年: 2024年

2024年

徒花本丸シリーズvol.3『星火は海には還らない』表紙画像

うわーっ気がついたら大晦日!!と焦り、慌てて日記を書き始めた23時過ぎ。お久しぶりです。同人誌を出したりサイトを地味に更新したりはしていたものの、何をどうしたというのはツイッターで呟く程度でここには何も書けていなかった。

星火は海には還らない 準備号 表紙画像

まず今月12/1に、以前から書き続けている徒花本丸シリーズの3巻準備号を頒布した。本当は普通に3巻として出したかったのだけれども、仕事が……8~10月の残業50時間越えなので余力が、なく……。同人活動をやっている人間の殆どが社会人だと思うので仕事を言い訳にするのはあんまりよくないな~と思いつつ、やっぱり一度仕事が原因で壊れてる身としてはセーブをかける選択肢を取ってしまう。(実際、今の職場でも休職者退職者が相次いでいるのでね……)自分のできる範囲で最大限やれることをやっていきたい。

準備号なので全貌はまだ語れていないが、これまで小出しにしていたもう一人の夢主・よだかについて彼女がどういう立ち位置にいるのか、やっと露出できたのが嬉しいね。
別に自分の話だから今決めてる設定とか今後の展開とか全部提示してしまってもいいんだけど、何か……わたしって設定先行で魅力的に萌え語り(死語!?)することができないので……○○の××に萌えるんですよ~!と言いたいときはやっぱ物語にしないと他人にうまく伝えられないから、どんだけ時間がかかってもお話を書くしかないなと思っている。

準備号発刊ついでに特設サイトも更新済。あとこのページ(日記や特設じゃなくて常設の小説ページ)も地味に修正している。PHPのバージョンを上げたり、いいねボタンをつけたり、色のコントラストをほんのちょっといじったり……。これでちょっと読み込みが軽くなればいいなと思うのだけど、計測結果はあまり変わらずなのでこれ以上はロリポップに課金しないと難しいかも。重いサイトですみません。
来年こそはもう少し更新したいな。早速だけど、今年の初めの方に完売してた弓女主の再録を正月のうちに載せようと思っている。

2024年、オフでの活動は何とか目標通りできたので、2025年はもうちょっとwebの更新も活発にする、が目標。オフではある程度興味持って本を手に取ってくれる人が見えるものの、webは正直わからないので……自己満足が第一ではあるんだけど、100%純粋な自己満足で済ませるならもうこんな仕事の合間を縫って小説を書くなんて手間のかかる作業やらない方が本当にマシなんだよな。わたしの自己満足というのは漠然と問わず語りがしたいという気持ちなので、その声を読み人知らずとしてでも何でもいいから他人にきちんと伝えるには読んでもらえるための努力を一定以上するべきだと感じる。そのためにも原稿以外のSS更新……やっていきたい……ちゃんと続けられるか不安だけど。毎日じゃなくても隔日でも、いやもう週刊でもいいからとにかく書く、をしたい。するぞ……!!来年も遠子と遠子の二次創作をよろしくお願いします!!

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あなたを待つてゐる火のよう燃える

原稿に必死になっていたら5月も6月も日記を更新できなかったよ。反省。この日記のログを見たら2つ前の記事も脱稿報告の内容だったからあーあって思った。こいつ原稿しかしてないじゃん!原稿も大事だがもっとインプットとか……してほしいし、インプットした分の感想とか書いてほしい。そういうのをマメに更新できない人間のためにfilmarksとかブクログがあるんだろうな。

どうしようもないわたし達が歩いてゐる 表紙画像

本書はシリーズ番外編で、3月に頒布した2巻『雨が降るから星は見えない』から約1年後の話(2018年1月)。本当は2017年の休職復帰後~長谷部・宗三二振りの修行まで書いた3巻を出してからの方が色々前提条件が揃って読めるので望ましかったのだろうな~と思いつつ、3巻は長谷部くん視点で進む話が多いから書くのに時間がかかるので番外編を先に出した。季節感、皆無! 多分本来はイベントがJUNE BRIDE FESとかいう名前だからそういう……ジューンブライドとか夏の話を出すべきだったんだろうな。でもまあ自分にとって結婚ネタは当然……だし、夏の話も手札はあるけども今はこっちの方が書きたかったので書いた。
同人誌購入された方はwebでも読めます(巻末記載のパスワードを入力してください)


