カテゴリー: memo

雑記

忌引

マジで全然日記書いてない、なんで? 今年ももう終わるよあと一ヶ月で。

文章は正直いくらでも書けるんだけど、前後の繋がりのない文章しか書けないからただただツイッターの下書きとかメモだけが溜まっていく。フォロワーが前やってたみたいに、箇条書きで書く方式だったら少しは頻度上がるかな? ツイッターでいいじゃんって話になりそうだけど。

今わたしは新幹線でこの文章をポメラに打ち込んでいるんだけど、なぜこんなド平日の夜に新幹線に乗っているかというと今朝祖父が亡くなったからだ。寝坊しつつのろのろ在宅勤務を開始してふと私用のスマホを見たら母からの着信が何度か入っていて、嫌な予感がしたのでLINEを見たら案の定だった。

三十年ほど生きてきたものの身内の死を経験するのはこれが初めて。一応大学生のころ曾祖母が亡くなったことはあったが、曾祖母とは一緒に住んでいるわけではなかったし、遠方だったため通夜や葬儀には欠席している。それに比べて祖父はわたしにとってかなり身近な家族だった。大学生になってからは年に二回の帰省でしか会うことはなくなったものの、高校卒業まで同じ家に住んでいたわけなので。

祖父は偏屈で癇癪持ちで、他人からすればよいところの少ない、野球観戦(応援しているのはもちろん地元球団であるカープ)以外趣味のない老人だった。外交的で地域の女性会やら習い事やらに積極的に参加する祖母とは対照的に、交友関係は自分の兄弟しかおらず、基本家に引き籠もってテレビを見ている孤独なジジイというのがガキかりしわたしの見ていた祖父の姿である。

自分の思うとおりに行かないとヒステリックに喚き散らすのは日常茶飯事。カープが負けている日は大体機嫌が悪く、わたしが子どものころのカープは基本的に弱かったのでつまり機嫌が悪い日がデフォだった。わたしが未だ野球ファン(特にカープ)に漠然とした苦手意識を持ってしまっているのは九割祖父のせいだ。野球ファンの人には申し訳ないです。

カープが勝っていても母とは折り合いが悪かったので、いつも一方的に母を怒ってばかりいた。祖父からすると母は自分の一人娘なわけだから、何故そんなに母のことが気に入らなかったのかは孫の立場からすると未だにわからないのだが……まあ自分の血を分けた子が自分の思い通りにいかないというのは苛々するものなのかも。でもその理論を適用すると、今度は何故祖父がわたしを溺愛していたのかがわからなくなるけど。

そう、祖父は色々と問題のある人だったが、孫であるわたしや弟のことは無責任に愛してくれていた。反対に小学生だったわたしはというと、正直祖父のことは苦手にしていた。人として嫌悪したり憎んだりまではいかないものの、癇癪を起こしてすべてに当たり散らす祖父の手のつけられなさは何だか居たたまれなかったし、何故祖父はこうも面倒な人なんだろうと子供心に呆れていた。おこづかいをもらったあとは無慈悲に適当にあしらっていたと思う。

けれども実家を離れ、大人になり、精神疾患の診断が下ったあと色々と思い返してみればみるほど、祖父への呆れや居たたまれなさとはある意味、同族嫌悪に近い感情だったのではないかという気になってくる。

わたしもわたしで家族に対しては酷い癇癪持ちで母とは折り合いが悪く、喧嘩するときは最終的にわたしが手のつけられない癇癪を起こしていた。祖父の癇癪にはやれやれ顔してたくせに!? はい、その通りです。わたし、特に思春期のころのわたしは棚上げのネ申だったので……。

母の言うとおりにできない自分が嫌いだし、でも母の言うとおりにするのも癪だしという二つの感情が綯い交ぜになった結果処理しきれずヒステリーを起こして、何故わたしはこんな家に生まれてきたんだろう! わたしはちっとも母さんに似てない! とひたすらコンプレックスだった。棚上げしすぎて全然見えてなかった。こんなに身近に自分と同じく、感情をコントロールできずに癇癪を起こす祖父がいたのにね。

わたしにうつ病の診断が下りたころ、祖父もまた認知症が徐々に進行していき、その影響なのか希死念慮の気が強く出るようになった。早く死にたい、もう生きていたくないと言って車を飛ばし家出したり(兄弟の家に押しかけていたらしい)車庫の天井から縄を下げて首を吊ろうとしたりと、ちゃんと(?)実行に移そうともしていたようだ。そういう祖父の姿はわたしの選択肢というか辿るルートの一つだったのかもな、と気づいたころには、祖父の認知症はずいぶんと進んでおり会話もままならなくなってしまっていた。

帰宅して、さっき祖父の死に顔を見た。肌が黄土色で、生きてたときはもっとピンク寄りの肌だったから、母に寝てるみたいでしょと言われたけど全然同意できなかった。祖父は死んでいた。もう癇癪も自殺騒ぎも起こさない。

