「ラニ────!!」
腕の中のラニがどこかに行ってしまわないよう何とか抱き留めるが、凄まじい風圧に負けて思わず目を瞑る。砂埃が目に入って思わず涙まで出てくる。防御壁を張ろうにもこの暴風の中では体の自由が利かない。このままじゃ私もラニも落下して死んでしまう──どうにか、どうにかならないのか!? そうだ、肝心のギルガメッシュはどうした。自らを最高の武器だと宣うのならこんな時こそ助けてくれるべきなんじゃないのか。私はラニと生きたい。その為にあなたというサーヴァントがいる。助けてくれと私は言った。だったら最後まで──手を貸すのが筋の筈だ!
「……来て……ギルガメッシュ────!」
──そう、彼の名を無我夢中で叫んだその時。左手に刻まれた令呪が一際熱く疼いた。
「無論だ! ──我がマスターよ!」
全身を圧し潰すような暴風がいつの間にか凪いでいる。落下していく感覚もない。それどころか何か柔らかいものに乗っかっている。恐る恐る瞼を上げると、腕の中には変わらずラニがいる。身に着けた魔術礼装はボロボロ、怪我をして気も失っているようだが息はしっかりとある。
「よかったあ……」
流していた涙の理由が目に入った塵からラニが生きていたことへの安堵に変わる。……だが、そう気を抜いてばかりもいられない。というか、どうしてさっきまで空中で落下していた筈なのに足場があるんだろう?
「おい。友を思う心はよいが、我を称える言葉も忘れるな」
ギルガメッシュのよく通る声にはっと顔を上げると、黄金の鎧姿の彼がこちらに背を向けて目の前に立っていた。彼が手を伸ばしている先には花弁のような盾が展開されている。
「……全く。我も疾く盾を持ち出すつもりであったが──先を越されたわ。ラニの貴様への思い入れがよもやそこまでとはな。これもまた心を持った人形の宿業か」
ぶつぶつ文句のような、それでいて何か感じ入ったような横顔を見せながら彼はもう片方の手を挙げる。すると足場がゆらりとはためいて、突如先程のヴィマーナと変わらぬ速さでその場を離れ始めた。「わ、な、何!?」と慌てふためき足下をよく見ると、そこには真っ赤な絨毯が一面に拡がっていた。以前ラニと二人で市場に出かけた時に見かけたような、エスニックな意匠が豪奢にあしらわれている。どうやら私達三人は、空飛ぶ絨毯に乗っているようだった。この王様、こんなとんでもアイテムなんて持っているのか。けれどいい加減驚きの感覚も麻痺してくる。インドの空中戦艦を所有している彼なら、空飛ぶ絨毯だって出してきてもおかしくはないだろう。
「ギルガメッシュ……あ、ありがとう」
次第に風が止んでいくのがわかる。岩場を乗り越えて、絨毯は徐々に降下していく。花弁を通してちらりと風の向こう側──巨人のいる方を見遣る。光の剣こそ既に消失しているものの、巨人は変わらずどうにか身体を動かそうと不規則に脈動しているようだった。……その光る赤い瞳から目を逸らし、腕の中のラニの身体をもう離さないとばかりに抱きしめる。
怖い。はっきり言って、恐怖が止まらない。あの巨人はめちゃくちゃだ。突然私達の目の前に現れて、ただ破壊の為に破壊を行おうとしている。無差別に全てを蹂躙し、楽しかったことも苦しかったことも、よかったことも嫌だったことも──全部全部なかったことにしようとしている。私達のようなちっぽけな人間が立ち向かったところで、ひとたまりもない。先の光に包まれて、それがどうしようもない現実だと──理解できてしまった。
「暫く下がっておけ」
岩場の陰で絨毯は動きを止めた。巨人は完全に見えなくなり、ギルガメッシュもまた蔵へと盾をしまう。その時彼は、私の顔を見ずにそう言った。そんな彼の声に私の矮小さ、惨めさを思い知らされるようで──何故だか。怒りのようなものが湧いてくる。
「……どうして」
「酷い顔つきだ。ラニも当面目を醒まさんだろう。ここで休め」
「見てもない癖に……」
「見ずともわかる」
「あなたに私の何がわかるの!」
「では貴様は己の何を知っている?」
ギルガメッシュが寄越した透徹の瞳は、私の心臓を正しく貫く。
「岸波白野。貴様は未だ何者でもないただの人間だ。今ならどんな道も貴様は選べよう。であれば我に示せ。その白紙の心を──貴様は何の為に燃やす?」
だから、私もまた睨みつける程強く彼を見つめる。彼の纏う黄金の鎧に、何も持たない私ではかすり傷一つ負わせられまい。けれど──この視線だけで、彼の頬を切るくらいはしてみせる!