今回のプレイリストはこれです。

そもそも刀剣乱舞というゲームに於いて、刀剣男士には必ず修行の旅という試練が待ち受けている。その対比として、彼等を使役する審神者にもまた(どのような形であっても)旅は必要なのではないか?という思いが前々からあった。『雨が降るから~』の遠野は久しぶりに実家へ帰省(=旅)をし、自分のアイデンティティについて見つめ直すきっかけを得て、再び審神者として復帰する。(もちろんわたしが実際にこの頃休職を経験しており、帰省中に色々考えさせられる出来事に遭遇したりという記憶ありきだが)物語の決着をそういった形にしたのは、わたしなりに修行の旅の概念を解釈した結果だ。
今回の番外編でも改めて、自分の思う刀剣乱舞における旅について話をしている。『雨が降るから~』のように単なる遠野ひとりの内省ではなく、宗三や長谷部くんと共に旅をすることで、これから遠野が往く道筋を再定義したい……というのがこの番外編の意図。だから、本当は宗三の広島編だけでもテーマ的には成立している。星を諦めてもなお生き続けなければいけない人生へ折り合いをつけ、宗三と共に歩むとけじめをつけたのは広島編だからだ。
にもかかわらずこの話が福岡編へと繋がるのは、やっぱり遠野の星が長谷部くんだから。遠野と宗三のふたりだけではきっとこの本丸は『雨が降るから~』で終わりを迎えていると思う。審神者としての遠野咲の物語はへし切長谷部を星だと思ったところから始まっている。もっと言えばへし切長谷部という刀がわたしという主を見つけたところから。たとえ宗三が長谷部くんより先に顕現している事実があろうと……(幼馴染みヒロインが報われないのと同じだ……)
ゆえに届かないとわかっても、結局駅に辿り着くことができなくても、わたしは星を目指して歩き続けるしかなくて。その隣を歩いてくれるのは宗三で。そこへ一緒についてこようとする長谷部くんは……あんまりこっちを振り返ってこないでほしいけど、いつかわたし自身の言葉でわたし自身の憧憬を伝えられたらいいなと思う。2018年1月時点で、さんにんはそういう関係性でした。

ちなみに今回のプレイリストには入れてないけど、わたしの宗三のイメソンはamazarashiの『さよならごっこ』だったりする。

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折れないペンを探す

最近周りの人がツイッター以外の移行先についてぽつぽつ呟いているから、わたしも何かもっとこう……自分がインターネットで活動するための地盤を固めたいなと思ったものの、難しい。ブログはここでいいんだけど、いわゆるリアルタイム(この言い方って通じる?)的なものや長文にまとめるのが難しい単発のぼやきを壁打ちする場所が……ツイッター以外にない!

ミスキーはなんとなく使用感や他人との距離感が苦手。全体TL?はわたしは見てないんだけど。Blueskyも、同じつぶやきをツイッターにした場合は多分フォロワーしか見ないだろうところ、Blueskyだと知らない人からのいいねがかなり飛んでくるからちょっと怖い。他人に見られたくない・見せたくないわけではないのだけれども(本当に見せられないと思うならインターネットで公開する意味がない)こうもフォロー外から通知がたくさん飛んでくると公開範囲をもう少し狭められないだろうか……と背が縮こまってしまう。

自分の普段考えていることって基本的にあまりポジティブではなくて、冷笑仕草ではないんだけど斜に構えスタンスになりがちという自覚がある。好きなジャンルやキャラクターに対しても嫌だなと思ったら嫌だ~とか言ってるし、それがトレンドによって渾然一体となったオタク達の熱狂と異なるものだととても居心地が悪い。この人達の楽しんでいる時間に水を差してしまう……とか、自分の感想で誰かを傷つけてしまう……という焦燥感に襲われる。多分そんな気にしなくてもオタク達はわたしのつぶやきなんて見ていないのだが、それでもBlueskyみたいに●●(キャラ名とか)のキーワード入ってるつぶやき全部拾える機能とか実装されてる場だと見るオタクは確実にいるわけで。そうして通知が来るとやっぱごめん……って思ってしまう。別に誹謗中傷してるわけではないし、わたしの感想はわたしのものだからごめんとか本来言わなくていいんだけど。