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2024年

徒花本丸シリーズvol.3『星火は海には還らない』表紙画像

うわーっ気がついたら大晦日!!と焦り、慌てて日記を書き始めた23時過ぎ。お久しぶりです。同人誌を出したりサイトを地味に更新したりはしていたものの、何をどうしたというのはツイッターで呟く程度でここには何も書けていなかった。

星火は海には還らない 準備号 表紙画像

まず今月12/1に、以前から書き続けている徒花本丸シリーズの3巻準備号を頒布した。本当は普通に3巻として出したかったのだけれども、仕事が……8~10月の残業50時間越えなので余力が、なく……。同人活動をやっている人間の殆どが社会人だと思うので仕事を言い訳にするのはあんまりよくないな~と思いつつ、やっぱり一度仕事が原因で壊れてる身としてはセーブをかける選択肢を取ってしまう。(実際、今の職場でも休職者退職者が相次いでいるのでね……)自分のできる範囲で最大限やれることをやっていきたい。

準備号なので全貌はまだ語れていないが、これまで小出しにしていたもう一人の夢主・よだかについて彼女がどういう立ち位置にいるのか、やっと露出できたのが嬉しいね。
別に自分の話だから今決めてる設定とか今後の展開とか全部提示してしまってもいいんだけど、何か……わたしって設定先行で魅力的に萌え語り(死語!?)することができないので……○○の××に萌えるんですよ~!と言いたいときはやっぱ物語にしないと他人にうまく伝えられないから、どんだけ時間がかかってもお話を書くしかないなと思っている。

準備号発刊ついでに特設サイトも更新済。あとこのページ(日記や特設じゃなくて常設の小説ページ)も地味に修正している。PHPのバージョンを上げたり、いいねボタンをつけたり、色のコントラストをほんのちょっといじったり……。これでちょっと読み込みが軽くなればいいなと思うのだけど、計測結果はあまり変わらずなのでこれ以上はロリポップに課金しないと難しいかも。重いサイトですみません。
来年こそはもう少し更新したいな。早速だけど、今年の初めの方に完売してた弓女主の再録を正月のうちに載せようと思っている。

2024年、オフでの活動は何とか目標通りできたので、2025年はもうちょっとwebの更新も活発にする、が目標。オフではある程度興味持って本を手に取ってくれる人が見えるものの、webは正直わからないので……自己満足が第一ではあるんだけど、100%純粋な自己満足で済ませるならもうこんな仕事の合間を縫って小説を書くなんて手間のかかる作業やらない方が本当にマシなんだよな。わたしの自己満足というのは漠然と問わず語りがしたいという気持ちなので、その声を読み人知らずとしてでも何でもいいから他人にきちんと伝えるには読んでもらえるための努力を一定以上するべきだと感じる。そのためにも原稿以外のSS更新……やっていきたい……ちゃんと続けられるか不安だけど。毎日じゃなくても隔日でも、いやもう週刊でもいいからとにかく書く、をしたい。するぞ……!!来年も遠子と遠子の二次創作をよろしくお願いします!!

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あなたを待つてゐる火のよう燃える

原稿に必死になっていたら5月も6月も日記を更新できなかったよ。反省。この日記のログを見たら2つ前の記事も脱稿報告の内容だったからあーあって思った。こいつ原稿しかしてないじゃん!原稿も大事だがもっとインプットとか……してほしいし、インプットした分の感想とか書いてほしい。そういうのをマメに更新できない人間のためにfilmarksとかブクログがあるんだろうな。

どうしようもないわたし達が歩いてゐる 表紙画像

本書はシリーズ番外編で、3月に頒布した2巻『雨が降るから星は見えない』から約1年後の話(2018年1月)。本当は2017年の休職復帰後~長谷部・宗三二振りの修行まで書いた3巻を出してからの方が色々前提条件が揃って読めるので望ましかったのだろうな~と思いつつ、3巻は長谷部くん視点で進む話が多いから書くのに時間がかかるので番外編を先に出した。季節感、皆無! 多分本来はイベントがJUNE BRIDE FESとかいう名前だからそういう……ジューンブライドとか夏の話を出すべきだったんだろうな。でもまあ自分にとって結婚ネタは当然……だし、夏の話も手札はあるけども今はこっちの方が書きたかったので書いた。
同人誌購入された方はwebでも読めます(巻末記載のパスワードを入力してください)