「私が信じる明日の為だ!」
そう、渾身の思いを咽喉に叩き付けた。
仁王立ちで私の叫びを真正面から浴びたギルガメッシュは、真顔のまま暫くこちらを見つめた後、唐突に形の良い唇を綻ばせる。初めは魔性だと感じた彼のルビーの瞳も随分と柔らかい印象に様変わりしている。まるで、私を慈しんでいるかのように。
──どうして、あなたは私にそんな顔をするの?
口に出す前に、ギルガメッシュは踵を返して宝物庫を肩の上に拡げる。その中からぽろりと小さな欠片のようなものが彼の籠手の中に落ちた。
「持っておけ」
「え……!?」
そう言って彼は手の中から私へ欠片──指環を、投げた。不意の出来事に地へと取りこぼしそうになるも、何とかラニを抱いたままそれを掴む。
「ちょ、ちょっとこれってすごい大事なものなんじゃ」
「本来これは我が持つべきものではない。我のマスターが身に着けるべきものだ」
「……は!?」
「代理として我が保有していたがな。マスターである貴様が持っていれば、サーヴァントである我も変わらずムーンセルの力を引き出せる」
ギルガメッシュの種明かしに腰が抜けそうになる。いや、じゃあ最初から渡しておいてほしい!と抗議しようとして、はたと気がついた。……これ、もしかして彼なりの信頼の証ということなのだろうか。理解した瞬間何故か心の奥が変に沸き立ち始める。まったく、私も私でどうかしている。こんなめちゃくちゃな方法で自分を認められたことが、これ程嬉しいだなんて。
両手の中に収まったレガリアをまじまじと見つめる。本当に私が嵌めてもよいものなのだろうか? 私が持つべきものらしいが、ムーンセルの力を自在に引き出せる代物だなんて嵌めたら爆発するとか、そういう危険性はないのだろうか。そんな疑いが晴れぬまま、恐々と利き手ではない左手の人差し指に嵌めようとすると、少しきつくて入らない。小指だと緩くてすぐに抜けてしまいそうだ。薬指は──ぴったり。案外何事もなくレガリアは私の手に馴染む。
すると突然、女性的な機械音声が鼓膜の内側から響き始めた。
【──スタート、確認しました。あなたの価値をスキャンします】
【ラベル:聖杯戦争勝利者代理】
【カテゴリ:有・測定拒否権につき免除】
【クオリティ:E‐】
【本人確認:岸波白野・女性】
「え……?」
今。何か聞き捨てならない言葉が聞こえたような。
〈 A────── 〉
だが、それに驚く間もなく──大地を劈く高い声が再び風と共に巻き上がった。
幾ら岩場の陰とはいえ、完全に暴風から逃れられるわけではない。地震に蹲りながら、私はこの峠の向こうにいる巨人に思いを馳せる。赤く発光する瞳。吐息だけで人間など容易く吹き飛ばせてしまえる巨躯。そしてあの光の剣。やっぱり、あれと向き合うのは途轍もなく怖い。だけど怖いと竦んでいるばかりでもいられない。だって──この足は、ただ前へ進む為についている。
「……ギルガメッシュ」
「ふん、声が震えているぞ。先程の威勢のよさはどこへ──」
「レガリアって、どう使ったらいいのかな」
震えた唇のまま思ったことを口にすると、ちらりと視線をこちらに遣っていた彼は少しだけ目を瞠る。その後すぐ満足げに口元を綻ばせ、ぎらりとセファールの方を睨みつけた。
「無論──貴様の思うがままだ!」
その高らかな声に胸を突かれて、気がついたら頷いていた。
「──わかった!」
すると、指環が熱を帯びて発光し始める。指環と同じく私の身体まで普段以上に熱が生じている。体内の魔術回路がレガリアに呼応しているのだろうか。神経の先を注意深く手繰ると、その先にギルガメッシュがいることもわかる。これがマスターとサーヴァントを繋ぐパスなのだろう。そこに熱が巡るよう念じると、ギルガメッシュの帯びる魔力もまた一段と強まっていく。
