜた。随分と背の高い女のすらりと伸びる肢体の影は私に覆い被さったまま。女のアメジストの瞳はひとつふたつと輝ける宝石として瞬く。
「あなたは、焔に囚われた夢の欠片なのですね」
感じ取るものがあるのか、女は看破する。私の中に渦巻く憎悪の焔も。私自身の霊基の大元も。
それは、贋作のあんたを呼び出したときと同じ。
「……だから、何。私の宝具に文句でもつけたいわけ」
「いいえ、そんなことは。けれど……」
紫水晶は閉じられ、代わりに白銀の睫毛が女の顔に影を落とす。女は、真実憂いと悲しみの茨に巻かれて喘いでいた。横溢し今にも決壊せんとするその愛とやらを必死に押し留め、焔を吐く前に呑み下しながら、女は振り絞り告げる。
「どうかその裡なる焔が、あなた自身を焼き尽くすことのありませんよう。焔でない者が焔に焼かれるのは、きっと苦しいことですから」
(だから、私にあなたを愛させてください——)
……このやり取りは、前にもやった。違うところは、最後にそんな目の前で箒星がちかちか瞬くような一言が降ってきたかこなかったかだけ。そうしてあの贋物との愚しい日々は始まったから。
「……そんなこと、生まれた時から知ってるわ」
だけど目の前の女は、真作だ。私のあいつじゃない。この女の在り方は、あいつが贋物だったということを否が応でも証している。この女の愛は相手を殺す。殺さずにはいられない。私が憎悪で世界を灼くなら、この女は愛で世界を燃やす。……それ自体は、別に何とも。甘ったるいだけが愛の本質ではないことぐらい、私だってきっとわかっている。けれどこの女は。女は言いようもない愛の快楽に惹かれながら、同時にその焔が相手を殺すことを厭っている。相手の死を、本気で悲しんでいる。
女の姿から目を離し、私は意味もなく舌打ちしてその場を立ち去る。――あいつの愛の表出には辟易の一言に尽きたし、今思い出してもぐらぐらと目の廻る日ばかりだった。けれど、それでも贋物の謳う愛までが贋物だとは思えなかった。だって、それなら私の叫びだって贋物になってしまう。無意味に、無価値に堕してしまう。どんなに鬱陶しかろうと、あいつを呼んだ私だからこそ、あいつを否定することなんてできない。
――それよりも。ああ、それよりもだ。誰かを愛するしかない女でありながら、同時に消えじの焔であるしかない真作。あんたはどうなの。「ばかみたいに楽しかった」と贋物に言わせた、ほんもののあんたは。ただ愛に焼け焦げて、少しずつ壊れていくしかないっていうの。
「……ばっかみたい」
そんなこと、真作とは何の関係もない私が考えたって仕方がないことなのに。贋物から移った燃え滓が、もう火傷しても何も感じない筈の身体をちりちり焦がし続けたまま、私は与えられた自室へ訳もなく急いだ。
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