今回のプレイリストはこれです。

そもそも刀剣乱舞というゲームに於いて、刀剣男士には必ず修行の旅という試練が待ち受けている。その対比として、彼等を使役する審神者にもまた(どのような形であっても)旅は必要なのではないか?という思いが前々からあった。『雨が降るから~』の遠野は久しぶりに実家へ帰省(=旅)をし、自分のアイデンティティについて見つめ直すきっかけを得て、再び審神者として復帰する。(もちろんわたしが実際にこの頃休職を経験しており、帰省中に色々考えさせられる出来事に遭遇したりという記憶ありきだが)物語の決着をそういった形にしたのは、わたしなりに修行の旅の概念を解釈した結果だ。
今回の番外編でも改めて、自分の思う刀剣乱舞における旅について話をしている。『雨が降るから~』のように単なる遠野ひとりの内省ではなく、宗三や長谷部くんと共に旅をすることで、これから遠野が往く道筋を再定義したい……というのがこの番外編の意図。だから、本当は宗三の広島編だけでもテーマ的には成立している。星を諦めてもなお生き続けなければいけない人生へ折り合いをつけ、宗三と共に歩むとけじめをつけたのは広島編だからだ。
にもかかわらずこの話が福岡編へと繋がるのは、やっぱり遠野の星が長谷部くんだから。遠野と宗三のふたりだけではきっとこの本丸は『雨が降るから~』で終わりを迎えていると思う。審神者としての遠野咲の物語はへし切長谷部を星だと思ったところから始まっている。もっと言えばへし切長谷部という刀がわたしという主を見つけたところから。たとえ宗三が長谷部くんより先に顕現している事実があろうと……(幼馴染みヒロインが報われないのと同じだ……)
ゆえに届かないとわかっても、結局駅に辿り着くことができなくても、わたしは星を目指して歩き続けるしかなくて。その隣を歩いてくれるのは宗三で。そこへ一緒についてこようとする長谷部くんは……あんまりこっちを振り返ってこないでほしいけど、いつかわたし自身の言葉でわたし自身の憧憬を伝えられたらいいなと思う。2018年1月時点で、さんにんはそういう関係性でした。

ちなみに今回のプレイリストには入れてないけど、わたしの宗三のイメソンはamazarashiの『さよならごっこ』だったりする。

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折れないペンを探す

最近周りの人がツイッター以外の移行先についてぽつぽつ呟いているから、わたしも何かもっとこう……自分がインターネットで活動するための地盤を固めたいなと思ったものの、難しい。ブログはここでいいんだけど、いわゆるリアルタイム(この言い方って通じる?)的なものや長文にまとめるのが難しい単発のぼやきを壁打ちする場所が……ツイッター以外にない!

ミスキーはなんとなく使用感や他人との距離感が苦手。全体TL?はわたしは見てないんだけど。Blueskyも、同じつぶやきをツイッターにした場合は多分フォロワーしか見ないだろうところ、Blueskyだと知らない人からのいいねがかなり飛んでくるからちょっと怖い。他人に見られたくない・見せたくないわけではないのだけれども(本当に見せられないと思うならインターネットで公開する意味がない)こうもフォロー外から通知がたくさん飛んでくると公開範囲をもう少し狭められないだろうか……と背が縮こまってしまう。

自分の普段考えていることって基本的にあまりポジティブではなくて、冷笑仕草ではないんだけど斜に構えスタンスになりがちという自覚がある。好きなジャンルやキャラクターに対しても嫌だなと思ったら嫌だ~とか言ってるし、それがトレンドによって渾然一体となったオタク達の熱狂と異なるものだととても居心地が悪い。この人達の楽しんでいる時間に水を差してしまう……とか、自分の感想で誰かを傷つけてしまう……という焦燥感に襲われる。多分そんな気にしなくてもオタク達はわたしのつぶやきなんて見ていないのだが、それでもBlueskyみたいに●●(キャラ名とか)のキーワード入ってるつぶやき全部拾える機能とか実装されてる場だと見るオタクは確実にいるわけで。そうして通知が来るとやっぱごめん……って思ってしまう。別に誹謗中傷してるわけではないし、わたしの感想はわたしのものだからごめんとか本来言わなくていいんだけど。

やっぱりわたしはそういう……多数派の感想と自分の感想が違ってた時に多かれ少なかれ、苦しいと思ってしまっているんだな。全然気にならない時も多いんだけど、やっぱり好きなものに対しての気持ちが多くの人と異なっていると気にしないでいられない。好きって気持ちは自分も同じはずなのにどうしてわたしはこんな自分の気持ちに自信が持てないんだろうか……と酷く惨めな気持ちになる。もっと堂々としていたい。誰かを傷つけることに怯えすぎたくない。もちろん、その可能性に無自覚ではいたくないんだけど。己の刀としてペンを取る覚悟、持たないとな。星見純那のように……。

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自分の話

徒花本丸シリーズvol.2『雨が降るから星は見えない』表紙画像

何とか脱稿し無事イベントが終わって一週間が経った。原稿自体は3月の頭に終わっていたのだが、その後本の中身をwebでも読めるようにページを整える必要があったので何だかんだと時間には追われており……仕事も当然のように毎日無茶ぶりを受け……という調子で、今ようやく一仕事終わったなと言える雰囲気になってきている。