やっぱりわたしはそういう……多数派の感想と自分の感想が違ってた時に多かれ少なかれ、苦しいと思ってしまっているんだな。全然気にならない時も多いんだけど、やっぱり好きなものに対しての気持ちが多くの人と異なっていると気にしないでいられない。好きって気持ちは自分も同じはずなのにどうしてわたしはこんな自分の気持ちに自信が持てないんだろうか……と酷く惨めな気持ちになる。もっと堂々としていたい。誰かを傷つけることに怯えすぎたくない。もちろん、その可能性に無自覚ではいたくないんだけど。己の刀としてペンを取る覚悟、持たないとな。星見純那のように……。

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自分の話

徒花本丸シリーズvol.2『雨が降るから星は見えない』表紙画像

何とか脱稿し無事イベントが終わって一週間が経った。原稿自体は3月の頭に終わっていたのだが、その後本の中身をwebでも読めるようにページを整える必要があったので何だかんだと時間には追われており……仕事も当然のように毎日無茶ぶりを受け……という調子で、今ようやく一仕事終わったなと言える雰囲気になってきている。

雨が降るから星は見えない 表紙画像

2023年1月に頒布した『置かれた場所では咲きたくない』の続刊が今回の新刊だった。タイトルは『雨が降るから星は見えない』。前回同様に美しいイラストとデザインは山本麻衣子さん、野分まもりさんに依頼したもので、装丁(ベルベットPPのカバーにモノクロの表紙)も1巻の仕様と揃えている。2冊並べてみるとちゃんとシリーズものの雰囲気が出ていてとってもいい感じ。

雨が降りながらも光さす庭、やさしい微笑みを浮かべる表紙の長谷部くんに対し、裏表紙にいる宗三の背中が話の内容の暗さを物語っている。この表紙だけ見てへしさに本だ!と買ってくれた人がもしいたら大変申し訳ございません。詐欺ではないのだが……。わたしにとって長谷部くんへの感情は何よりも勝るものなので、へしさにはどうしても本丸の中心に存在する。でもそれはそれとして、普段自分に寄り添ってくれて居心地がいいのは宗三なわけで。長谷部くんは長谷部くんで外に女作ってるし(語弊のある言い方だが事実である)様々な感情が多方から乱立していて何というか……とにかく読む人を選ぶ話だろうなと思いながら書いていた。

だからいよいよ今回の本は少数のフォロワーに配るだけで終わり、イベントでは1冊も捌けない可能性が高いなと思っていたのだけれども……幸運なことにそれは杞憂で、手に取ってくれる方々はちゃんといた。ありがたい。たとえ1冊も捌けなかろうが、誰からも感想をもらえなかろうが、書き始めた以上この話は満足いく話ができるまで書くつもりだけれども。
でもフォロワーじゃない人からしたらこの話って面白いのかな? わたしが書いているものって長谷部くんが好きな人が読みたい内容ではない(遠野咲はわたし自身だから他者が投影できる存在ではなく、よだかは審神者ではないから審神者としての自我が強い人が読んでも投影できなさそう)と思うし、かと言って長谷部くんに興味のない人が読みたい内容かと言われるとそれもわからない。宗三が好きな人からしたら遠野が宗三を選ばないのはマジで意味わかんないだろうし……やっぱ徒花本丸って徹頭徹尾貴方の為の物語メルヒェン・マイネスレーベンスなんだよな。誰かの為の物語ナーサリー・ライムではない。

多分、これが自己投影夢小説を書く/「わたし」の話をするオタクが少ない理由の一つなのかな、とふと今思った。程度の差はあれ日本人って自分の話=他人にとってはどうでもいいことだと刷り込まれている気がする。その刷り込みのせいで書いてるものを面白くないのでは感じてしまい、筆が止まりやすいんじゃないかな?という仮説。
何だかんだとわたしは自分の書く小説を一定レベルで面白いと思っているけど、Fate/EXISTEDを書き始めた最初なんかはそれでも自分の話をするのって精神が試されるな……と感じていた。他人にとってつまらなかったらとか、この話をすることで自分自身までつまらないと思われたらとか、ていうか恥ずかしい(※自分の話をする行為自体を恥じているのではなく、単にわたしが生きていることを恥じているため)とか色々考えてしまっていた。でも23万字弱書いたらわりとどうでもよくなったので、やっぱり書き続けること/完成させることって大事なんだと思う。書きたいと思っている状態と実際書いた状態って、内面の思考回路は変わってなくても絶対変化はあるから。書いたという事実から得られるものはあるから……。

