Ⅲ タブラ=ラサ - 1/2

 なだらかに弧を描く砂漠。ごつごつと盛り上がる岩場。そして金箔をまぶしたような星空の帳が金と青の美しいコントラストを描いている。ギルガメッシュと出会った折、中天に一際大きく輝いていた満月の面影もここにはない。数えてみればもうすぐ新月の頃合いだ。

 さざ鳴りの音とマフラーがはためく様子から、傍で風が息巻いているのを感じる。以前であれば伸ばしっぱなしにしていた髪の毛も鬱陶しいくらいに靡いたのだろうけれど、既にそれはギルガメッシュに断ち切られた後だ。いずれにせよ今にも吹き飛ばされそうな予感はしない。コックピットが剥き出しな分、機体周辺の空気抵抗の働きはきちんと弱まっているらしい。それでもこんな高所に身一つでいるのはやはり心細いもので、ずり落ちないとはわかっていても彼の座す玉座の端を握りしめてしまう。ラニも同じ心地ではないのだろうかと、反対側に立っている彼女の方へちらりと視線を寄越すが、「流石はインド。スケールが桁違いですね」と若干上擦った声で呟いている姿を見る限りそうでもなさそうだ。

 私達はJRTVから降りた後、彼の宝物庫にしまわれていた飛行機──ヴィマーナに乗り込み、セファールの出現域を目指していた。ヴィマーナとはインド神話に登場する空飛ぶ戦車のようなもので、本当は飛行機というか戦闘機と言った方が正しいのかも知れない。
 今の状況を表現するならさながら夜間飛行といった趣だが、ロマンチックな響きに浸っている暇はない。私達はこれより目覚めたばかりのセファールと戦うことになるのだから。

「そろそろ彼奴の射程範囲だ。気を引き締めよ」

 ギルガメッシュの発した言葉にどきりとしつつも、ふと疑問が湧く。射程範囲って、相手は何か飛び道具でも持っているということだろうか。私の困惑した顔を見上げた後、ギルガメッシュは無理もないと言いたげに息をついた。

「セファールは軍神の剣を武器とする。だが、その剣はただ物を断ち切るばかりではない」
「軍神……まさか、異邦人でありながら巨人はこの地の神霊の力を振るうということですか」
「彼奴は一万四千年前、軍神マルスに打ち克った。その際の戦利品として得たのがマルスの持っていた光の剣だ」

 彼とラニが言葉を交わしている内、進行方向手前にぼんやりとした白い光が浮かんでいるのが見えてきた。途端、機体がぐらりと横に揺らいだ。「うわ、ちょ、落ちる!」と焦ったも束の間、私は重力と引力の法則を無視するように反転したヴィマーナの上にきちんと立っていることに気がつく。「たわけ、我が契約者であるならばその程度で焦るな」などとギルガメッシュから軽い罵りを頂くが、普通の人間はこんなとんでも便利道具に慣れていないのだから仕方ないと思う。

「迂回しながら接近する。見よ。あれが──我等の倒すべき敵だ」

 ──そうして。彼が顎で促した方へ視線を遣ると、そこにはほの白く発光する何か──異様な命が。文字通りの巨人が、蹲っていた。

「あれが……セファール……?」

 まじまじと眺めていると無意識の内に息を呑んでいた。まるで花嫁のようだ、と思ったのは白いヴェールのようなものを頭に被っているからか。体つきも女性的だ。だけど花嫁から連想する幸福感も優し気な笑顔もそこにはない。頭部に浮かんだ表情からは何の色も感じ取れない。
 これが一万四千年前の時を経て現れた破壊の化身。そう認識して肩が強張った。鼓動のペースもどんどん速まっていく。怖くないわけがない。巨大生物の群れ相手でも怖いのに、更なる未知の巨人と戦うことになるなんて。普通に考えたら私なんかには無理だ、と思う。

『人間とは、斯くあるべきです』

 ああ、だけど。鼓動の音と共にラニの声が耳の奥で鳴り響く。

 私は、ただラニと一緒に生きたいだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん彼女との生が喜びに溢れているに越したことはないのだけれど、それは私達が自分の手で作っていく未来だ。誰かに願ったり、叶えてもらったりするようなものじゃない。だからその夢を壊すものがいるなら立ち向かう。……うん、それは人間であるなら当然の選択で、当然の答えだ。

『どれ程非力であろうとも、今の我のマスターは貴様だ』

 ああ、どういうわけか。ギルガメッシュからもらった言葉まで思い出してしまう。

 ギルガメッシュのことは──まだよくわからない。私は彼がどんな人なのか知らない。何故私達に協力してくれるのかも。ラニと旧知の仲らしい、ということはラニと月の聖杯戦争で出会ったり、はたまた彼女のサーヴァントだったりしたのだろうか。仮にそうだとしても、彼のような傲岸不遜な王が私の剣となってくれている事実は未だに信じがたいことなのだけれど──ああ。改めて考えてみて腑に落ちた。私は、彼を信じたい。彼の信じてくれる私を信じたいから。
 最高の武器と自らを称し、そのマスターとして相応しい人間であれと彼はこれまで何度も口にしていた。それはきっと彼なりの、私への信頼の証だ。だったら私は、彼のマスターとなった私にしかできないことをするしかない。