雨が降るから星は見えない 表紙画像

2023年1月に頒布した『置かれた場所では咲きたくない』の続刊が今回の新刊だった。タイトルは『雨が降るから星は見えない』。前回同様に美しいイラストとデザインは山本麻衣子さん、野分まもりさんに依頼したもので、装丁(ベルベットPPのカバーにモノクロの表紙)も1巻の仕様と揃えている。2冊並べてみるとちゃんとシリーズものの雰囲気が出ていてとってもいい感じ。

雨が降りながらも光さす庭、やさしい微笑みを浮かべる表紙の長谷部くんに対し、裏表紙にいる宗三の背中が話の内容の暗さを物語っている。この表紙だけ見てへしさに本だ!と買ってくれた人がもしいたら大変申し訳ございません。詐欺ではないのだが……。わたしにとって長谷部くんへの感情は何よりも勝るものなので、へしさにはどうしても本丸の中心に存在する。でもそれはそれとして、普段自分に寄り添ってくれて居心地がいいのは宗三なわけで。長谷部くんは長谷部くんで外に女作ってるし(語弊のある言い方だが事実である)様々な感情が多方から乱立していて何というか……とにかく読む人を選ぶ話だろうなと思いながら書いていた。

だからいよいよ今回の本は少数のフォロワーに配るだけで終わり、イベントでは1冊も捌けない可能性が高いなと思っていたのだけれども……幸運なことにそれは杞憂で、手に取ってくれる方々はちゃんといた。ありがたい。たとえ1冊も捌けなかろうが、誰からも感想をもらえなかろうが、書き始めた以上この話は満足いく話ができるまで書くつもりだけれども。
でもフォロワーじゃない人からしたらこの話って面白いのかな? わたしが書いているものって長谷部くんが好きな人が読みたい内容ではない(遠野咲はわたし自身だから他者が投影できる存在ではなく、よだかは審神者ではないから審神者としての自我が強い人が読んでも投影できなさそう)と思うし、かと言って長谷部くんに興味のない人が読みたい内容かと言われるとそれもわからない。宗三が好きな人からしたら遠野が宗三を選ばないのはマジで意味わかんないだろうし……やっぱ徒花本丸って徹頭徹尾貴方の為の物語メルヒェン・マイネスレーベンスなんだよな。誰かの為の物語ナーサリー・ライムではない。

多分、これが自己投影夢小説を書く/「わたし」の話をするオタクが少ない理由の一つなのかな、とふと今思った。程度の差はあれ日本人って自分の話=他人にとってはどうでもいいことだと刷り込まれている気がする。その刷り込みのせいで書いてるものを面白くないのでは感じてしまい、筆が止まりやすいんじゃないかな?という仮説。
何だかんだとわたしは自分の書く小説を一定レベルで面白いと思っているけど、Fate/EXISTEDを書き始めた最初なんかはそれでも自分の話をするのって精神が試されるな……と感じていた。他人にとってつまらなかったらとか、この話をすることで自分自身までつまらないと思われたらとか、ていうか恥ずかしい(※自分の話をする行為自体を恥じているのではなく、単にわたしが生きていることを恥じているため)とか色々考えてしまっていた。でも23万字弱書いたらわりとどうでもよくなったので、やっぱり書き続けること/完成させることって大事なんだと思う。書きたいと思っている状態と実際書いた状態って、内面の思考回路は変わってなくても絶対変化はあるから。書いたという事実から得られるものはあるから……。

今自分が書くべき話って徒花本丸くらいなんだけど、これ書き終えたら本格的に余生になるのかな? どうなんだろう。小説を書くこと以外自分に示せる祈りってないんだけど、自分こそが書かなければならない話って昔はめちゃくちゃあったはずなのに今は全然ない。それだけ昔の方が外の世界に目を向けて新鮮に怒ってたってことなんだろう(怒りが原動力のオタクのため)。
復職してからかな、怒ると本当に心から疲れてしまって後々抑うつが発生しやすくなる気がして、怒りをセーブするようになっているふしがある。そもそも仕事でめちゃくちゃ客に怒ってるから、プライベートでも怒ってたらわけわかんなくなっちゃうし。社会で生きながら他のことにも目を向けて怒ることができる人はすごい、力があって。わたしは無力だ。こんなに日々いっぱいいっぱいにならず、カードの支払い金額や銀行の口座の残高とにらめっこせずに済む人生になりたいな……。

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列車は必ず次の駅へ

卒業コンサートの看板の前で撮ったペンライトと推しタオルの写真 ペンライトカラーは青と黄色
卒業コンサートの看板の前で撮ったペンライトと推しタオルの写真
ペンライトカラーは青と黄色

アイドルのファンを卒業した。11月のブログにも書いた通り、5年以上応援していたアイドルが所属していたグループを卒業したため。

ファン卒業といっても今後もこれまで通り曲は聴き続けるし、ツイッターのフォローも外すつもりはない。でもファンクラブ会員とメッセージアプリは解約するし、一番応援しているメンバーがいるという気持ちでグループの活動を追うことはなくなる。何か、好きなコンテンツに対して自分からそういう区切りをつけるのって多分初めてだから不思議な気持ちだ。

