うたかたの永遠 - 3/3

 使い慣れた自室に戻り、明かりをつける。我ながらなかなか殺風景な部屋だ。私物はチェックが厳しくてあまり持ち込むことは許されなかったし、レイシフト先から持ち帰るものも僅かなものだ。まあ、殺風景でも部屋に訪れるサーヴァントはマシュ筆頭に大勢いるわけで、うら寂しいとはあまり感じたことはないのだが。

「いるんでしょ、エリザ」

 どの辺りにいるかまではわからないけれど。そう言って、私はベッドに腰掛ける。暫くして、何もなかった筈の部屋の隅から突然彼女の角がのぞいた。

「……ごめんなさい、マスター」

 憔悴しきった声を上げて、彼女は姿を現した。手に持っているのは、緑のマント。見慣れたあの弓兵――ロビンフッドの宝具だった。

「いいよ。でも、ロビンにはちゃんと後で謝った方がいい」

 顔を背けて体育座りをしている彼女は、いつになく小市民的態度だ。……まあ、こんなエリザにどうしてもと頼み込まれたら、ロビンだって「一時間だけですよ」とマントを貸してやっても仕方がないのかも知れない。

「――どうしたの、って訊いてもいい?」

 私も一緒になってベッドで体育座りをしてみる。ここで答えが返ってこなくても、それはそれでいいと思った。だって、エリザベートはカーミラだ。カーミラだったらきっと答えてくれない。まあ、カーミラだったらここまで取り乱した様子を晒さないだろうけれど。
 エリザベートは俯いたまま、「……頭が痛いわ」と呟く。彼女の頭痛は、例の一件だけでなく頻繁に起こるようだった。基本的には調子のよい彼女だけれど、そうして痛みに苛まれている様子を見るとどうしても――カーミラの顔が思い浮かんでしまう。

「……今日はね、特別にとっても頭が痛いの。痛くて痛くて、またあの時みたいに今に気を失いそう。だから今だけ……アイドルとして相応しくない弱音を吐くわ」

 それから、エリザは普段の弾むような物言いをすっぱりやめて、感情を抜いたような声音で言葉を紡ぎ始めた。寧ろそれが本来の彼女自身であるかのように。

「アタシは反英雄、エリザベート=バートリー。償えない罪を犯した、永遠に天国に導かれることのない殺人鬼。それはあなたもわかっているわよね」

 黙って頷くと、彼女の瞳孔が開いたのがわかった。わなわなと震える唇、こけたようにも見える頬は、普段の血色の良さが嘘のように蒼白く乾いている。――瞬きの間。彼女の髪と瞳の色が、今のそれとは違って見えた気がした。

「本当かしら? 過去の、罪を犯していないアタシがエリザベート。未来の、罪を犯したアタシがカーミラ。……もしそう思っているならそれは大きな間違い。だって、アタシとアイツは同一人物なんだもの。たとえ十四歳の姿でも、大人になってからの記憶がすっぽり抜け落ちていても、アタシは歴史に刻まれた【バートリ=エルジェーベト】なのよ。
 それでも……それでもアタシはこの姿である以上、まだ一人も殺していない以上、アイツを否定するって決めたわ。でもね、最近思うのよ……霊基が再臨されて、もしも……もしもこの姿ですらいられなくなったら、今のアタシはどうなっちゃうのかしらって……!」

 そう叫んだ後、エリザベートは突然立ち上がる。何かをしようとしたわけじゃなく、ただ居ても立ってもいられないからそうしたみたいに。

「再臨は気持ちいいわ。本来の力が引き出されてるって実感するもの。でも、同時にこうも思うの……アタシ、これを続けたらいつか……本当の【私】になっちゃうかも。否定した未来そのものに、成ってしまうかもって……」

 体育座りをやめて立ち上がる。彼女のいつにない魂の慟哭に、正面から向き合わなければいけないと思ったからだ。

 必死に言葉を探す。彼女が必要としている台詞は、与えられたい結末はきっともっと他にあるのだろうと思いながら。だから、いつも「専属マネージャーとはいえない」と言われるのだろうと自覚しながら。それでも今、私は彼女に手を伸ばしたい。
 生きている私にとって、既に生を終えた身であるエリザベートの未来は即ち過去だ。過去は変えられない、変えてはいけないと私はもう知っている。エリザベートだって、カーミラだってわかっているだろう。これからの未来を救うために、過去を否定することはできない。
 だからエリザベートの、カーミラの、――【バートリ=エルジェーベト】の人生を――肯定することも否定することも私にはできない。

「でも、エリザベート=バートリーは……ここにいる十四歳の、ピンクの髪に空色の目をした女の子は、アイドルなんでしょう?」

 そう言った瞬間、エリザベートの瞳孔にふと光が戻った気がした。

「私がエリザベートとできるのは、この現在を一緒に歩むこと。君は歌い続けると言った。私はそれを心から信じてる。同じように、私がカーミラとできるのも今を共に歩むこと。カーミラは私について来てくれると言った。私はそれを絶対に裏切らない」

 それじゃ、だめかな。私は彼女のサファイアの瞳を真っ直ぐに覗き込む。彼女はというと――豆鉄砲を喰らった鳩、とまでは言わないけれど、きょとんとした顔でこちらをじっと見つめている。……言い方を、間違えただろうか。私の言いたいことはきちんと伝わっているだろうか。そんな不安に駆られながらも、彼女から目を逸らさない。逸らさないで暫く経ったとき、いい加減沈黙に耐えられなくなりそうになったとき――エリザベートは。びっくりするくらい、カーミラと似通ったやさしい微笑を浮かべた。

「あーあ……やっぱり子ジカはアタシの専属マネージャーには遠いわね、せいぜいAD止まり。でも……アタシ、それでいいわ。よかったんだわ……」

 そのうつくしい微笑の上には、少しだけ涙が滲んでいる気がした。それを指摘するのは無粋に思えたので、何も言わないことにする。

「ごめんなさいマスター。アタシ、やっぱり頭痛でどうかしてたみたい。……そうよね、アタシはアタシの信じる姿で居る。マスターの信じてくれる姿で居続ける。たとえカーミラが本当の姿だったとしても……アタシは夢を見続けるわ! だって、アイドルはうつくしい夢でできているんだもの!」

 エリザベートは潤んだ瞳をふるふると拭って、私の方へ手を差し伸べた。いや――手を伸ばした。だから、私も望んだ通り手を伸ばす。竜の角、竜の尾を持つエリザベートだが、彼女の掌にはただの人間の血のあたたかさが巡っていた。
 ――なら、私もこのあたたかさを信じよう。たとえ彼女の手が既に血にまみれていたとしても。変えようのない業の物語を背負っていたとしても。今、こうして彼女が私に手を伸ばしたことは真実だ。そしてそれはきっと――あの素直になれないプラチナブロンドの貴婦人だっておんなじだ。

「行きましょう、マスター。アタシ、あなたがいてくれるなら……きっと変わらない。アタシはアタシのまま、夢を見続けるわ」

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