スティグマ賛歌 - 1/2

「ようこそお越しくださいました」

 私を出迎えたのは、写真で見ていた通りの美しい東洋系の尼僧だった。
 随分若い。東洋人は私達西洋人に比べ若く見えがちではあるが、それを差し引いても若すぎる。どれだけ年上に見積もっても二十歳がいいところだろう。もう数年すれば四十路を超える私にはあまりに眩い姿だ。白く透き通る膚を覆い隠す禁欲的な頭巾の下に覗く柳眉は嫋やかで、その下の琥珀色の瞳は蜂蜜のように今にも溶け出しそうである。三十余年続けてきた人生だったが、私はこんなに美しい人を今まで見たことがなかった。

「東洋風の部屋……ではないのね」

 入室した瞬間、巌のように固まった末、震える口から飛び出したのはそんな些細な世間話だった。だが、実際それはとても意外だった。真言立川詠天流。彼女の掲げる教えから想像していたのは、まず畳の床。そして壁一面の曼荼羅に金で彩られた仏像。広々としていながらもどこか閉塞的な大広間だ。だが、招き入れられた部屋はフローリングに生成りの漆喰の壁。仏像などどこにも見当たらない、至ってシンプルで明るく開放的な小部屋である。

「来られる方々に合わせて内装を変更しているんです。皆様に心よりリラックスしていただくことが問題解決の糸口ですから」

 そうしてふわりと春風のようにあたたかな微笑みを浮かべた彼女に、凝り固まっていた緊張の糸が少しばかりほぐれる。やはり宗教を志す人は年齢など関わりなく、常人からは想像もつかぬ精神性を持ち合わせているのか。そう感じさせる程のアルカイック・スマイルを受けた私は既に、彼女の虜にされていたのだろう。

 殺生院キアラ。彼女の名は現在の西欧財閥下の私の国でも少しずつ広まりつつある。世界でも有数の天才霊子ハッカー、そして国家体制がほぼ崩壊している日本で細々と生き残っていた密教の宗主。彼女は宗教活動の一環として、つい一、二年ほど前から霊子虚構世界を通じたメンタルケアを行っている。治療には彼女が開発した医療ソフトを用いるらしく、これまで治療を受けた患者の殆どから熱狂的な支持を集めている──それが私の聞いていた彼女の前評判だった。

「それでは、治療の前に治療方法の説明と簡単な質問を幾つかさせていただきますね」
「……ええ」

 簡単な受け答えを繰り返しながら、私はふと自分自身の意識について思いを馳せる。霊子ハッキングの才能がなくとも、ここ数年で誰もが電脳世界にダイブできるよう技術は進化した。世界的に見れば人類の活動は停滞しているとはいえ、細々とした変化はあるものだ。今、現実の私の肉体は眠りについていて、意識はこうして霊子化され遠く離れた場所にいるキアラと意思疎通することが可能となっている。精神と肉体の二元論に照らし合わせてみればおかしなことではない、というのが当世風の割り切り方なのだろう。だが──こうして精神と肉体を切り離したところで、私に刻まれた罪は消えないままだ。

「治療の目的は無論、あなたが心の蟠りを解き、安らぎを得ることです。その為に、私はあなたの心を理解する必要がある……その手段としてあなたの精神マップを作成していきます」
「精神マップ?」
「人間の精神構造を文字通り地図のように表現した電子カルテの一種、とお考えください。マップ作成には五停心観という医療ソフトを用います。これにより精神の淀み・乱れを測定し、あなたの心のありようを観測する。そして最終的には淀みや乱れを物理的に摘出する事で精神を安定させる……というのがおおまかな治療の流れです。
 とはいえ、このソフトは私とこの空間にインストールしてありますので、何か特殊な機器を使うということはありません。ここであなたと対話する内に自然と淀みや乱れは摘出されます」

 専門性の高い話を噛み砕いて説明してくれるキアラの顔を直視できぬまま、私は唇を噛み締める。ここは霊子虚構世界だ。確かに、彼女の語る言葉に筋は通っている。精神の淀みや乱れ──そんな曖昧な概念を物理的に摘出するなんて離れ技が可能だからこそ、彼女の治療は高い評価を受けているのだ。

「……罪も」
「はい?」
「罪も……消えるかしら」

 その言葉を発した時点で私の心の堤は決壊しそうなほどの感情の濁流に襲われていた。おっとりと、不思議そうに丸くなった彼女の目を睨むように見上げて、私は太腿を覆うスカートの布地を握りしめる。
 それは私なりの告解だった。神の門をくぐれない、それでもこうして無様に生きている私の、精一杯の。

「人は、時として人間として恥ずべきこと、裁かれるべき行いを犯してしまいます。ですが──」

 キアラは、顔色を特に変えた様子もなく白い手を自らの頬に添わせる。伏し目がちになりながら私をつと見つめたあと、彼女はふわりと首を振った。

「いいえ。これはあなたの心を解き明かしてから告げることにいたしましょう。早速治療に移ります。と言っても、身構えないでくださいましね。ただ私とお話してくださればよろしいのです。あなたから見た私は至らぬ未熟な娘にしか見えぬかも知れませんが……」

 自嘲するようにほう、と息をつく彼女に「そ、そんなことないわ。確かに最初は随分と若い方だと思ったけれど霊子ハッカーは年齢よりも才能が重要だって聞くし」などと言い訳じみた返事をする。でも、本心だった。「ふふ、ありがとうございます。嬉しい」と微笑む彼女に何故だかくらりと眩暈がする。

「ここへ来ようと思われたきっかけを教えていただいても?」

 そうして彼女が掌を掲げた虚空にキーボードが表出する。電子カルテに書き込もうとしているのだ、と気がついた瞬間自分でも意外なほどに背筋がぴんと伸びた。

「矛盾したことを、言ってもいいのかしら」
「もちろん。あなたの素直なお気持ちを聞かせてくださいな」
「……教会に行こうと、最初は思ったのよ」
「それは先程の、罪のお話に関係が?」
「ええ。でも──私、外に出るのが怖かった。何度もドアノブに手をかけては離すのを繰り返して、結局諦めることにしたわ。神様に赦しをいただくのは。……でも、霊子ハッキングなら外に出なくても世界を知ることができる。そこでたまたまあなたのことを耳にして──ここに来ることを決めたの」
「そうでしたか。ですが……電子瞑想であれば、他の教会に幾つか心当たりがあります。もしあなたがあなたの神への告解を求めているのであれば、そちらをご紹介することも可能ですけれど──それでもここにいらっしゃったということは」
「……そうね。自分でもよくわからないの。この罪を赦されたいのか、それとも赦されたくないのか」

 ああ、そうだ、何もわからない。わかりたくない。知られたくもない。だけれど──誰かにこの心を聞いてほしい。そうでなければ、私は本当に狂ってしまう。そんな相反する思いを以て、私は彼女に事の顛末を語り始めた。

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