そうして、私と彼はBBとの決戦を迎え、打ち勝った。ムーンセルと同期したBBですら、ギルガメッシュの天地乖離す開闢の星を免れることは出来なかった。原初の姿を晒した彼は恒星のように輝いて、妖しい光を放つムーンセルを断ち切った。
その後、桜がBBの代替としてムーンセルとなり──全てをなかったことにすれば、この異変を解決できると判明した。そうすれば私がギルガメッシュと契約していた事実もなくなる。表に戻っても消える道理はないというわけだ。桜の口からそう聞いたとき、彼は「呆気ない終わりだったな」などと何でもないふりをして私の今後について様々皮肉っていたっけ。けれどその声のささやかな響きに、どこか別れ難いものを私は感じた。
だって、彼が対象について必要以上に言葉を尽くしたがる時は、嬉しいか拗ねているかのどちらかだ。きっとギルガメッシュは──今にも私が泣いて彼に助けを求める姿を望んでいる。契約の時や、彼の心の中にいた本能がしてくれたように──彼は、本気で求めなければ応じてくれない。逆に言えば、自らの魂を燃やし彼を求めれば、必ず応えてくれる。それがもう叶わぬからこそ、ギルガメッシュは「つまらん」と拗ねている。こんなに単純で泣きたくなるほど嬉しい事実に、やっと気がつけたというのに。この夢は、もう終わらなくてはならないらしい。面白くなさそうに、どこか幼い顔立ちのまま私を見つめる彼をもう一度見上げる。
こんな時に限って何を言えばいいのかわからない。今朝のように、何でもいいから声をかけてくれないだろうか。けれど私も彼も、考えていることはきっと同じで、だからこそ口が開けなかった。終わりの刻限まであと少し。ねえギルガメッシュ、私、あなたにまだ、何か──
そこで私の脳は思考する機能をゆるやかに停止させた。桜の光は柔らかに、そして無慈悲に事象選択樹の空間を満たす。私の意識は、その光へと徐に溶けていった。
✦ ✦ ✦
「大丈夫ですか?」
気がつくと、青いタイルのエフェクトがところどころかかる白壁が私の視界を覆っていた。ここは──保健室だろうか? 時々支給されるエーテルを貰いに、そしてラニのことでお世話になっていたからよく覚えている。健康管理AIの、確か名前は、そう──間桐桜。桜の声が聴こえて目線をあげると、彼女は不安げな様子で横たわる私を見つめていた。
長い夢を見ていた気がする。どんなと言われてもぼんやりとしか覚えていない。ただ、黄金と深紅の色を、その夢の中でずっと見ていたような。そういえばどうして私は保健室で寝かせられているんだろう。私はどういうわけか記憶が欠損したまま聖杯戦争に参加し、クラスは思い出せないが──サーヴァントと五回戦を突破した筈だ。私の怪訝な表情を汲み取ったのか、気を利かせて桜が私の今まで置かれていた状況を教えてくれる。
私はつい一時間前に、昇降口で倒れていたところを発見されたらしい。外傷は殆どなかったが、意識が戻らないので彼女の権限の効く限りの治療を施した後、そのままベッドに寝かしておいてくれたとのことだった。ただ、上級AIである彼女の情報処理能力を以てしても何故私が倒れていたのか、その原因はよくわからないという。最後に校内だからといってサーヴァントを連れずに行動するのはやめてくださいね、と諭されてしまった。
まったくだ。二回戦、五回戦と敵のサーヴァントに不意の攻撃を受けているのに、どうして私はさっきまでそんな無謀な行動に出ていたのだろう。「ごめん、今度から気をつけるね」と謝りをいれて、私はサーヴァントが待つマイルームへ足を運ぼうと身を起こす。寝ていたのは一時間程とはいえ、こちらの聖杯戦争はタイムリミットがきっかり決まっている。六回戦の相手も発表されている頃だろうし、悠長な漫遊はしていられない。……こちら? 何かおかしな言い回しをした気がしたが、気のせいだろう。
「……あれ? まだその痣、治っていませんね。何でだろう……権限の効く限り外傷はきちんと治療した筈なんですけど」
上履きを履いて立ち上がる。その瞬間何か気がついた様子の桜に「どうしたの?」と尋ねると、「そこです、その太腿の……」と指をさされる。彼女の視線を辿ってハイソックスの上の剥き出しの肌を見遣ると、そこには確かに鬱血したような小さな痣が在った。