「行って、ギル! あなたの一番強い宝具で──セファールのコアを貫いて!」
「引き受けた!」
身を翻し、鎧の擦れる音を響かせてギルガメッシュは空へと跳躍していく。──その後ろ姿を見送っている内に、腕の中で微かな呻き声が聴こえた。
「う……」
即座に顔を伏せるとラニが瞼を瞬かせながらこちらを見上げている。「ラニ!」と焦る私に大丈夫だと言いたげにこくりと頷く彼女だが、彼女の身体が安静にしなければならない状態であることに変わりはない。
「……すみません、ご迷惑をおかけしました。私の隔壁が数秒ともたないとは」
「ラニのせいじゃないよ。今は無理しないで休んで」
「いいえ、私も戦います」
幾ら魔術礼装を纏っているからといって、下手をすれば私より生命力の低いラニが辛くないわけがない。だけどラニは首を振ってきっぱりとそう口にした。
「あなただけに戦わせる為に……私はあなたを助けたわけでは、ありません。私へ命のバトンを渡してくれた、『あなた』だからこそ……私はあなたと共に戦うと決めたのです」
彼女はそう自分に言い聞かせるように呟いて、私に寄りかかりながらも立ち上がり笑った。彼女の微笑みは吹けば飛んでしまうような儚さを湛えながらも、今の自分の瞳には何よりも頼もしい標のように映った。……ああ、確かにその通りだ。私達は二人で今を生きようと決めたのだ。だったら、二人で立ち向かわないと意味がない。
「……わかった。ラニも一緒に」
「はい……!」
彼女を支えながら、足場の悪い斜面を登って私は陰から身を乗り出す。遠く離れても尚、巨人はただそこに在るだけでこちらに本能的な恐怖を懐かせる。相対するギルガメッシュは、ここから一番高く見える岩場の頂上で黄金の蔵から武器を抜いた。
彼の手に握られたのは、柄こそ彼の鎧と同じく黄金とラピスラズリの青で彩られているものの、剣というには酷く違和感のある鋩の武器だった。ブラックホールのような暗黒の刀身に魔術回路のような赤い紋章が刻み込まれている。刀身は次第に回転を始め、赤い帯状の光を放ちながら巨人の剣の放った光に引けを取らない嵐を引き起こす。
直感した。あれは天を衝く威容。世界を裂く概念そのものだ。
「隔壁、もう一度展開します!」
咄嗟にシールドを張るラニの手を取ると、レガリアの権能が隔壁に施され如実に頑丈になる。壁からギルガメッシュが剣を振り上げるのが透けて見えた。
「原初を語る。元素は混ざり、固まり、万象織りなす星を生む──死して拝せよ! 天地乖離す開闢の星──────!」
ギルガメッシュの号令と共に、彼の宝具が巻き起こした嵐が巨人に直撃する。……まるで神話の光景だ。壁越しでもその計り知れない威力は空気を通し伝わってくる。これが彼の持っていた本当の力。私が手に入れた、最高の武器の真骨頂か。畏れずにはいられない。けれどそれ以上に高揚感が勝る。ギルガメッシュが私に示した信頼を、この全身で感じ取れた気がしたから。
巻き上がった砂埃が落ち着いて、次第に視界がクリアになる。ギルガメッシュの背中越しに目を凝らすと、セファールの上半身がぐらぐらと揺らいでいるのが見えた。胸下にあった筈のコアは四散して、ただの空洞になっている。
「やった……!?」
「いいえ! 確かに胸のコアはなくなっていますが、両手は未だ健在です!」
