SE.RA.PHは電子の海である。世界を構成するのは物質ではなくデータであり、そういった意味では無論現実の世界と仕組みが異なる。……とはいえ、基本、ここでもゼロから料理を作ることはできない。調理のためにはまず材料と調理する環境が必要である。
凛もラニも魔術、錬金術を修めた一流のハッカーだ。料理だって自前の魔術やら礼装やらでどうにかしたのかも知れない。だが、初歩的な魔術すらおぼつかない自分では今ある施設を借り受けるしか手立てはない。
結局。この前藤村先生が料理データの行方を追っていたことが記憶に新しかったので、彼女に仔細を訊ねてみることにした。本当は凛に訊くのが一番手っ取り早かったのだろうが、あんな約束をした手前、再び彼女の前で誰かの料理を食べる自分を見せるのは気が引けた。
……彼女の手料理はこの戦いが終わったら、必ず。約束を心に留めて一階まで降ると、階段付近の藤村先生は存外教師らしくわたし達に色々と教えてくれた。
なんでも、購買部の職員に訊ねれば材料は入荷してもらえるらしい。聖杯戦争も佳境に差し掛かり、マスターの数も激減した。購買部や食堂の利用者も殆どおらず、具材のリソースも随分と余っているという。話をつければ厨房も借りられるだろうとのことだった。
「いいなー岸波さん。先生もアーチャーさんのごはん、食べたいなー」
藤村先生が残念がりつつも屈託なく笑っているのに対し、心底眩しいものを見るようにしてアーチャーは目を細め佇んでいた。先生もご一緒しますか、とは申し出たものの「大事な戦いの前なんだから、二人でゆっくりしたらいいのよぅ」と些かオーバーに泣き崩れる演技で購買部へと送り出されてしまった。……わたしの戦いへの気遣いよりも彼の料理が食べられない我が身を惜しむ気持ちが若干勝っていた気がするが、そんな素直な性根が彼女の人の良さの象徴なのだろう。お礼を告げて、わたし達は地下一階の購買部へと向かった。
かくしてNPCである購買部の職員たちの許可をもらい、無事厨房を借り受けたアーチャーは、わたしにその料理の腕前を披露してくれた。食後はアリーナで鍛錬を行うということも念頭に置き、手早く作って食べられるもの。且つ余りの食材とわたしのリクエストをすり合わせて選ばれたのが、豆腐入りのピリ辛炒飯、豚肉とかぼちゃ、さやいんげんの炒め物に焼売。食後の甘味には胡麻団子だった。本格的とまではいかないが(とはアーチャーの言だが、それはあくまで品数の話だろう)全体的に中華を意識した献立である。
「おいしそうだね」
彼が盆に載せてごはんを運んでくるのが待ちきれなくなって、思わず席を立って見に行く。本当は調理しているアーチャーの様子をもっと眺めていたかったのだが、あまり見てくれるなと彼がうるさいので厨房には立たずにいた。事実自分が厨房にいても邪魔なだけだが、調理が終わったならもう入っても構わないだろう。
「君は中華料理が好きなのかね?」
皿から吹き上げる湯気に本来減るはずのないお腹が間抜けな音を鳴らしそうになっていると、彼はふとわたしに疑問という程でもない世間話を投げかける。
「食べ損ねた遠坂凛の手料理が恋しくなったか」
少し皮肉っぽい口元に促されて自分のリクエストの動機を振り返ってみたが、はっきりと説明できる理由は思い浮かばなかった。
「それもあると思うけど、何となく」
――そう、何となくだった。何となく、アーチャーの作った炒飯が、焼売が、ごま団子が、懐かしくなって食べたくなった。いつか見たかも知れない夢で食べたのは、そんな献立だったのだろうか。
「では、この戦いが終わったあとはわたしの中華と彼女の中華の食べ比べでもしてみるといい。……む、そう思うとやはり負けてはいられんな……」
半分独り言として呟いているアーチャーの声がぼんやりと響く内、彼がテーブルにはつかず用意された食事がやっぱりわたし一人分であることに気がついた。
……やっぱり? どうしてそんな妙な言い回しが出てきたのかはわからないが、それでもその一膳しかない料理を見て、胸が締め付けられる程に納得している自分がいた。
「いただきます。……でも、アーチャーの分は?」
「わたしの分はいい。客人をもてなすのと自分で食べるのは別だしね」
返ってくる答えの一言一句を既にわたしは知っている。どこでその記憶を得たかはもう思い出せないけれど、微かにこの身は彼の心の隙間を覚えている。その隙間はわたしが簡単に埋められるものでもなければ、埋めていいわけでもないのだろう。
アーチャーに料理を所望すればこうなる。彼はわたしと共に食べる為ではなくわたしをもてなす為に料理するし、――同じごはんを食べる幸福は共有されない。わたし達は、食卓を囲まない。
だから、きっとわたしは根本から選択肢を間違えていたんだな、とそのとき静かに悟った。
「ねえ、アーチャー」
鶏ガラや豆板醤の旨味を引き立たせている、ほくほくと口の中で転がるかぼちゃの甘みが鼻に通って思わず肩が震えた。焼売は一つずつ食べれば皮を破ったときに湧き出る肉汁の記憶が舌に鮮明に残る。豆腐入り炒飯は一見ボリューミーだが、豆腐の軽い食感が米と馴染んでついつい食が進む。
「どうした?」
休みなく黙々と食べていると、どんなにおいしいごはんであっても途中で味つけに息切れしそうになる。しかし、彼が食事の共にとつけてくれたピーチウーロンを煽ると直ぐにまた箸へ手がひとりでに伸びていた。
おいしい。本当に、心からそう思えるごはんだった。アーチャーがわたしのためにこれを作ってくれたことも嬉しかったし、有難いことだと感じた。
「料理、教えてくれない?」
……でも、こうして彼のごはんを食べて改めて気がついた。わたしはやっぱり、あなたにもてなされたいのではなく。あなたと一緒に、何でもない話をしながらごはんを食べてみたいと思っていたのだ。
「君もようやく家庭的な自意識に目覚めたかね」
いや、そういうわけではないです。……と即答しそうになるのをぐっと堪えて「言い方が変」とだけ返し、まだ幾つか残っているごま団子をつまむ。もっちりと噛み応えのある団子の皮と、中のこしあんの素朴な甘さが中華特有の濃い味付け料理の後に食べるのにちょうどいい。
「わたしもアーチャーにごはん、食べてもらいたいなと」
もったいなさを感じつつ、最後の団子に手を伸ばして再びアーチャーを見上げる。彼は何だそんなことか、とでも言う程度の軽さで肩をすくめて肯定の意を示した。
「教師役なら慣れているからね。だが、何となく君には苦労させられそうな気がするよ」
「む。それは心外。わたしだって料理ぐらいやればできるし。……多分」
彼の皮肉に思わず反論しかけるも、結局うまく反論できないのはいつも通り変わらない。予定調和だ。わたしとアーチャーは、どうなったってこの通りの関係だ。
……うん。この選択肢は最適解だったけれど。正解は、多分そういうことだったんだろう。だから、もしも次があるならその時は正解も選ばせてほしい。今日のこのひと時以外に、岸波白野が現実に蓋をする機会なんてもう、在りはしない気がするけれど。
「――ああ。オレでいいなら、約束しよう」
そんな、ささやかな叶わぬ夢を見た。
※コメントは最大1000文字、3回まで送信できます