ACT.4/海のそこで待ち合わせ - 2/2

「これは……」

 意識を目の前の視界へ戻すと、アーチャーは目を見開いて何か感慨に耽っている。彼もまた私のパスを経由して、今のイフを観測したらしい。

「……覚えてた? これ」

 何と声をかけようか少しだけ考えた後、私は興味本位でそう訊ねてみる。彼はすぐに首を振った。

「いや。……確かに君のような、手のかかるお転婆娘には出遭った気がするがね。記憶を手繰っても、顔はどうしても思い出せない」
「だよね」

 想定内の回答に納得して私は頷く。……何やら一言多いように聞こえたが、ひとまず今は目を瞑ってあげよう。
 本当のところ、さっきの問いに意味はない。私達の観測したイフの世界でも、彼が英霊に至る可能性は十分あるだろう。だが、目の前にいるアーチャーの中に、このイフ全ての記録が再現されていたとしたら、それはそれで記憶の矛盾が生じる。何より彼は既に銘を失っている。個人としての記憶を訊ねたところで、欠落した箇所の方が多い筈だ。

 ――それでも。この私にとっては、彼は命の恩人だ。そして観測したイフの世界でもそれは変わらない。巡り遭うのは一瞬だったとしても、その後すぐに別れてしまうのだとしても。そのほんの少しのすれ違いの中で、私は確かに彼に救われていた。

「わがまま、言ってもいい?」

 前置きをすると、アーチャーはいいだろうと言わんばかりに腕を組んで無言で続きを促した。では遠慮なく、と私も私で言いたいことを言わせてもらう。

「ちょっと残念」
「オレが君を覚えていないことが?」
「ううん。私がアーチャーに助けられてばっかりなことが」

 そう呟くと、彼は再び目を見開いた。アーチャーが驚いて目を丸くするところなんて、こう続けて何度も拝めはしまい。初めて彼を出し抜けたような気がして、私の口元もついつい綻ぶ。

 個々人の正義がその人の過去によって決定されるものならば、過去のない私にとっての正しさとは、自分自身に恥じない生き方をすることくらいだ。だから、ここまで精一杯生きたことについて後悔することは殆どない。自分の命がここで途絶えても、地上には友人がいて、私ではない「私」も生きている。気の利く友人のことだから、きっと位置情報を送っておけば、すぐに彼女を目醒めさせてくれるだろう。何も知らない私は、目醒めた後様々なことに驚くだろうけれど――この私のように、すぐに過去のない人生を一から歩んでいくことを決めるのだと思う。この私の終わりは、本当の終わりではない。だから悲しいことではないのだと胸を張れる。

 ――けれど。ムーンセルが記録した並行世界、様々な自分に近いイフを観測した上で懐く心情が一つだけ。どんな状況下であれ、一瞬の出遭いの度に自分を助けてくれた彼に対して、自分が一度でも何か返せていたなら。そんなささやかな祈りの火が、胸の内に点っている。

「これだけイフの並行世界があるんだから、私ばっかり助けられてるのはちょっと不公平じゃない? ……一つくらい、私がアーチャーを助ける世界があってもよかったのに」

 そう言って改めて彼を見上げると、彼の頭上――海面を介した天から光が差しているのがやけに目に入った。周囲の海洋生物と同様これはただのグラフィックに過ぎない。それでも、彼を照らす光芒は美しかった。眩しかった。紛い物の命であろうと、私もまた記録の中の彼女/彼と同じく彼に救われた。そこに光を見出すことは道理だと思った。
 私の祈りを受け止めて、アーチャーは静かに首を横に振る。

「君は君の思うまま、差した光の方へ駆けたんだ。その道程に付き合えたことが――オレにとって何よりの報酬だよ」

 答えは聞かなくてもわかっていた。……自明の理だ。男であろうと女であろうと、アムネジア・シンドロームに感染しようとしていまいと、私と彼が交わる可能性がある世界において、私が彼にできることは限られている。そもそもすれ違うことすら奇蹟のようなものなのだ。いずれ世界と契約する可能性のある彼が、私を助けることはあっても、その逆――人生の指針をまるごと変えるような、運命の分岐点に私がなる未来は、きっと殆どあり得ない。そう理解させられてしまった。

「わかってるよ……でも、最後くらいわがまま言わせてよ」

 ――だから、祈りだけではなく、ただの自己中心的な思いも一緒に呟いておく。それが叶わぬ夢だとしても。私に肩入れしてくれた無銘の英雄に、私も肩入れしたかったのだ。それだけの小さくて大きすぎる願いを。
 私の不遜な返答にやれやれといつも通り肩を竦めながらも、アーチャーは屈託なく微笑んでいる。そのまま彼は私の頭にぽんと優しく手を置いた。彼の大きな手から伝わる体温があたたかい。

「気持ちはありがたく戴いておくよ。……今はゆっくり眠りにつくときだ」

 アーチャーの言葉で、私はやっと身体の分解が始まっていることに気がついた。どうやらムーンセルは結論を出したらしい。あるがまま、私は事実を受け止める。身体は徐々に感覚を失い融けていくけれど――痛くはないし、案外と寂しくはない。アーチャーが傍にいてくれるからだろうか。

 それじゃあ、最後に伝えておかなくちゃ。私は精一杯の笑顔で彼を見上げる。よく表情が硬いなんて言われたお返しだ。私だってこれくらい笑える。それくらい、あなたといた時間はかけがえのないものだった。

「ありがとう。あなたに出遭えてよかった」

 そう言葉にした時に見た彼の笑顔を、私が忘れることはない。たとえその一秒後に私は消去され、この記録はどこにも残らないのだとしても。そのあたたかな世界の中で目を閉じることができるのは――何て希望に満ちた終わりだろう。

 そうして、私の意識は光の中に途切れていった。

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