木犀の香りを嗅ぐたびに苦い気持ちになるのは、この香りがわたしにとって社会に出たことの証であるように感じられるからだと思う。
大学を卒業して社会人となってから今まで同じ街に住んでいるが、ここの地域の人は至る所に木犀を植えている。わたしのマンションの玄関口にも小さな金木犀の木があった。だから夏が終わって秋が始まると同時に、どこからともなく朗らかながらも寂しい香りが漂い始める。
上京するまで住んでいた地元ではあまり木犀を見かけた覚えがない。一本も生えていない、ということはないだろうが、少なくとも実家付近で木犀の香りを嗅いで秋を感じた記憶はない。通っていた隣の市の中学校も高校も、校舎の周りで咲いていた花といえば主に栗や木蓮だった。それも「栗の花は精液と同じにおいがする」という噂で盛り上がっていた下品な記憶しかない(いかにも女子校らしいといえばらしい話かもしれない)。だから余計に、今香っている木犀の香りを寂しく感じてしまうのだと思う。やり直しの効かないことばかり思い出してしまうから。
とまあセンチメンタルな書き出しになってしまったけれど、今のわたしはあまりささくれ立ってはいない。9月は忙しかったので日記は更新できなかったが、その代わりnoteを更新した。1年近くぶりに帰省もしたし、そのついでに観光もした。今日も少し遠出してかき氷を食べてきたところだ。
かき氷を食べながらテラス席を眺めていると、窓の隙間から風に乗って木犀の香りが鼻をくぐる。この喫茶店は少し不便な場所にあってお店も不定休なので、なかなか行く機会に恵まれなかったが、今日初めて足を運ぶことができた。引っ越して数年間は駅周辺から離れた場所を開拓するなんて考えられなかったので、良い変化が自分にも訪れているのかも知れない。













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