頭上ではオリオン大星雲が煌々と燃えている。
その下で、かつて人間だったものが明々と燃えている。
使いものになるかあやしいほど血に塗れた小刀と、先程殺めた職員から奪った銃をロザリオ代わりに握りしめる。そもそも、俺のような祈る神のいない存在がロザリオなんて持っていたって意味はないのだが。
未だ無事である筈のC棟へと走っている途中、様々な職員と【被験体】に出遭った。俺も含め、奴等は「どちら」であるかすぐに判別できるよう着用する制服が異なる。だがそれ以外は、こうして焔に巻かれた施設を目の前にして狼狽え逃げ惑う様子を眺めてみても変わらないように見えた。──そう、何も変わらない。寧ろ制服で区別をつけなければいけないくらいに俺達は同じモノだった。そのことに、どうして今まで気が付かなかったのか。
いや、きっと本当は気が付いていた。気が付いたところで変えたいと思うことがなかっただけ。変える必要を感じなかっただけ。何かを変えたいと思う、そんな感情的な理由なんて俺個人には何もない。生まれて三年と十か月の間、俺は人間達の駒の一つ、おもちゃの兵隊の一騎でしかなかった。変わり映えのない、繰り返しの戦の日々に感情を抱く道理はない。そもそも俺に感情なんて芽生える筈がなかったのだ。初めから俺に与えられていたのは人間としての人格ではなく、兵士としての機能だけだったのだから。
だが、今は違う。俺に与えられたものが戦う機能だけであったとしても──あいつと出逢い、心を得たことだけは変えられない俺だけの本質だ。
だから、俺は俺の為にあいつを救う。【被験体】全てを救おうだなんて正義の味方ぶるつもりは甚だない。俺の掌が掴めるのはせいぜいこの武器と、あいつの掌くらいだけだった。
逃げ惑う職員と【被験体】達の波を避け、裏手から階段を駆け上がる。目的の部屋まであと少し。あいつはきっと、未だにあの実験室に取り残されている。もう一人では歩けない体だ。職員達も真っ先に捨て置いているだろう。俺達は結局、使い捨ての存在に他ならない。……ああ、自分だけの話であればそう諦めることは簡単だった。
「J……」
曲がり角を横切ると、すぐにあいつを見つけた。……何て、馬鹿。部屋で大人しく待っていさえすれば俺が背負って連れ出してやったのに。無駄な体力を使わずに済んだだろうに。重石の胴体を引きずるようにあいつは壁に寄りかかりながらこちらへとにじり寄る。
「K! ……馬鹿かお前は!」
「はは……何で怒るんだ」
一歩進むたびに激痛が走っている筈なのに、Kは力いっぱい笑ってみせた。すぐに駆け寄って背に負うと、何もわかっていない様子でもたれてくるKの体が軽い。まるで臓器すら存在していないみたいに。……そして、その感想はきっと間違っていないのだろう。
それでも、Kの魂の重さだけは俺が一番感じている。こいつの尊厳は、俺が必ず証明してみせる。
「本当に、逃げていいのかな」
火の手が回る前にこのC棟から逃げ出して、あの故郷へと戻る足を手に入れる。目星は予めつけておいた。スピナーの操作は熟知している。後はただ目的地まで走るだけだ。そんな中、ぽつりとあいつは何でもない調子で、口にしても意味のない疑問を呟いた。
「……お前は生きたいんだろう」
「うん」
Kの回答に迷いはない。──ほら。それなら今更、そんなことを問う意味はない。俺はあの時、お前が生きたいと願ったのを知っている。痛む体を抱えながら、それでも生きていたいと手を伸ばしたのを知っている。
俺はお前の願いを叶えたい。だから、これでいいんだ。
そう返す余裕は今の俺にはなかった。だが、言わなくてもきっと伝わっていただろう。言葉を紡ぐことに対して特に不器用な俺達の間だからこそ、きっとわかり合えるものがそこにはあった。
「なあ、J」
「何だ」
「お前は、生きたい?」
Kの不意打ちに、思わず息が止まりそうになる。
暫く何を口にしていいかわからなくなって、けれど何か口にしなければ、という葛藤に苛まれる。……そのままただ一度だけ頷いた。すると「うん」と一言Kは呟く。ふっと笑む息が、耳元で漏れた。
「Jはやっぱり、俺の友人だったんだ」
巻き付くKの腕の力がほんの微かに増す。俺もまた、Kをしっかりと抱え直す。煙に撒かれながら俺達は炎の中に紛れていく。
──なあ、K。俺は、お前のそんな真っ直ぐな心に触れられるだけでよかったんだ。
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