11月のブログでは「アイドルは卒業しても芸能活動を引退するわけじゃないから」云々と書いた気がするんだけど、これはわたしの願望に近い思い込みだったようで実際今後の仕事は何も決まってない/決めてないらしい。モデルや舞台女優としてのキャリアを積んでいたのはてっきり卒業後を見据えて……だと思っていたんだけど、彼女の中では本当にグループのため(歌やダンスとは別の仕事で身につけた表現力をまた歌やダンスへ還元するとか、グループを知ってもらうための宣伝活動とか、色んな意味で)だったらしい。いやほんと、すごいな……。今このときアイドルであることにそこまで全力を注いでいてくれてたんだな、と思うとただただ感嘆するばかり。いや感嘆するだけして消費してはいけないんだけど……それほどの献身で以てわたしはここまで楽しませてもらっていたんだなあ。わたしを含め大多数のファンは多分、皆そこまでしてもらうような人間じゃないのに。この言葉はよく彼女自身も言っていたけど。

自身の行動が他人の人生へ影響を与える意味について常に自覚的な彼女が好きだった。最後のメッセージでも、ファンへ「私が存在している理由を知ることができた」「私を私でいさせてくれてありがとう」と言ってくれたことが何より嬉しかった。こちらこそ、舞台に立ち続けてくれてありがとう。わたしを観客でいさせてくれてありがとう。天性の才能にかなわない悔しさで泣いていたあなたも、自分が主役じゃなくたっていいんだと微笑んだあなたも、その言葉通り努力を続けた末に後輩から憧れの的となったあなたも、全て愛おしく大切なあなたで、これまでページをめくり続けてよかったと思える美しい物語だった。数年前に彼女がインタビューで口にしていた「自分が主役じゃなくたっていいと思えるようになった」という言葉がずっと引っかかっていて、その言葉を否定するためにこれまでファンをやっていた節があったのだけれど。やっとその気持ちに蹴りがつけられたように思う。

アイドルを舞台少女だと理解しがちの人間にとって、今後は自分からポジションゼロを目指すことはないとも解釈できる彼女の言葉は衝撃的だった。何よりわたしにとって彼女こそが主人公だったから、主役じゃなくてもなんて言わないでほしいという気持ちがどうしても強かった。でも、違ったんだね。自分のためでなくグループのために生きていたから、自分一人のための舞台ではなく、メンバー一人一人が輝く舞台を作ることをあなたは選んだんだね。常に自分へスポットライトの当たる卒業コンサートですら、本人の希望で他のメンバーの表現がより際立つ演出が意識されていたのだから、これがあなたの辿り着いた最高の舞台だったんだなあと納得してしまった。その上で「満足です」と言われたら、もうこれ以上何も言えることはない。ここがアイドルとしての彼女の終着駅で、wi(l)d-screen baroqueの終幕だったんだ。そう理解してしまった。

だから、さようなら。そう確かに思えたけれど寂しい気持ち自体は全然めちゃくちゃ続いている。これを書いているうちに彼女の最後のブログが更新されたのだけれど、いつも締めの言葉が「see you again ⊿⊿」だったのに、最後の記事では「see you ⊿⊿」で嫌だーーーー!!!!!と反射で感じてしまったし。でもさようならなんだな、本当に。8年半アイドルとして生きてくれて本当にありがとう。これからは彼女自身のための人生を幸せに生きてほしいと心から思う。その上で、やっぱりわたしは舞台に立つ彼女が好きだったから、列車へ乗ろうと思う。いつかまた次の駅で彼女と出会えるように。生まれ変わった彼女の舞台が始まるとき、特等席に座っていたいから。


そういえば、コンサート前に時間が少しあったので、美容院へ行って人生で初めて三つ編みリング?っていうの?名前がわからないんだけど、Fate/EXISTED音無祈と同じ髪型にしてもらった。大学以降ずっとボブ~ミディアムだったし(ここ1年ほど伸ばしていたので何とか長さが足りた)普通の三つ編みすら自分ではうまくできないので、このヘアアレンジは本当に初めて。

音無はもう死んでしまった少女の自分なので、敢えて今の自分とは全く違う見た目にしよう!と思って作ったキャラクターだった。自分が一番好きだったアイドルの卒業コンサートにたまたま音無とリンクする姿で参加できて、そういう少女への執着的な意味でもひとつ区切りがつけられたと思う(少女のオタクは今後も続けるけど……)

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六等星の夜

第68回有馬記念ってあまりに美しい物語だなとしみじみしていたら、クリスマスどころか正月も終わっていた。あけましておめでとうございます。年明け早々地震や事故やらよくないニュース続きですが、とりあえずわたしはほとんど影響受けず元気。と書いたけれど、元気って何だろう。健康って何だろう。向精神薬と睡眠薬を飲まなくてよくなったら? だったらわたしはもうずっと元気じゃないし不健康だから、こういう時に何て言えばいいのだろう。