険しい表情のまま、ラニは私の掌と重ねている方とは反対の手で指をさす。彼女の示す先へ目を凝らすと、確かに巨人の腕は未だ蠢動している。その動きは先程の様子に比べれば随分と鈍いものの、両の手に浮かんだ立方体は二つとも無事だ。ギルガメッシュのあの桁外れの宝具ですら全てを破壊しきれないだなんて。そう巨人のスケールの違いに圧倒されていると、彼が突然声を上げた。
「白野! 撤退だ! 今は分が悪い!」
「え!? でも巨人はまだ──」
ギルガメッシュが即座に身を翻し跳躍した瞬間。その向こうに佇む巨人へ目の焦点が合った。
巨人の手に再び光の剣が錬成される。巨人はそれを天へと翳すが、こちらへ振り下ろす気配はない。……どういうことだろう? 疑問に思う間もなく、巨人は再び大地を劈く声を上げた。
〈 A────── 〉
その声に導かれるように。天から、光の雨が降ってきた。
「ラニ!!」
だから、考える間もなく。勝手に体が前へと飛び出していた。
ラニに覆い被さった私の背中に光の矢が直撃する──のを、辛うじてラニが再度展開した壁に防いでもらえたらしい。けれど、レガリアの力が及んでいないそれはみしみしと音を立て、私の体に熱と衝撃を余すことなく伝えた。
「白野さん……!」
「……ぁ、あ……」
おかしいな。ラニに大丈夫だよ、と伝えようとしたのに何も言葉にならない。私を抱き留めるようにして立っている筈のラニの声が酷く遠くから聴こえる。一緒にギルガメッシュのよく通る声も。レガリアの力でも何でも使えばよかったのに、気がついたらただ自分の体を盾にしていた。これじゃあ二人に失望されても仕方がない。
「た……! ……レ……アの……を……ぬのか! ……が死んで……も子も…………ろう!」
「…………! 私、また……たを死……たく……!」
霞む視界の中で、初めてラニの涙を目にして驚いた。──ああ、そうだ。私は一人じゃない。ならこの行動も、正しくはなくても間違いじゃなかった。何も持っていなかった私が初めて得ることのできた友達。そのラニがいなくちゃ、私は今の私ではいられないのだから。
「────!!」
ラニの慟哭が私の身体を震わせた、その時。
彼女の手が重なったレガリアから、眩い光が溢れ出していた。
それに気がついた途端、巨人の降らせた雨を打ち消す程の強い光と衝撃が辺りを突き抜けた。思わず目を瞑ると意識まで持っていかれそうになる。力の入らない首をもたげ手を空に翳した。その内光が弱まったと同時に隔壁への衝撃も嘘のように軽くなって、こわごわ瞼を上げる。……思った通り、まだ壁は崩されていない。少しだけほっとしながらラニを見上げると、彼女は半ば放心状態で自分の左手と壁の向こうを交互に見つめている。
「ラ……ニ……?」
「そん、な……」
彼女の表情は驚きに満ちているものの、絶望に染まっているわけではない。目の前で起こっていることにただ困惑している紫の瞳。ここ最近、私はラニの色んな表情を見てばかりだな──そんな何でもない感想を懐いた瞬間、途端に意識の糸が途切れそうになる。
「あなたは、まさか……」
薄れゆく視界の中、私は彼女が釘付けにされている方へ何とか振り向く。隔壁は変わらず敷かれているものの、それを透過する一つの人影があった。……ギルガメッシュではない。彼にしてはあまりに小柄過ぎるその体躯より、静かに声が発せられるのを確かに耳にした。
「お前が、私を呼んだのか」
そこにいたのは白いヴェールを被った褐色の膚の少女。彼女の手にしている三色の光の剣は、あのセファールの軍神の剣とそっくりな形だ。
──ならば。彼女の瞳は、何色だろうか?
それを判じる前に、私の意識はふつりと途切れた。
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