エジャの飴玉 - 3/3

「ギルガメッシュ!」

 自分では答えを導き出せそうにない逡巡に陥っていると、唐突に鈴の鳴るような声が地面に落ちて鼓膜を弾いた。せんぱい。声を上げかけたけれどまだ息が詰まっていた。自室からそのまま出てきたらしい先輩は、彼とは少し離れたところにいた私に気がつかないまま黄金鎧の彼の下へと駆け寄る。

「何だ騒々しい。貴様は人恋しさに惑う幼子か」
「え……だっていつまで経っても帰ってこないから」
「そう我の漫遊を咎めるな。異な事物に目をかけずにはいられぬ王の慈悲、我がマスターであればその身で十二分に思い知っていよう」
「はあ……」

 うすぼんやりとした意識で二人のゆるい会話を眺めていると、視界に私が在ることをみとめた先輩が「あれ、桜?」と気さくに声をかけてくれる。彼女の姿を見ているだけで、この身を圧迫していた空気が柔くどこかへ霧消していく気がした。

「先輩。そろそろスリープ状態に移行します。演算はバッチリですから、もう部屋に」
「戻るぞ雑種。今日は早々に身体を休めておけ」

 私の声を遮るように彼女の背中に籠手をかけた後、彼は自室へ歩み出す。彼の潔い歩幅に慌ててついていこうとする彼女へ手を振りかけると、何かを忘れ物でも思い出したように先輩は「あ」と声を上げて立ち止まった。

「何だ」
「ちょっと待って。ねえ桜、これ」

 そう言ってこちらへと駆け寄りながらポケットをまさぐり、この間と同じく掌に飴玉を一粒乗せた先輩を見て──追い打ちをかけられたような気分になる。

「この前の飴。まだ少し残ってるから、あげる」

 何も気取られないままに彼女は微笑んでこちらへ手を差し伸べている。その手を、とても取れる気がしなかった。彼女の背後へピントが合ってしまう。黄金の王は、私ではなく彼女を咎めるように、あるいは嗜めるように目を細めている。

「……白野」
「でもギル、飴なら別にいいって」

 振り返って反駁する先輩は彼の真意を見抜かない。凍えそうになりながら私は先輩へ首を振った。

「──いいえ。もらっても食べられません」

 目を伏せるとそのまま重力に従って涙が溢れるところだった。肩が震えている。感情のせめぎ合いが抑制できない。おや、と手を止めてこちらの顔色を窺う先輩の眼から視線を逃す。

「……また貴様は余計なことを」

 どこか調子を狂わされたらしい彼は呆れた──だが、最初からこうなることがわかってもいたような様子でため息をつき、再び踵を返す。あとは好きにしろ。投げやりではあるが、少なくとも彼女にかけた言葉に先の鋭さはないように思えた。

 彼の本意がわからなくとも、何某かを察した先輩は、黙って彼が扉の向こうへ消えるのを見送る。一転して真剣に表情を強張らせた彼女は、私へ向き直りこちらへとまた一歩距離を詰めた。

「食べたくないのは、これがギルのだから?」
「……それは関係ありません。でも私……前にもらった飴、こんなふうにしちゃったから」

 耐えきれなくなって握りしめていたほどけた飴玉をそのまま前へと差し出す。紙の張り付いてぐにゃりとちぢれたその形を改めて見ると、情けない気持ちでお腹が痛い気さえしてくる。「いつでもあげたのに」と──顔を上げる気持ちになれないから想像だけれど──困惑しながらも、それでもこちらを気遣うように声をかけてくれる先輩の優しさが痛い。

「宝物だったんです。先輩からもらったものだから、いつまでも大切にとっておきたくて、それで」

 口にすればするほど決まり悪さが募りながらも、嘘はつけなかった。そう、本当に大事にしたいと思ったのだ。確かにデータとして保存することなんていくらでもできる。けれど、形あるものならできるだけこの手に握っていたかった。宝物として胸に懐いておきたかった。機械仕掛けの人形がそんな願いを持つこと自体、本来はおかしなことであっても。

 掌の上の小さな飴玉からにわかに重みが失われたことに気がつく。顔を上げると、いつのまにすぐ傍へ来ていた先輩が、飴玉に貼り付いた包み紙を剥がそうと引っ張っている最中だった。口を挟む間もなくえいとむき出しになった飴玉を、彼女は口に放り込む。形を均すように一頻り舌で転がした後、先輩はいつもの不器用な笑顔を浮かべた。

「……うん。ちょっと粘ついてるけど、おいしい」
「嘘、ごめんなさ……きゃっ」

 やっとのことで声を上げた瞬間、目前に不意に先輩の顔が迫ってありえないほど脈拍が飛んだ。彼女がそのままポケットから取り出したのは、先程のものとは別の飴玉だ。──薄い包み紙から透けるのは綺麗な天空の色。金箔の天の川が閉じ込められたそれは、小さな天球儀のように先輩の指の先で朧に輝いている。