よくわからないからぼんやりと、父の運転する車窓から空を見上げている。地元の夜空はそこそこ綺麗だと思う。特に家の周辺は田んぼしかないので、東京や今住んでいる関東郊外とは比べ物にならないほど星が見える。もっと綺麗に星が見える場所は日本にもたくさんあると思うけれど、わたしにとっては自分の家から見える星が美しいことに意味がある。だから何度見上げてもこの空に胸を打たれる。また見上げることができてよかった、と思える。

そんな帰省の時間も今日で終わり、明日朝に福岡へ発つ。なお去年5月に行ったばかりなので、久しぶりと言う感じは全然しない。その時の旅の目当ては刀ミュ(直前でコロナの影響により公演は全て中止、目的は果たせなかった)、今回の目当ては刀のへし切長谷部。コロナの前はこの展示を見るため、一年に一度必ずこの時期に福岡へ一人旅をしていた。ということはわたしってもう4年も観てないのか、長谷部くんの実物を……。

日本号は常設展示なので5月に観ることができたけれど、へし切長谷部はいつも正月のあとの1ヶ月しか展示されない。だからわたしの福岡の風景はいつも冷たい色をしている。天気も自分が行くときに限って曇りとか雨が多いので、あまり鮮やかなイメージはない。でもその冷たさが好きなのは長谷部くんのおかげだ。一番空気が澄んでいて星がよく見えるのは冬だから、ここには冬に来るのが最もふさわしい。

今はまだだけど、展示の最終日あたりには梅も咲き始める。冷たい風景の中に梅の華やかな色が混じるのを見ると、春が待ち遠しくて胸がぎゅっと締まる。冬はそういう、目の前にないものについて思いを馳せることができる季節だと思う。次の本でも冬の福岡の話を書くので、当時へし切長谷部を観て感じたことや、今だからこそ感じることを詰め込めたらいいな。明日は早いのでそろそろ爪塗って寝ます。

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下を向いて歩く

Apple Musicのスクショ画像。2023年最もよく再生したアーティストランキング。ダントツ1位がamazarashi、2位がAimer
Apple Musicのスクショ画像。2023年最もよく再生したアーティストランキング。ダントツ1位がamazarashi、2位がAimer

Apple Musicによるとわたしが今年最も再生したアーティストはamazarashiらしい。それは何となくわかっていたけども、再生回数を見て更に驚いた。2位のAimerの1.5倍聴いているらしい。そんなに!?

まあでも朝が嫌いな人間が無理やり5時台に起きて朝日を睨みながら出勤している時に聞ける音楽なんて限られている。朝の電車ではほぼほぼ寝ているとはいえ、背景に流すのはamazarashiみたいな世を拗ねた歌詞じゃないと我慢できない。

こんなにamazarashiの音楽を聴いているにも関わらずわたしはamazarashiのことをよく知らない。秋田ひろむという人間が歌詞を書いて歌っていること、秋田ひろむは多分帽子が好きなこと、寒冷地の地方出身であること、異性の恋人がいることしか知らない。後半二つは歌詞の内容から類推したことなので全然そんなことないかもしれない。が、それが当たっているかはずれているか調べようともあんまり思わないし、詳しい人から教えられてもそうなんだ。という相槌を打つ以上のことはできない。あんまり興味がないから……。

音楽に限らず、創作者の個人情報って殆どは余談だと思ってるから、積極的に見に行きたいかと言われるといや別に……ってなる。もちろん何かしらきっかけがあって(雑誌のインタビューで喋ってることが目について〜とか)創作者個人に興味が向くことはあるけど。わたしがわたしの小説を読んでるだけの人なら、このサイトを訪問するときはnovelのページだけ更新がないか見に行ってると思う。radioとかmemoに飛んでる人ってほぼほぼツイッターのフォロワーでしょ。そうでなくても小説の付加価値を求めてここを見に来てるわけじゃないでしょ、って思う。もしそういうのを求めてる人がいたら……すまん。ここに価値のある情報は何もありません。そういうこぼれ話的なやつは同人誌の付録に副読本としてつけるから無理してここを見なくてもよろしい。

話が逸れまくっちゃった。とにかくわたしはそういうスタンスでamazarashiの音楽を楽しんでいる。音楽だけで満足しているので本人のことを知りたいと思う余地がない。周りにamazarashiのファンもいないのでただただ自己満足に彼?彼ら?の音へ耳を傾けている。

