Ⅳ ティアー/ドロップ - 1/6

 また、夢だ。

 草がそこいらに生えている以外は何もない野山で、目の前で静かに燃える焚き火の揺らめきを眺めている。飯盒が吊り下げられているのを見る限り、野外キャンプの食事みたいだ。当然だけれど手を伸ばすとあたたかい。食事にありついてもいないのに、この火を見るだけで何故だか心の内がほかほかと満たされていく。

 背後から聴き慣れた声がかかって、振り向くと景色が変わっていた。先程の野山とは打って変わって歓楽街の中に私はいた。色とりどりのネオンや看板がそこら中に氾濫している様はずっと見つめていると目が痛いくらいだ。それでも何となく浮き足立った心で、誰かに手を引かれながら私はきょろきょろと辺りを見回している。

 いつの間にか座っていたベッドの上で、私はあたたかいマグカップを手にしている。ひたひたに注がれていたのは優しい乳白色。ホットミルクだ。火傷しないように息を吹きかけつつ口をつけるとほんのりと蜂蜜のフレーバーが舌を撫でる。すると急に後ろから抱きしめられて、驚いた。だけど──全然嫌じゃない。寧ろ嬉しくて叫び出しそうなくらいだ。

 突然浮遊感に襲われる。けれど誰かの腕の中には収まったままだから、怖くない。怖がるよりもやらなくちゃいけないことがある。降りしきる雨の中、会いに行かなくてはならない人がいるような気がした。降り立ったビルの屋上を誰かの背中を追って駆けていく。私は私である為に、この先へと進まなくてはならない。

 ……映写機のように視界は回る。何て、目まぐるしい物語。楽しい記憶、悲しい記憶、様々な感情が私の脳裏を掠めては泡沫のように消えていく。その炭酸水のような泡の中で、次第に手足の感覚が薄れていく。名残惜しい気持ちは確かにある。けれど心は意外にも晴れやかだ。──本当に多くのものを得た。こんなに長く、あなたと同じ夢を見続けることができるだなんて思わなかった。だから、これでいい。これで終わりにしよう。でも一つ気がかりなのは、後に残してしまうあなたのことで──

『白野』

 ……ああ。やっぱり、その声はどこかで聴いた、ような──

✦ ✦ ✦

「……あ」

 そうか。そういうことだったのか。
 ふと、全ての線が繋がった時、いつの間にか私の瞼は開いていた。

「白野さん……!」

 知らない天井だなあ、と呑気に眺めている間もなく、悲痛な声がした方へ視線を遣るとラニが駆け寄ってきた。ところどころ包帯を巻いているのが痛々しいが、ある程度は回復したらしい。

「ラニ、よかった……」
「私よりも自分の方を心配してください。半日も目を醒まさなかったんですからね。一時はどうなることかと思いました」

 そんなに寝ていたのか。道理で長い夢だと思った。表情にはあまり出ていないが、ラニは露骨に怒っている。……まあ、そこは何というか、面目ない。自分でももっとうまいやり方があったと今は反省する。「悪かったって」と起き上がろうとすると、ずきずきと火傷でもしたような痛みが背中全体から噴き出した。治療はしてもらえているのだろうけれど、余程状態が悪かったのだろう。

「もうあんな無茶はやめてください。心臓に悪いです。心臓がなくなっても私は稼働しますが」
「ホムンクルスジョーク」

 そんな他愛もない言葉を交わして、見つめ合った後私達はちょっとだけ吹き出した。……こんな笑顔、お互い久々だ。ここ最近ずっと何かと戦ってばかりで、こんな彼女との日常を忘れがちだった。だけど、私が何より大切だと思ったのはこの日常だ。

「レオ達が広間で待っています。白野さんが目覚め次第こちらへ来るようにと」
「……あのさ、その前にちょっと聞いていい?」
「はい?」

 ラニの促しに応じてベッドから這い出つつ、私は彼女に訊ねる。今まであまり踏み込まないようにしてきたこと。彼女が話したがらないことを私が深掘りするのはどうなんだろう、とずっと思っていたことを。

「私、月の聖杯戦争に参加してたの?」

 できるだけ重くならない声のトーンで訊ねる。するとラニはわずかに唇を震わせた後、ゆっくりと頷いた。

「……ええ。確かに私はあの月で『あなた』と出会いました」

 そうして、彼女は月の『私』──『岸波白野』についてぽつぽつと語り始めた。

 月の岸波白野は地上の岸波白野、つまり私という人間の記録を元にして造られたNPCだった。何かのはずみに人間としての自我を得て、マスターとして選ばれた。ラニとは聖杯戦争序盤から既に顔見知りで、ラニが戦いから脱落し電脳死する危機に陥った時、それを助けたのが彼女だったらしい。
 彼女は最弱のマスターでありながら戦いを勝ち上がり、遂にはムーンセル中枢にて待っていたサイバーゴースト──大規模な戦争を地上で起こすことにより、世界を変えようと目論んでいた男をも破った。けれどムーンセルはNPCを人間とは認めない。ムーンセルを封印し、ラニが地上へ戻れるよう願った後、彼女自身は不正データとしてムーンセルに消去されたという。

「黙っていてごめんなさい。今まで言わなかった……いえ。言えなかったのは、あなたに彼女を重ねてしまう自分が後ろめたかったからです。目の前のあなたが月での出来事を何も知らないことも、あの月の彼女とは別人であることもわかっています。それでも……」

 そう言ってラニは視線を落とす。……そうか、ラニはそこまで私のことを──月の私のことも、そして今の私のことも考えてくれていたんだ。わかってはいたけれど、改めて嬉しくなって私は口元を緩める。

「きっと、今の私も月の私もそんなに変わらないよ。私みたいなへっぽこ魔術師ウィザードが聖杯戦争で勝ち残るなんて正直想像できないけど。その時の私も、多分ラニのことを助けたくて助けただけだったんだ」

 それは本心からの言葉だった。確かに私は月での出来事を何も知らない。話してもらったところで、自分のことだとは到底思えない。けれど──月の岸波白野が本当に、私という人間を再現していたのだとしたら。私は迷わずラニを助けるだろう。たとえ自分が消滅しなければならないとしても、次に続く誰かがいればいい。それはとても眩しいことだ。だって──月の私がラニを送り出したからこそ、今の私がここにいるのだから。

「白野さん。既に気がついているかも知れませんが……月であなたと契約していたサーヴァントは、ギルガメッシュでした」

 ラニは再び私を見据えて、もう一つの真実を告げる。……うん、やっぱりそうだよね。繋がった線が間違っていなかったことに納得しながら、私は頷く。

「元々、白野さんは別のサーヴァントを従えていました。ですがとある事件によって、悪性情報の吹き溜まりである月の裏側へ落ちてしまった際にそのサーヴァントを失い、代わりにそこで封印されていたギルガメッシュと契約した……そう聞いています。私にその記憶はありませんが。とにかく、月のあなたは彼と契約を結んでムーンセル中枢へと至ったのです。彼がこの危機に際して助力してくれるのは、きっと……」

 彼女が言いかけた途端、軽くドアを敲く音が聴こえる。「はい」と返事をすると、外にいるらしいレオのSP達が声をかけてきた。ラニに目配せして、私はベッドから立ち上がりドアに手をかけ外へと踏み出す。……月の彼女と、そのサーヴァントだったギルガメッシュ。その二人に思いを馳せながら。

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