Ⅳ ティアー/ドロップ - 6/6

 なめらかな乳白色が清潔な部屋の中に満ちている。
 静謐な空間で音を刻んでいるのは時計のカチコチという秒針だけ。目の瞬きすらぱちぱちと音が響いてしまいそうなその中で、ギルガメッシュはベッドの上に横たわった一人の少女を表情なく見下ろしていた。

「貴様はそれでよいのか」

 彼の声の落ちた先の少女は僅かに首を動かす。それが今の彼女にできる肯定のしるしだ。

「うん。ギルには苦労、かけちゃうけど」
「それを言えば貴様、この七十年程で我に対し一体幾等の負債を背負い込んだと思っている?」
「聴きたくないなあ……」

 苦笑する少女の頬をギルガメッシュの指が撫でる。もう彼女には体温が再現されない。頬を抓っても、いつものように額を弾いても、痛覚を感じ取ることもできない。

「応じぬ選択肢も貴様には残っている」

 はあ、と大きなため息をついて彼は腕を組み、彼女を諭すように呟いた。

「そも貴様もお人よしが過ぎるというものだ。どこへなりとも消えて行けと貴様を月より追い出したムーンセルめからのSOSに、わざわざ手を貸してやろうとは」
「でも、『私』とギルじゃなきゃだめなんでしょう」

 ギルガメッシュの甘言に少女は動じた素振りを見せない。ほんの七十年弱の間に出会ったばかりの頃からは考えられぬ程の図々しさを身に着けたらしい彼女は、ほのかな笑みを浮かべて彼をまっすぐ見つめた。

「行って、ギル。私はもう大丈夫」
「……」
「これが最後のお願いだから。わがままだけど聴いてほしい」

 そう言って少女は最後の力を振り絞り、星に手を伸ばすように左手を宙へ掲げる。彼女の手の甲には、赤い刺青に似た紋章が一つだけ浮かんでいた。

「令呪を以て命ずる。ギルガメッシュ──地球の『私』を助けてあげて」

 少女──岸波白野の声に応じるように、紋章は紅の光を放った後彼女の手より消失した。一五〇〇光年を跳び越えてからついぞ使うことのなかった最後の令呪。それをきっかけにして、ギルガメッシュの強制転移が始まった。
 こんな令呪、彼は撥ねつけることだってできた。それでも彼は、彼女の願いを聞き届けることにした。

「まだ向こうでは二年しか経ってないなんて不思議だね。向こうの私は十九歳かあ」
「安心せよ、二年経っても貴様のその胸は大して育っておらぬと断言しよう」
「見てもないのに断言しないでよね」

 口を尖らせた後、ふっと何もかも忘れる程の静かな笑みを浮かべた彼女は、次第に光の中へと消えていくギルガメッシュを眩しそうに見上げた。

「さようなら。ギルガメッシュ、私──とても楽しかった」

 少女はそう言ったきり目を閉じて、再び眠りに落ちていく。その像を結んだのが、ギルガメッシュにとっての最後の一五〇〇光年先での記憶となった。
 転移の中、銀河を一人漂うようにして彼はこれまでの旅路を思い出す。実に様々なことがあった。生きる愉しみを知らぬ少女が世界に触れ、目を丸くするのに笑った。道理の通らぬ光景を見て、憤りながら悲しむ少女にただ寄り添った。それは泡沫のように消えていく人間のありふれた生涯だった。──それでも。忘却することのない彼の身には、その全てが確かな余韻として刻まれていた。

「ならばよい。貴様の物語の続きは、我がしかと見届けよう」

 彼女の最後の言葉に呼応してギルガメッシュが独り言ちたとき、漸く彼の目にも故郷の星が映し出された。一度目を閉じた後、彼は夢から醒めるように目を瞬いて故郷へと手を伸ばした。

 これが我等の長く短い旅の終わり。だが、これは貴様の物語の終わりではない。貴様が抱いた心の煌めきは確かに我が繋げよう。

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