 だったら戦える。私は、大切な人との未来の為に──最高の武器を使いこなしてみせる。

「漸くらしいヽヽヽ顔つきになったな」

 はっと声がした方へ振り向くと、玉座についたままのギルガメッシュが笑っている。……その表情の柔らかさに正直驚いた。今まで見せてきた恐ろしい悪鬼のような嘲弄ではなく、空の上の標星でも見上げるような眼で、彼は私を見つめていたから。

「ラニ、隔壁の用意はいいな。白野、行くぞ」
「もちろんです。ファイアウォール、展開します!」
「う、うん──二人とも、お願い!」

 ギルガメッシュの声に促されて私が首を縦に振ると、ラニがキーボード型の端末をタイプする。途端、ヴィマーナの周囲に防御壁が形成された。その外側に黄金の蔵へのゲートが無数に開かれる。その中から現れた多くの剣や槍といった長物の鋩が、立ち上がろうとしている巨人の方へと向けられた。

王の財宝ゲート・オブ・バビロン!」

 彼の声と共に、数えきれない程の剣の雨が巨人めがけて降り注ぐ。その一つ一つが釘のように巨人の手足を縫い留めるように刺さった。巨人が身体を震わせ、張り上げていた甲高い声が途切れ途切れになる。しかし巨人は足を踏ん張った後、刺さった剣の山とその地面ごと持ち上げた。

「効いてない!?」
「……いや、よく見よ」

 ギルガメッシュが指さした方は、ばたついている足ではなく岩場で痙攣している手の方だ。巨人の掌は体躯と比較しても異様に平べったく大きい。だが一際目を引くのは、その真ん中に空いた空洞。そしてその空洞を埋めるように嵌まった、コズミックブルーの立方体だった。

「あれは……セファールのコアでしょうか」
「おそらくな」

 ラニとギルガメッシュのやり取りで合点がいく。巨人を足止めしたくば、足ではなくあの手のコアを狙うべきということか。

「ギル、あの部分を狙って撃てる!?」
「我を誰だと心得ている」

 にやり、と口角を上げてギルガメッシュは再び黄金の蔵を開放する。そこから射出された剣は、未だ動きの鈍い掌に集まる集中線を描いて巨人の身体を切り裂いた。巨人は鬱陶しげに首を振って身悶えする。

「様子が変ですね。英雄王の攻撃が効いている、とも言えますが」

 ラニの冷静な分析を元に注意深く巨人の動きを観察する。……変、か。確かに、思っていた以上にセファールは大人しい。もちろんその体躯の為に、僅かに動くだけで地震が起きてしまうのは事実だが。私が当初想定していたのはもっと積極的な攻撃を仕掛けてくる姿だった。

「彼奴は破壊の化身。当然本能的な破壊衝動はあろうさ。だが、それを行う為の肉の器がどうやら不完全のようだな」
「うまく立ち上がれない、とか?」
「そのようだ。ふん、あの技師め。完全にセファールを覚醒させるには至らなかったか」
「……待ってください、ギルガメッシュ。巨人の脚に刺さったままだったあなたの剣が、身体に吸収されています!」
「──何?」

 ぴくりと眉を動かしたギルガメッシュの纏う空気が一変する。怒気を孕んだ彼の赤い瞳は一際鋭く巨人を射抜いている。私も、彼と同じく巨人の脚の方へ視線をずらす。すると──確かに釘のようにいくつも巨人の脚を穿っていたそれらが、見る見るうちに巨人の身体と一体化していくのがわかった。

「セファールの体は見たところ、特殊な霊子集積体によって構成されているようです。何某かによって加工された魔力ならば際限なく吸収し、自身の栄養分に変換してしまう」
「え……じゃあ、こっちがどんな攻撃を仕掛けても無駄ってこと!?」

 ラニの解説を聞いて私は衝撃を受ける。こちらの攻撃が向こうにとっての栄養分だなんて、そんなのあんまりだ。攻撃を無力化されているどころか糧にされているならば、セファールは無限に、それこそ地球上の全ての文明を破壊するまで成長し続けるだろう。一万四千年前の脅威の一端をやっと理解できたような気がしてぞっとする。私達が立ち向かおうとしている相手は、何と強大な侵略者だったのだろう。