今自分が書くべき話って徒花本丸くらいなんだけど、これ書き終えたら本格的に余生になるのかな? どうなんだろう。小説を書くこと以外自分に示せる祈りってないんだけど、自分こそが書かなければならない話って昔はめちゃくちゃあったはずなのに今は全然ない。それだけ昔の方が外の世界に目を向けて新鮮に怒ってたってことなんだろう(怒りが原動力のオタクのため)。
復職してからかな、怒ると本当に心から疲れてしまって後々抑うつが発生しやすくなる気がして、怒りをセーブするようになっているふしがある。そもそも仕事でめちゃくちゃ客に怒ってるから、プライベートでも怒ってたらわけわかんなくなっちゃうし。社会で生きながら他のことにも目を向けて怒ることができる人はすごい、力があって。わたしは無力だ。こんなに日々いっぱいいっぱいにならず、カードの支払い金額や銀行の口座の残高とにらめっこせずに済む人生になりたいな……。

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列車は必ず次の駅へ

卒業コンサートの看板の前で撮ったペンライトと推しタオルの写真 ペンライトカラーは青と黄色
卒業コンサートの看板の前で撮ったペンライトと推しタオルの写真
ペンライトカラーは青と黄色

アイドルのファンを卒業した。11月のブログにも書いた通り、5年以上応援していたアイドルが所属していたグループを卒業したため。

ファン卒業といっても今後もこれまで通り曲は聴き続けるし、ツイッターのフォローも外すつもりはない。でもファンクラブ会員とメッセージアプリは解約するし、一番応援しているメンバーがいるという気持ちでグループの活動を追うことはなくなる。何か、好きなコンテンツに対して自分からそういう区切りをつけるのって多分初めてだから不思議な気持ちだ。

11月のブログでは「アイドルは卒業しても芸能活動を引退するわけじゃないから」云々と書いた気がするんだけど、これはわたしの願望に近い思い込みだったようで実際今後の仕事は何も決まってない/決めてないらしい。モデルや舞台女優としてのキャリアを積んでいたのはてっきり卒業後を見据えて……だと思っていたんだけど、彼女の中では本当にグループのため(歌やダンスとは別の仕事で身につけた表現力をまた歌やダンスへ還元するとか、グループを知ってもらうための宣伝活動とか、色んな意味で)だったらしい。いやほんと、すごいな……。今このときアイドルであることにそこまで全力を注いでいてくれてたんだな、と思うとただただ感嘆するばかり。いや感嘆するだけして消費してはいけないんだけど……それほどの献身で以てわたしはここまで楽しませてもらっていたんだなあ。わたしを含め大多数のファンは多分、皆そこまでしてもらうような人間じゃないのに。この言葉はよく彼女自身も言っていたけど。

自身の行動が他人の人生へ影響を与える意味について常に自覚的な彼女が好きだった。最後のメッセージでも、ファンへ「私が存在している理由を知ることができた」「私を私でいさせてくれてありがとう」と言ってくれたことが何より嬉しかった。こちらこそ、舞台に立ち続けてくれてありがとう。わたしを観客でいさせてくれてありがとう。天性の才能にかなわない悔しさで泣いていたあなたも、自分が主役じゃなくたっていいんだと微笑んだあなたも、その言葉通り努力を続けた末に後輩から憧れの的となったあなたも、全て愛おしく大切なあなたで、これまでページをめくり続けてよかったと思える美しい物語だった。数年前に彼女がインタビューで口にしていた「自分が主役じゃなくたっていいと思えるようになった」という言葉がずっと引っかかっていて、その言葉を否定するためにこれまでファンをやっていた節があったのだけれど。やっとその気持ちに蹴りがつけられたように思う。

アイドルを舞台少女だと理解しがちの人間にとって、今後は自分からポジションゼロを目指すことはないとも解釈できる彼女の言葉は衝撃的だった。何よりわたしにとって彼女こそが主人公だったから、主役じゃなくてもなんて言わないでほしいという気持ちがどうしても強かった。でも、違ったんだね。自分のためでなくグループのために生きていたから、自分一人のための舞台ではなく、メンバー一人一人が輝く舞台を作ることをあなたは選んだんだね。常に自分へスポットライトの当たる卒業コンサートですら、本人の希望で他のメンバーの表現がより際立つ演出が意識されていたのだから、これがあなたの辿り着いた最高の舞台だったんだなあと納得してしまった。その上で「満足です」と言われたら、もうこれ以上何も言えることはない。ここがアイドルとしての彼女の終着駅で、wi(l)d-screen baroqueの終幕だったんだ。そう理解してしまった。