わたしには音の善し悪しを理解するセンスが壊滅的にないので(関ジャムとか何回か見たことあるけど、音楽の専門家の出演者達が何を語っているのか一切理解できなかった。漠然と自分に音楽の才能がないことだけわかった)、音楽を聴くときは音の重なりではなく歌詞やそれを発音している声を重視している。amazarashiの音楽はその二つがわたしにとって心地よい……というか聴いていてピースがうまく嵌まる感覚があるんだよな。秋田ひろむの独特な、ぼやきにも叫びにも聞こえる声に発音されるからこそ、念の籠められている歌詞がふと明瞭に「聴こえる」。そこで歌われている言葉がただの音ではないと脳が理解する。だから、最初はぼんやり聴いているんだけどある日はっと「この曲めちゃくちゃいいじゃん」と気がつく瞬間がやってくる。その一瞬がめちゃくちゃ快感なんだな。

こういう体験をさせてくれる音楽は少ない。名前の通り耳が遠いため……というより注意力散漫だからかな。音は聞こえてはいるんだけど、歌詞の意味が脳に入ってこないことが多い(なので基本興味のあるアーティストの歌は別途歌詞を眺めながら聴くことにしている)。歌ってる言葉の意味がわかって、それが今の自分の心境にフィットするものだと本当心地いい。随所で韻を踏みながらこの情報量の歌詞を破綻なく作品に昇華できるの、創作者の端くれとしては羨ましい限りだ。詩ってほんと難しいよ。アイドルの話書いた時に架空の歌詞も書いたけど、絶対こんなんじゃダメだ……と何回も思ったし指南書とか買えばよかったって今更ながら思う。次に歌詞を書くことがあったらそうしよう。

帰宅の電車で書いてたらめちゃくちゃ長くなっちゃった。とりあえず今一番聴いてる最新のamazarashiのアルバムを共有しておこうかな。

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別れの季節

競馬を見るようになってからわたしにとっての別れの季節は3月から10月、11月になった。秋期のG1レース開催後、競走馬が引退して繁殖へ上がる準備を始めるには多分妥当な頃合いなのかな。とはいえ2021年で印象に残った馬達が次々とターフを去っていくのはやはり寂しい。繁殖に上がることで逆に現役時よりも気軽にSNSへ写真がアップされるようになるときもあるので(生産牧場やお世話をしている人がSNSをよく更新する場合)それはそれで嬉しいんだけれども。

そしてかれこれ5年ほど好きだったアイドルも昨日グループからの卒業を発表した。彼女は現時点で女優としてのキャリアを積んでいる人であるし、芸能界から引退するわけではないので寂しいと感じるのも何だか違うのだが、わたしは根拠なくこれからもグループを支え続けてくれる気がしていたからやはり寂しい。色んな人を見送ってきた彼女が今度は見送られる側になるのか、それも卒業コンサートという特別な場で……と思うと条件反射で泣けてくる。

2018年に突然欅坂46に転がり落ちてからというもの、『私はあなたの神さまじゃない』『Fate/EXISTED』『catasterismi』でアイドルという存在に対し考えたことを形にしてきた。生身の人間をそのまま二次創作するのって基本違法だから(違法!?)これまで出会ってきて親和性が高いと思ったキャラクターや自分自身という夢主にその概念を背負わせて間接的な二次創作のようなものをしていたなと思う。特にEXISTEDではいわゆるわたしの推しメン(この言葉あまりにも人口に膾炙されすぎており使いたくないのだが……)が欅坂46で背負っていたもの、曲の中で表現していたものをエッセンスとして詰めたつもりだ。その辺の話を詳しく書いていると日付が変わってしまうのでやめておく。

こう考えてみると競走馬もアイドルもわたしにとっては同じジャンルだな。競走馬が怪我で休養するようにアイドルだって活動休止するし……だからどっちも、引退/卒業おめでとうって手を振れること自体が幸福なのかも。競走馬はレース中の事故や病気で死んでしまうことも多々あるし、アイドルも……死にはしなくても……色々あるから……と元欅坂メンバーのことを思って目を伏せる。

事故といえば、ついこの前2年ほど通っているかき氷屋さんの猫ちゃんが事故で亡くなってしまって、本来部外者でしかないはずのわたしですらお店のインスタを見るたびに落ち込んでいる。時々すりすりと足にまとわりつかれたり、背中や顎を撫でさせてもらったりした猫ちゃんだったからとても悲しい。人間に比べて動物って命そのものが軽すぎるな。まあ人間は人間で、ただ命があるだけでは生きていけないから苦しいんだけど……。

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日記をつけたいけど

なかなか更新ができていない。小説はもちろんツイッター(Xという名前に未だに慣れない、かたくなにアプリ更新を拒否しているのでわたしのスマホ上ではまだツイッターだし)すら。日々仕事に忙殺されながらも考えていること、誰に対してというわけでもないが虚空に向かって言いたいことなどはあるけれどもツイッターにいるとそういうの全部ほっぽって叫び出したくなる。あと1人で色々考えてたこととか一瞬で忘れて流れてきたツイートのことしか考えられなくなる、ADHDだから。
ADHDだから⚫︎⚫︎できないとそれをどんな状況においても免罪符のように振り翳すのは間違っていると思うのだが、実際わたしはどんなに大切な約束や持ち物だとしても目の前の出来事の方に目が向いてしまったら最後それらをすぐに忘れてしまう。だからこそこの特性はツイッターに向いているのだけど入り浸り過ぎると毒になるとも思う。