「ほらほら、先輩の飴が食べられないの」
「え、えっと」

 口籠もるだけの私を嗜めるように、彼女は表情を緩めた。

「食べなきゃもったいないよ。飴なんだから。いつも頑張ってくれてる桜には、食べてほしい」

 突き出された飴の隙間から、先輩の栗色の双眸がちらつく。本当に、いいのだろうか。けれど、先輩は私にこそ食べてほしいのだと、そう言ってくれる。そんな後ろめたさと嬉しさの競合に負けて、手を伸ばしてそれを受け取った。離れない視線に促されてパラフィン紙を開き、その飴玉を口に入れる。

 瞬間、自分の味覚の記録を塗り替えるような味がひろがった。──おいしい。これは、とても、おいしい。ぱちくりと瞬きすることで感情を訴えると、「でしょ」と、おいしさすら霞んで見える先輩のはにかむ姿に再び胸がいっぱいになる。

「ごちそうさまです……」

 黙って飴をなめ続けていただけの私を飽きもせずに見つめていた先輩は、再び口角を上げた。

「よかった。……もしかして、ギルガメッシュが何か言ったりした?」

 その流れに鋭くメスを入れるような指摘に、先の彼との邂逅を思い出して背筋が少しばかり粟立つ。……問いには正しく答えなければならないが、手心を加える余地は残っているだろう。

「い、意地悪はされてませんからね。お話はしましたけど」
「そうだったの。大丈夫だった?」
「……とっても緊張しました。先輩は、あんな大変な方と共に居られるんですね」
「これでも結構慣れたけどね」
「最初はちょっと……心配してたんですよ。先輩には令呪がないのに、どうしてギルガメッシュさんはわざわざサーヴァントとしてここにいるんだろうって」
「……あ、気づいてたんだ。うん。だから私、ほんとはもうマスターじゃないんだ」

 唐突な告白に、──たとえそれが予測されうる範囲内の結果であったとしても身が強張った。これ言ってもいいのかな、とぼやきながら先輩は頭をかく。

「裏側に落ちた時、無我夢中でギルガメッシュと契約して、その時に令呪を全部あげちゃった」

 だから令呪がないんだ、と観念して苦笑する先輩につられて、つい私も眦が下がってしまった。

「──やっぱり、そうだったんですか」
「流石に健康管理AIの眼はごまかせない?」
「いいえ、これまで確かな証拠は揃っていませんでしたから。確信したのはたった今です。ギルガメッシュさんとやっていくのは目に見える以上に大変なんじゃないかな……とは思ってましたけど」

 頭を抱えて「まったくもって否定できない……」と呟く先輩は単純に微笑ましく思える。だけどそれはBBを倒した後、彼女を表に戻す算段が自分の中でついているからだ。そうでなければ彼女のあまりの未来のなさに、一周回って途方に暮れていたに決まっている。とんでもないことをしてくれた彼に対して、個人的な悪感情すら懐いてしまっていたかもしれない。

「じゃあこれも言っていいかな」
「はい? 何でしょう」
「岸波白野、告白します。実はギルガメッシュの地雷を踏んで殺される瀬戸際に立ったり、再三表に戻っても死ぬだけだって脅されたりしてましたー」
「ええっ!? そうだったんですか!?」

 不意に明かされた真実に、私の身体にも衝撃が走った。たははと笑う先輩に対して冷や汗が流れる。サーヴァント自身がマスターの命を危険に晒すなんて、英雄王が信頼に足ると少しでも推論してしまった私が間違っていたのだろうか。しかし、彼ならやりかねない。「だから最初は怖かったよ」と軽くため息をつく先輩の苦労の垣間見える表情は、感情値から推測しても真実であると判断できる。帰する所、英雄王は非道だ。危険だ。彼は彼なりのアルゴリズムに従って行動しているとはいえ、先輩の命を預かる安全性については大きな問題がある。「そんな人と一緒にいるなんて……」と頭を抱える私をまあまあ、と宥めて先輩は再び語り始める。

「そんなこともあったけど、最近では私のこと認めてくれてるのかな。それが我ながら単純なんだけど、本当に嬉しくて」

 彼女が少し伏し目がちにそう呟いたのを目の当たりにして、私の時間も止まった気がした。──それだけ優しい声が、彼女から零れている。穏やかながらも確かな昂揚感を示す波形が目の前に示されている。

「めちゃくちゃなことばっかり言うけど、ものの観方に筋は通ってるし。一生懸命励めば認めてくれるし、時々ものすごくわかりにくく褒めたりするし。あんな悪魔みたいな顔して、本当は人間大好きだし」