即座に再び身体スキャンを行ってくれた桜によると、私の首や胸元にも同じような痣が点在しているのが見えるらしい。それに気がついた瞬間、何故だか胸の奥がつと熱くなった──気がした。
大切なことを、忘れているような。
「ごめんなさい。よくわからないんですけど、その痣の治療は私の権限じゃ行えないみたいです。毒とか呪いみたいな副次効果は……ないみたいですから、暫くしたら自然治癒するとは思います」
今すぐ治せなくてごめんなさいと申し訳なさそうに頭を下げる彼女に気がついて、慌てて気にしないでくれと諭す。彼女の顔を見ると、これとはまた別に心が痛むのだが──それにしても何だろう、この喪失感は。目頭が急に熱くなって息を呑む。
「あれ、岸波さんの感情値が急激に上昇しています。大丈夫ですか? このまま放っておくと精神状態に支障を来すおそれがあります。私が正常値に整えましょうか?」
「──ううん。ごめん、何でも……ない。放っておいたら治るから」
急いで出かけた涙を制服の袖で拭い、心配する桜に礼を言って保健室から退出する。この感情の放出を留めておかなければ、という声が頭の中に幾度も響く。目をこすりながらドアを引くと、廊下の片隅に、少し不安げな面持ちでラニが立っていた。
「あ──白野さん。目覚められたようで何よりです。ですが、一体どうされたのですか? 自分のサーヴァントを連れずに校内を歩き回るなど、敵の恰好の的です。二回戦でもアーチャーに襲われたことをお忘れになったのですか」
「ラニ……心配かけてごめんね」
彼女は普段通り淡々としつつも僅かに感情の籠った口ぶりで私を心配してくれている。だけどどうにも頭の中に内容が入ってこない。彼女と〝また〟会えたことはとても嬉しかったが、それは〝わかっていたこと〟だ。散漫とした意識で、彼女の注意を聴いていると涼やかな声だけが上滑りに鼓膜をなぞっていくのがわかる。
「……本当に気をつけてくださいね。──おや。その痣はどうされたのですか?」
ラニもまた、私の腿についた痣に指をさす。声が出なかった。彼女に何と説明すればいいのかわからなかったからだ。だって、何を忘れているか思い出せないのだから、何も語れない。けれど大切なことを忘れてしまった──そして、この痣はそれが思い出せるまで消えてはならないモノだ。それだけはわかる。また涙がじわと目尻の際まで溢れ出そうになるのを必死にこらえて「何でもない」と必死で言葉を紡ぐ。
「……わかりました。話したくないことは話さずともよいのです。今日はもう休んでください……と、本当は言いたいところですが」
そうだ。訳のわからない悲しみに苛まれてばかりでは、次の戦いに集中出来ない。忘れたままではいけないと誰かが叫んでいるのが聴こえるが、それでも前に進まなくてはどうにもならない。マイルームでサーヴァントと話してきたらどうかというラニの提案を無言で受け容れる。足取りが重い。本当に大丈夫かと彼女に見送られながら、私は一人で二階へ向かった。
マイルームの前に来て、ふと本能的に足が止まる。何だろう。胸の奥ががざわついて仕方がない。……目覚めてからいつになくぼんやりしているが、そういえば私の令呪はどこにあるんだっけ。左手の甲だっただろうかとふと見遣ると、そこには色褪せた紅い文様の痕がきっかり三画存在している。──けれど、こんなに傷んだ色をしていただろうか。
妙な不安に襲われると共に、はっきりと真実だと思えてきたことが一つある。それは、「岸波白野がこの扉を開けば、ムーンセルに不必要と見なされ消滅する」ということだった。
……突拍子もない。納得したくない。けれど納得しなければいけないと、「私」が遠くで囁いている。それでいいんだと私も納得しかけている。「私」はここで消えなくてはならない。息を飲み込んで、一気にドアを引き開く。ああ、でも──私はいったい何を忘れてしまったのか──
「フン。一足先に来てみたが、表側の部屋もみすぼらしいのだな」
──どうしてこんなに眩しいんだろう?