複数のフォロワーがブログに毎日の近況を綴っているのを見て、わたしもそういえばそういう取り留めもない話を書いていきたいからこのページを作ったんじゃんと思い出した。なのでさっきまで1時間くらいiPhoneにWordpressのアプリを入れて色々環境を整えようとしていたんだけど……結果、アプリからは更新できないことがわかった。いやできるのかもしれないが今の設定では不可能だった。
まずアプリからWordpressにログインができず、Jetpackというプラグインをインストールすることによってログインはできるようになったものの今度は記事の投稿に失敗し続ける有様。サーバーのセキュリティ設定を解除するとできるようになるらしいけど、セキュリティ設定解除って理由もわからずやりたくはないだろ。なのでこれはSafariから普通にWordpressへログインして書いてる。書きにくい!!文章打つ時にテキストボックスが100vw以上に拡大されてしまうの制御してほしい。アプリから投稿したい。どうやったらいいか知ってる人がこのページに訪れてたら拍手とかツイッターのDMとかで解決方法教えてください。

今日はジャパンカップ開催日なので東京競馬場に行く予定だったけどまだ風呂も入れてないし、頭もしっちゃかめっちゃかだから行けるかわからない。何せわたしの住んでいるところから競馬場まで2時間近くかかる上に入場券しか取れなかったので席も存在しない。安住の場所がないまま人の多い競馬場を歩き回るのって結構体力が奪われる。現役で一番好きな馬が走る久々に関東で走るというのに……元気を今すぐ出したい。健常な状態になりたい。こんな言葉数年前まで絶対に自分から出なかった。死にたいことに変わりはないけど、内臓系の病気をしていない人間は簡単に死ねないので希死念慮よりも健康を求めた方がもう……楽なんだよな。すっと死ねるなら全然死なせてもらいたいけどね。

追記:
ごめん、競馬場には行けません。いま、風呂場にいます。

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近況

全然ブログを更新しないまま9ヶ月以上経ってたらしい。人間一人ぶんもうすぐで産まれる時間が経っていると考えると怖いね。
去年の11月に再就職して、ブランクもある中突然忙しい職場に放り込まれたことで本当に4月頃までは余裕がなかった。今も全然ないけど……。そんな中何とか2冊同人誌を出せた(自己投影の夢本アンソロジー)のはよかった。今年中にもう1冊出せるかなあ、出したいけども予定は未定。アウトプットするだけじゃなくインプットにもそれなりの時間を割きたいし……。

ブログは更新していなかったけれど、サイトのコンテンツ自体は徐々に増やしている(トップページの更新履歴参照)。このサイトを立ち上げた第一目的は完売した同人誌の中身をweb再録することなので、時間はかかるが(pタグの変換とかルビふりがちょっとめんどいから……)今後もやれる時間を見つけてやっていくつもり。当時の本を持っていない人はもちろん、持っている人にも懐かしいなあと読んでもらえたら幸い。

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木犀の香りを嗅ぐたびに

木犀の香りを嗅ぐたびに苦い気持ちになるのは、この香りがわたしにとって社会に出たことの証であるように感じられるからだと思う。

大学を卒業して社会人となってから今まで同じ街に住んでいるが、ここの地域の人は至る所に木犀を植えている。わたしのマンションの玄関口にも小さな金木犀の木があった。だから夏が終わって秋が始まると同時に、どこからともなく朗らかながらも寂しい香りが漂い始める。
上京するまで住んでいた地元ではあまり木犀を見かけた覚えがない。一本も生えていない、ということはないだろうが、少なくとも実家付近で木犀の香りを嗅いで秋を感じた記憶はない。通っていた隣の市の中学校も高校も、校舎の周りで咲いていた花といえば主に栗や木蓮だった。それも「栗の花は精液と同じにおいがする」という噂で盛り上がっていた下品な記憶しかない(いかにも女子校らしいといえばらしい話かもしれない)。だから余計に、今香っている木犀の香りを寂しく感じてしまうのだと思う。やり直しの効かないことばかり思い出してしまうから。

とまあセンチメンタルな書き出しになってしまったけれど、今のわたしはあまりささくれ立ってはいない。9月は忙しかったので日記は更新できなかったが、その代わりnoteを更新した。1年近くぶりに帰省もしたし、そのついでに観光もした。今日も少し遠出してかき氷を食べてきたところだ。

 かき氷を食べながらテラス席を眺めていると、窓の隙間から風に乗って木犀の香りが鼻をくぐる。この喫茶店は少し不便な場所にあってお店も不定休なので、なかなか行く機会に恵まれなかったが、今日初めて足を運ぶことができた。引っ越して数年間は駅周辺から離れた場所を開拓するなんて考えられなかったので、良い変化が自分にも訪れているのかも知れない。

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