だから、さようなら。そう確かに思えたけれど寂しい気持ち自体は全然めちゃくちゃ続いている。これを書いているうちに彼女の最後のブログが更新されたのだけれど、いつも締めの言葉が「see you again ⊿⊿」だったのに、最後の記事では「see you ⊿⊿」で嫌だーーーー!!!!!と反射で感じてしまったし。でもさようならなんだな、本当に。8年半アイドルとして生きてくれて本当にありがとう。これからは彼女自身のための人生を幸せに生きてほしいと心から思う。その上で、やっぱりわたしは舞台に立つ彼女が好きだったから、列車へ乗ろうと思う。いつかまた次の駅で彼女と出会えるように。生まれ変わった彼女の舞台が始まるとき、特等席に座っていたいから。


そういえば、コンサート前に時間が少しあったので、美容院へ行って人生で初めて三つ編みリング?っていうの?名前がわからないんだけど、Fate/EXISTED音無祈と同じ髪型にしてもらった。大学以降ずっとボブ~ミディアムだったし(ここ1年ほど伸ばしていたので何とか長さが足りた)普通の三つ編みすら自分ではうまくできないので、このヘアアレンジは本当に初めて。

音無はもう死んでしまった少女の自分なので、敢えて今の自分とは全く違う見た目にしよう!と思って作ったキャラクターだった。自分が一番好きだったアイドルの卒業コンサートにたまたま音無とリンクする姿で参加できて、そういう少女への執着的な意味でもひとつ区切りがつけられたと思う(少女のオタクは今後も続けるけど……)

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六等星の夜

第68回有馬記念ってあまりに美しい物語だなとしみじみしていたら、クリスマスどころか正月も終わっていた。あけましておめでとうございます。年明け早々地震や事故やらよくないニュース続きですが、とりあえずわたしはほとんど影響受けず元気。と書いたけれど、元気って何だろう。健康って何だろう。向精神薬と睡眠薬を飲まなくてよくなったら? だったらわたしはもうずっと元気じゃないし不健康だから、こういう時に何て言えばいいのだろう。

よくわからないからぼんやりと、父の運転する車窓から空を見上げている。地元の夜空はそこそこ綺麗だと思う。特に家の周辺は田んぼしかないので、東京や今住んでいる関東郊外とは比べ物にならないほど星が見える。もっと綺麗に星が見える場所は日本にもたくさんあると思うけれど、わたしにとっては自分の家から見える星が美しいことに意味がある。だから何度見上げてもこの空に胸を打たれる。また見上げることができてよかった、と思える。

そんな帰省の時間も今日で終わり、明日朝に福岡へ発つ。なお去年5月に行ったばかりなので、久しぶりと言う感じは全然しない。その時の旅の目当ては刀ミュ(直前でコロナの影響により公演は全て中止、目的は果たせなかった)、今回の目当ては刀のへし切長谷部。コロナの前はこの展示を見るため、一年に一度必ずこの時期に福岡へ一人旅をしていた。ということはわたしってもう4年も観てないのか、長谷部くんの実物を……。

日本号は常設展示なので5月に観ることができたけれど、へし切長谷部はいつも正月のあとの1ヶ月しか展示されない。だからわたしの福岡の風景はいつも冷たい色をしている。天気も自分が行くときに限って曇りとか雨が多いので、あまり鮮やかなイメージはない。でもその冷たさが好きなのは長谷部くんのおかげだ。一番空気が澄んでいて星がよく見えるのは冬だから、ここには冬に来るのが最もふさわしい。

今はまだだけど、展示の最終日あたりには梅も咲き始める。冷たい風景の中に梅の華やかな色が混じるのを見ると、春が待ち遠しくて胸がぎゅっと締まる。冬はそういう、目の前にないものについて思いを馳せることができる季節だと思う。次の本でも冬の福岡の話を書くので、当時へし切長谷部を観て感じたことや、今だからこそ感じることを詰め込めたらいいな。明日は早いのでそろそろ爪塗って寝ます。

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