もうすぐでわたしの最後の霊基再臨が始まる。その前に一度踊っておきたい。そのわがままを、マスターは快く受け入れてくれた。
いつものようにシミュレーターを起動させると、すぐに湿度を感じる森の中が拡がった。すぐ傍には湖畔がある。シーンの設定はこれが一番好きだった。まるでジゼルの第二幕のような静かな冷気が私達を包んでいる。この衣装でバレエを披露するにはぴったりの舞台だった。
「さて……これから、私はあなたの為だけに踊るのだけれど。その前に言っておきたいことがあるわ」
「うん。……ちょっと緊張するな」
「当然よ。私がこんな風に、たった一人の観客の為だけに踊るだなんて滅多にないことだから。光栄に思いなさい」
きっとマスターは一体どんな風の吹き回しだと考えているのだろう。一般的な人間は、きっと私を扱いにくいと感じている筈だ。ま、手軽に扱われてあげるつもりはないからそういう評価で私は構わないのだけれど。
「前に私を好きだと言ってくれたでしょう。これはそのお礼」
「お礼?」
「考えてみたけれど……やっぱりあなたに恋はできないわ。私の恋は相手を殺す。あなたに、以前のように恋をしてもその矛盾に耐え切れなくなって自壊するだけ。それは嫌なの。私はあなたのサーヴァントなんだから」
そう、私はあなたのサーヴァント。私にとって初めての、そしてきっと最後の。私が他の並行世界でサーヴァントとして呼び出される可能性は限りなく低い。私が、「私」の続きが、こんな風に夢を見ることは今生限りだろう。
「それでも……私はあなたが親愛を以て私に接してくれたことに感謝している。怪物である私を怪物のまま受け容れてくれたことに。自分自身以外を否定する強さではなく、他人の美を尊ぶ弱さを教えてくれたことに。あなたとの出会いは、私にとって本当に得難いもの。
その感謝のしるしに、私のバレエを贈ろうと思ったの。以前の私では得られなかったこの衣装を着せてくれたあなたの為に」
胸の内に湧いた素直な気持ちをそのまま彼に伝える。真っ直ぐ、目を逸らさずに。――彼もまた、蒼穹のような瞳で私の視線を受け止めてくれていた。
「俺は……前に、君じゃない君と出会ったことがある」
少しだけ沈黙が流れた後、彼は静かに口を開いた。それを聞いて一瞬動揺してしまったけれど、すぐに平静を取り戻す。――そういうことか。私に出会ったときあんなに嬉しそうだったのは。私を躊躇いなく好きだと言ってしまえる、その心は。あなたが私の知らない私に出会っていたからなのね。
「もうあの出来事はなかったことになったけど……俺の中ではずっと、大切な記憶なんだ。あの時の君がいたから俺は今、ここにいる。だから……」
そこで言葉を切って姿勢を正し、マスターは再びあのくしゃりと丸めたような笑みを浮かべた。
「感謝をしなきゃいけないのは俺の方だ。君があの時の君じゃなくても、俺はメルトリリスを信じてる。君が君である限り……メルトに、拍手を送り続ける」
ああ――彼の瞳は、やはり私には眩い。そう反射的に思った後、いいえと心の中で否定する。善なる彼の輝きは美しい。けれど、私だってエトワールなのだ。ならば彼を魅せる輝きを放ってみせるのが本懐というものでしょう、私。
「いいでしょう。とびっきりのバレエを見せてあげる。――何を踊りましょうか? やっぱりここはジゼルかしら?」
「ジゼル?」
首を傾げる彼は、ジゼルを知らないらしい。日本の男子高校生の一般教養にバレエが含まれていないだなんて、何と嘆かわしいこと! 「この衣装だって、きっとジゼルのチュチュよ」と唇を尖らすと、肩を竦めて「ごめんごめん」と彼は謝った。
「そうか、ジゼルか。俺はてっきり白鳥かと思ってた」
「白鳥――」
マスターの思わぬ発言に私は天啓を受けたかのように目を見開く。ああ――確かにこの衣装は白鳥の湖のオデット姫のようでもある。それか、瀕死の白鳥。傷ついた白鳥が生きるために必死にもがきながらも息絶える――死ぬ間際に美しい歌を歌うと言われる白鳥に相応しい、小作品。
「いいでしょう。なら、白鳥を踊ってあげる」
そうして、私は恭しくバレリーナとしてお辞儀をする。それにならって、マスターもまた拍手を贈ってくれた。そのまま私は湖畔のほとりで一人、踊り始めた。
ああ――私の知らない私もまた、こうしてマスターの前で踊ったのかしら。その時あなたはどんな踊りを披露した? ジゼルかしら。オディールかしら、セイレーン? それとも、瀕死の白鳥だったのかしら。――それならきっと。あなたは星のように美しい痛みで以て、彼を守ったのでしょう。
これは私のスワンソングじゃない。私の命はまだ終われない。私には、守らなければならないマスターがいるから。けれど――その時のあなたに負けないくらい、今の私も輝いてみせるわ。
「こんな身体にした責任、取ってちょうだいね?」
「もちろん!」
最後のポーズを執った後、そう言って私は彼を挑発する。彼もまた、私の挑戦を受け取って笑顔を見せた。そのかんばせに溢れた善性は――いつか夢で見た、あの子に少しだけ似ているような気がした。
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