マジで全然日記書いてない、なんで? 今年ももう終わるよあと一ヶ月で。
文章は正直いくらでも書けるんだけど、前後の繋がりのない文章しか書けないからただただツイッターの下書きとかメモだけが溜まっていく。フォロワーが前やってたみたいに、箇条書きで書く方式だったら少しは頻度上がるかな? ツイッターでいいじゃんって話になりそうだけど。
今わたしは新幹線でこの文章をポメラに打ち込んでいるんだけど、なぜこんなド平日の夜に新幹線に乗っているかというと今朝祖父が亡くなったからだ。寝坊しつつのろのろ在宅勤務を開始してふと私用のスマホを見たら母からの着信が何度か入っていて、嫌な予感がしたのでLINEを見たら案の定だった。
三十年ほど生きてきたものの身内の死を経験するのはこれが初めて。一応大学生のころ曾祖母が亡くなったことはあったが、曾祖母とは一緒に住んでいるわけではなかったし、遠方だったため通夜や葬儀には欠席している。それに比べて祖父はわたしにとってかなり身近な家族だった。大学生になってからは年に二回の帰省でしか会うことはなくなったものの、高校卒業まで同じ家に住んでいたわけなので。
祖父は偏屈で癇癪持ちで、他人からすればよいところの少ない、野球観戦(応援しているのはもちろん地元球団であるカープ)以外趣味のない老人だった。外交的で地域の女性会やら習い事やらに積極的に参加する祖母とは対照的に、交友関係は自分の兄弟しかおらず、基本家に引き籠もってテレビを見ている孤独なジジイというのがガキかりしわたしの見ていた祖父の姿である。
自分の思うとおりに行かないとヒステリックに喚き散らすのは日常茶飯事。カープが負けている日は大体機嫌が悪く、わたしが子どものころのカープは基本的に弱かったのでつまり機嫌が悪い日がデフォだった。わたしが未だ野球ファン(特にカープ)に漠然とした苦手意識を持ってしまっているのは九割祖父のせいだ。野球ファンの人には申し訳ないです。
カープが勝っていても母とは折り合いが悪かったので、いつも一方的に母を怒ってばかりいた。祖父からすると母は自分の一人娘なわけだから、何故そんなに母のことが気に入らなかったのかは孫の立場からすると未だにわからないのだが……まあ自分の血を分けた子が自分の思い通りにいかないというのは苛々するものなのかも。でもその理論を適用すると、今度は何故祖父がわたしを溺愛していたのかがわからなくなるけど。
そう、祖父は色々と問題のある人だったが、孫であるわたしや弟のことは無責任に愛してくれていた。反対に小学生だったわたしはというと、正直祖父のことは苦手にしていた。人として嫌悪したり憎んだりまではいかないものの、癇癪を起こしてすべてに当たり散らす祖父の手のつけられなさは何だか居たたまれなかったし、何故祖父はこうも面倒な人なんだろうと子供心に呆れていた。おこづかいをもらったあとは無慈悲に適当にあしらっていたと思う。
けれども実家を離れ、大人になり、精神疾患の診断が下ったあと色々と思い返してみればみるほど、祖父への呆れや居たたまれなさとはある意味、同族嫌悪に近い感情だったのではないかという気になってくる。
わたしもわたしで家族に対しては酷い癇癪持ちで母とは折り合いが悪く、喧嘩するときは最終的にわたしが手のつけられない癇癪を起こしていた。祖父の癇癪にはやれやれ顔してたくせに!? はい、その通りです。わたし、特に思春期のころのわたしは棚上げのネ申だったので……。
母の言うとおりにできない自分が嫌いだし、でも母の言うとおりにするのも癪だしという二つの感情が綯い交ぜになった結果処理しきれずヒステリーを起こして、何故わたしはこんな家に生まれてきたんだろう! わたしはちっとも母さんに似てない! とひたすらコンプレックスだった。棚上げしすぎて全然見えてなかった。こんなに身近に自分と同じく、感情をコントロールできずに癇癪を起こす祖父がいたのにね。
わたしにうつ病の診断が下りたころ、祖父もまた認知症が徐々に進行していき、その影響なのか希死念慮の気が強く出るようになった。早く死にたい、もう生きていたくないと言って車を飛ばし家出したり(兄弟の家に押しかけていたらしい)車庫の天井から縄を下げて首を吊ろうとしたりと、ちゃんと(?)実行に移そうともしていたようだ。そういう祖父の姿はわたしの選択肢というか辿るルートの一つだったのかもな、と気づいたころには、祖父の認知症はずいぶんと進んでおり会話もままならなくなってしまっていた。
帰宅して、さっき祖父の死に顔を見た。肌が黄土色で、生きてたときはもっとピンク寄りの肌だったから、母に寝てるみたいでしょと言われたけど全然同意できなかった。祖父は死んでいた。もう癇癪も自殺騒ぎも起こさない。








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