 先輩が手元の飴玉を虚空へ翳すと、夕暮れの光が淡く宝石を柔く照らして色をわからなくさせる。けれどその先にある彼女の視線はまっすぐ過去を振り返り、その景色を慈しんでいるように思わせた。

「あの人と過ごす内に、ひたすら眩しく思えてきたんだ。ギルガメッシュ自身も、ギルガメッシュと出会えたことも。きっとこれが、聖杯戦争までの記憶があやふやな今の私の中で一番輝いてる経験」

 彼の王について語る先輩の横顔は、驚くほどあたたかい。……それほどまでに彼は彼女の心の奥深くまで根を下ろし、彼女の道を照らしているのか。彼女の思い描く彼の姿は、自分の見たあの凄まじい迫力や酷薄な笑みからは殆ど推測できない。けれど、彼が真実〈裁定者〉ならば彼女の言は間違ってはいないのだろう。ムーンセルとは異なる理を敷いた眼で事物の本質を見極める。その厳しさの根底には存在一つ一つへの真摯な態度がある、ということか。

(その機能こそ貴様を貴様たらしめていることを──)

 彼の託宣を再び思い返す。──とてつもなく低い可能性ではあるけれど。もしかしてあれは、AIである私への彼なりのねぎらい、だったのだろうか?

「ギルを理解できなくても、知りたいと思い続けることは無駄じゃないって、今はそう思いたい。……表に一緒に行けないのは惜しいけど。その分、戦いの最後まで自分にも王様にも恥じない心でありたい。手を伸ばし続けていたいの」

 目を細めて虚空へ手を伸ばす彼女の視線の先に追いつけない。あのとき保健室で「諦めていない」と笑った彼女に懐いた所感と同じだ。そして、その手を取れるのは彼の王だけなのだと、わかってしまった。

 あなたはあなたのサーヴァントを尊いものだと口にする。けれど私はあなたをこそ高潔だと思う。どんなにちっぽけでか細い光であっても、絶対に自ら消えようとはしない灯火。それが人間らしさと定義される、彼女の持つ尊厳なのだろう。──そして、それはシステムである私が決して持ち得ないものだ。

「……せんぱい」

 それでも、私にはわからなくても。

「先輩のそれは、愛ですか?」

 無駄だとわかっていても、唇が先に動いていた。

「それは……どう、だろう」

 先輩は虚を突かれたように固まった後、真剣に首を傾げ始める。愛。このサクラ迷宮を踏破する道行き、様々な階層で直面した命題だ。科学は愛を否定する。だから、ただの機械の私には観測できても理解することはできない人間特有の事象。

「……大丈夫、誰にも言いませんから。先輩だって女の子ですもんね」

 なんて、凛さんから直々に学んだガールズトークらしい言い回しを真似てみせると、途端に先輩らしくない動揺が走る。今までおおらかに弧を描いていた感情グラフに、たちどころにサーフィンができそうな大波が押し寄せてきた。

「い、いやいやいや。ギルガメッシュのことは確かに信頼してるけど。そういう言い方だと大きな誤解が」
「凛さん、そういう反応は怪しいって言ってましたけど」
「どういう!? 至って普通のことしか言ってないけど!?」
「ふふ。そうは言っても先輩の脳波の乱れ、一分前からすごいです」
「そ……それは桜が変な言い回しするからで」
「でも──嫌いではないのでしょう?」

 そのことは理解できる。だって、好き嫌いは数値化できるものだ。少し興奮気味に耳を赤らめ息巻いていた先輩も、その一言で呼吸を落ち着けてばつが悪そうに視線を宙に舞わせた後、ゆっくりと微笑んだ。

「……うん。嫌いじゃない」

 その晴れやかな笑顔をみとめた途端、口元が綻ぶと共に、理由なく胸の奥が痛んだ気がした。

「そっか……先輩は見つけたんですね。人間が人間であることを証明する揺らぎを」

 呟いた本音はすぐ、からりとした先輩の笑い声に打ち消される。

「そうかな。愛って言うと途端に自分のものじゃなくなった気がするし……私も桜と同じよ」

 ひらひら手を振って苦笑する先輩の心におそらく嘘はない。けれど──先輩はまっすぐな人だから、謙遜は仕様のないことでも──その末尾の言葉だけはどうしても聴き過ごせなかった。