「早計に過ぎるぞマスター」

 だが、ギルガメッシュの不機嫌な声を聴いてふと我に返る。「え……?」と不安な表情を隠せないまま呟くと、彼は腕を組んでむすっと眉間に皺を寄せた。

「それはあくまで奴の身体の大部分における話だ。あの掌に浮かぶコアは別であろう」
「はい。あの核は単機能に特化した構造です。恐らく巨人の演算装置として駆動しています。ここは魔力吸収の効率が他に比べて極端に悪いようです。巨人の腹部に浮かぶ大きな立方体も、こちらと同じ性質でしょう。胸のコアが本体、掌のコア二つがバックアップかと思われます」

 ラニの言葉の通り、私は猫背になっていてこちらからだとよく見えない巨人の腹部へ目を凝らす。すると確かに、巨人の胸の下には大きな空洞と中に浮かぶコアが存在しているのが見えた。

「再生が追い付かぬ程の攻撃をあの三つの核に与える。さすれば彼奴は脳と心臓部を破壊されたも同じ。そうだな、ラニ」
「ええ。……ですが、今のままでは足りません。吸収の効率が悪いとはいえ、あのコアも巨人の身体の一部。決定的な打撃を与えることができなければいたちごっこが続くだけです」

 そうラニが口にした瞬間、巨人はむずがる子どものように首を振って、自由が利かなかった腕を力任せに振り上げた。そのまま振り下ろされた手は忽ち地割れを起こす。……本当だ。ギルガメッシュの攻撃に意味はあるが、この調子では決定打にはならない。それどころか、その内じわじわと巨人が魔力を吸収し、往時の身体──一万四千年前と同じく、自由に大地を踏み荒らし文明を蹂躙することのできる器を取り戻してしまうかも知れない。

「ならば、それ相応の財を使うまで」

 いつの間にか握りしめていた拳が彼の一声でぱっと緩まる。見ると、ギルガメッシュはとても正義の味方とは思えない程あくどい笑みを浮かべている。……いや、彼は一言も自分を正義の味方だなんて名乗ってはいないのだが。私達人間の仲間というより敵と言った方がわかりやすい顔つきだと思う。
 けれど、今ここにおいては彼が私達の道標だ。だから私は──ギルガメッシュを信じる。そしてあの巨人を倒すのだ。

「じゃあまず巨人の動きを止めよう。あんな風に無軌道な動きをされたら、狙いもつけてる間に吹っ飛ばされかねないし」
「同感です。先程耳にした軍神の剣もいつ繰り出してくるかわかりません」
「よかろう。魔力を回せ、マスター! いざという時は令呪も惜しむなよ!」

 ギルガメッシュはそう高らかに宣言して、空中で一時停止していたヴィマーナの舵を切った。艦はスピードを上げ、私達はより巨人の方へ接近していく。

王の財宝ゲート・オブ・バビロン──!」

 黄金の蔵から射出された武器は先程の二倍近くあるように見える。確かにこれは大盤振る舞いだ。剣のスコールは再び巨人の手の核周辺に降り注ぎ、癇癪を起こしたように巨人は首を振るが、手は力なく撓垂れていく。

「はっ、口程にもない」
「右手ももうすぐです!」
「……っ、お願いギル!」
「言われずとも!」

 ギルガメッシュの武器の射出スピードが更に速まる。巨人右手へと集中砲火された剣の大群が、まるでそれら全てを合わせ一振りの剣を成しているかのようだ。痙攣する巨人の腕に描かれた複雑な紋様が剣の輝きにあてられて仄かに発光している風に見える。ああ──恐ろしい破壊の化身であることに変わりはなくとも、その様は綺麗、かも知れない。

「……まさか」

 はたと、ラニが何かに気がついたように口元に手を当てる。「どうしたの?」と目配せすると、彼女は青褪めた顔で首を振った。

「ギルガメッシュ、今すぐ全速でヴィマーナを北へ! 一刻も早くここから離脱するのです!」
「何? ──っ!」

 ギルガメッシュはラニの進言に眉を顰めた後、彼女の言わんとすることに気が付いたのか停止していたヴィマーナを急発進させる。ぐるりと機体が一回転し三半規管が狂う感覚を覚えつつ、急な展開に理解が追い付かないまま巨人の方へと私は振り向く。
 ──その先には、言葉を失う程に美しい──けれど同じくらい、立っていられない程の恐怖をもよおす光景が拡がっていた。

 セファールの右手には、剣が握られている。

 ギルガメッシュが巨人へ撃ち出した武器の山が、三色の眩い光に包まれて──オーロラを映したような一振りの剣へと変化している。

〈 A────── 〉

 その須臾しゅゆ。全てをかき消す程の光と音が、大地を劈いた。
 剣から放たれた熱エネルギーの衝撃により、ラニの築いた隔壁に数秒足らずで罅が入る。

「白野さん、危ない!」

 咄嗟にラニが私の背後へ飛び出した。あ、と止める間もなく彼女の体が爆風に直撃した。それより間髪入れずに壁と彼女の体ごと、私は足場を失い吹き飛ばされていた。

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