「そんなことありません。先輩は人間です。今はわからなくても、いつかわかる時が訪れるかも」
「もうすぐ死んじゃうかもしれないのに?」
「私が死なせません」

 だって、私が全部なかったことにするのだから。

 思わず強い語調になったせいか、不意を突かれたらしい先輩が瞬きのうちに私をじっと見つめる。……悪手を打った。慌てて伝えるべき事項を言い換える。

「──言いすぎましたね。私、先輩にはちゃんと生き残ってほしいですから」
「ありがとう。でも、大事なことは今自分がどう思ってるかなんじゃないかな」

 休めていた足へ重心をかけ直して、先輩は少しだけ首を傾げた。

「桜はこの旧校舎で過ごしたこと、私達の仲間として戦ったこと、どう思う?」

 彼女もまた、黄金の王と同じく私に問う。もちろん彼女の声音に鋭利さはない。あたたかくてやさしくて、ほんの少し残酷だ。何があっても私は〈私〉をリセットする。だから、覚えていられない。そのことについて嘘はつけない。

「……できることなら・・・・・・・、ずっと大事に覚えていたいです。ここで戦った皆さん、散っていった方たちのこと、──何より先輩のこと、忘れたくありません。ムーンセルのAIたるもの、記録保存だけが取り柄ですから」

 けれど、それが本心だった。現実に選択できないことであっても、こう思い続けたい。自分が消去されるべき存在であると痛い程理解しながら、それでもこの経験を得難く思う。BBと同じ顔をした私を仲間として信用してくれた先輩、そしてマスターの皆さんには、感謝してもし尽くせない。いや、もっと衒いなく言えば。楽しかったのだ。──先輩の傍にいられて、よかった。その事実をただ、ずっと忘れたくないと思っただけ。

「それがわかれば充分じゃないかな」
「え?」

 向かい合った先輩の栗色の瞳は凪いでいる。燃えてもいない。けれど、夕陽の橙を吸い込んだ双眸は暖炉のように、私をあたためようと照らしている。

「愛かどうかはわからないけど、何物にも代えられないぐらい大事だってことはわかるよ。ギルガメッシュのこと……もちろん桜も、凛やラニも。
 だから、桜にもずっと覚えていたい思い出があるなら。大切にしたいものがあるなら、それは」

 それが、心なんじゃないかな。
 確かに先輩はそう口にした。

 何も言えずに我を失った私の手を静かに取る。偽物の体温すら滲まぬ木偶にあたたかな指を絡めて握手してくれる彼女の笑顔に、声を紡ぐ機能を一瞬だけ忘れた。

「……飴、大切にしてくれてありがとう。私は桜が大事に持っていてくれたことも、こうして一緒に食べた思い出も、ずっと覚えてるから」

 もう一度ポケットをまさぐり差し出した先輩の掌の上には、何の変哲もない白い飴玉が慎ましやかに乗っていた。握手していた右手を解いて、その一粒をそっと握らせる。そんな風に言われたら、私は。咽喉もとへ引っかかる言葉を必死に呑み込んで「ありがとうございます」と受け取った。

「私も戻るね。ロケーション、楽しみにしてる」

 ほのかに笑んで踵を返す先輩に私も手を振る。彼女の姿が曲がり角に吸い込まれた途端、自分が意図せずして息を詰めていたことに気がついた。

 ああ──何てこと。あの迷宮の彼女たちよろしく、この私まで心の在処を指摘されるなんて。結局自分も、元から壊れていたということか。

 沸点を越えて溢れ出す涙を袖でぬぐい、変わらずひらひらと花びらを舞わせている大樹を見下ろす。窓硝子に手を伸ばしてそっと夜の帳を下ろすと、星々を散りばめた蒼穹が視界の端まで一面に拡がった。
 ──我ながら、いい出来だ。二〇三〇年三月の日本から観測できる夜空をほぼ完璧に再現したロケーション。先輩も今頃、彼と共に見上げてくれているだろうか。最後の戦闘を前にして、少しでも優しい気持ちになってくれているだろうか。ふと口元に手をやると、いつの間にか自分が笑っていることに気がついた。

 ──ああ。私は結局、嬉しかったのだ。壊れていると、AIとして欠陥品であると言われたも同然なのに。先輩にも、そしてきっと彼の王にも、自分の感情を肯定されたことに何の根拠もなく喜びを感じている。この感情すら壊れているからだと言われればそれまでだけれど──こうして私が在ることは、真実だ。だって私は在るのだと、彼女が言ってくれたから。だから誰に問われようと、何の気負いもなく私は口にしよう。私は、ここにいたんだ。だから覚えていたい。この身で得た経験も、先輩への割り切れない思いも、すべて夢に帰すまで。

 この心も飴玉も、蒼穹すら本物ではないけれど。きっと彼女の示した光に透かせばあの飴玉になる。私が信じたいと願った宝物に変わるだろう。

「──ありがとうございました。先輩」

 包み紙に手をかけて、私はそっと白紙の宝石を口に含んだ。

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