妙に聴きなれた尊大な口調につられて、私はこわごわ目を開く。
「だがまあ今更不満は漏らすまい。我もこちら側に来る際家財の九割を落としてきた身だ。しばしの赤貧、甘んじよう。四〇〇〇年に一度ならば貴様のような雑種紛いの暮らしを営むもまた一興」
殺風景な、学校の教室を空にしただけのマイルーム。この部屋には本来〝誰もいない筈だった〟。──まさか、夢の続きを見ているのだろうか? そこには白い床と対照的な真紅のベルベットで覆われた椅子を玉座とし、黄金でできた彫刻のような肉体の男が一糸纏わぬ姿で敢然と足を組み座していた。
見間違えようもない。彼は、あの不遜な紅い瞳を持つ王の名は、
「──ギルガメッシュ!」
思い出した──月の裏側で起こったこと。今はもう夢幻となったけれど、確かに私は月の裏側をこの黄金のサーヴァントと共に駆け抜けた。最後の夜に体も重ねた。ムーンセルも消すことが出来なかった、彼と歩んだ証。私はリセットされていない。この体は彼と戦い、傷つき、それでも立ち上がった体──魂だ。だからあんなに苦しかったのか。桜に、ラニに痣を指摘されたとき、言葉がうまく出てこなかったのか。
だが、彼は裏側に封印された存在だ。こちら側には来られなかったのではなかったか。そして何故、こんな時に限って悠然とキャストオフしているのか──? 願ってもいなかった再会を嬉しいと心が叫びすぎて、一般常識を引き出す思考能力が殺されているらしい。彼の格好に疑問は無限に出てくるが、どういうわけか反論する気力が全く出てこない……!
「そのような矩、破壊するに決まっておろう。原初の姿の封印を解き、ムーンセルと同期したBBとも渡り合った我だ。裏から表へのパスを作ることなど造作もない。虚数空間での微睡みにも満足いったしな。貴様が表ではどのようなマスターであったか──まあ、また惰眠を貪りたくなる程につまらぬ話であろうが、気が向いて調べてみようと思ったのだ。
貴様が契約していたのはバーサーカーのクラスだったが……どうもそやつは、貴様が裏側へ取り込まれていた最中にお前との契約を断ったようなのだ」
そ、そうだったの──? 思えば敵として対峙したサーヴァントの記憶ははっきりとあっても、仲間であったサーヴァントのこととなるとどうも判然としない。言われてみるとそういう気もしてくるにはしてくるのだが。取り敢えず、邪魔はせずに彼の話に相槌を打つ。
「我と契約し、我と共に駆けたマスターがサーヴァントを欠き脱落するなぞ我の面目が立たん。消え去る時は全力で戦い、及ばなかった時でなければならぬだろう? 故にパスを拡張して表へ駆けてやったというわけよ。まあ、ムーンセルは我の存在を規格外云々と申して不敬にも我を再度封印しようとし、その際に様々に制約を受けた故──家財はほぼ封じられてしまったがな! ああなに、そう落胆するな。貴様がリハビリした痕跡は初期状態に戻されてはおらぬ。鍵剣も我が蔵に厳重に保管してある。要はスキル封印と似たようなものだ。また経験値稼ぎでもして宝具を回収する宝具でも取り戻せばどうにかなるであろう!」
そこまで言って英雄王ははははと高らかに笑った。彼のサーヴァントとしての状態は全くご機嫌になれるような話ではなかったが──そんな荒療治で彼はこちらまで突破口を開き、トレードマークの黄金の鎧すら奪われながらここまでやってきてくれたというのか……!
「これで、貴様は我の手を頼る以外他あるまい?」
私を試すように問う彼をしっかり見返す。決まっている。そこまでして私という人間を買ってくれたサーヴァントを放っておける程、頭が回らないわけじゃない。いくら宝物の殆どが封じられているとはいえ、彼が最強のサーヴァントであることには変わりない。時間には限りがあるとはいえ、経験だってまた積み上げればいい。彼が居てくれれば私はこの聖杯戦争を勝ち抜ける。どんなことがあっても、再び傷つき迷うこととなっても──私はまだ、前に進んでいける。
しかし。私は左手の甲をもう一度見つめる。そこに令呪らしき文様はあるのだが、やはりどうも様子がおかしい。鮮やかな深紅ではなく瘡蓋の取れた痕が残っているような褪せた色。ムーンセルから未だ処断は下らないが、これは本当に私の正規の令呪とみなしてもよいものか。やはり私はここで消える運命なのだろうか──不安を隠しきれずに彼に問う。
「でもこの令呪、ほんとに大丈夫? 何だか色が褪せてるような……」
「心得ている。白野、手を貸せ」
彼の大きな手にひかれて、言われた通りに力を籠めて念じる。すると、左手の甲に表面を焦がすような熱が収束する。小さな炎が文様をなぞり徐々に拡がっていくようだ。すると令呪の表面が紅く蠢くのが見える。褪せていた色が、その紅を取り戻す。
「令呪が戻った……!?」
「これで貴様は名実共に月の聖杯戦争の正規マスターに再度相成った。だが貴様は現在、どのサーヴァントとも契約していないことになっている。そして貴様の目の前には一人、手の空いているサーヴァントがいる訳だ。──白野。貴様が我と共に頂を目指すというのならば手を取るがいい。今一度その令呪を捧げる時だ」
「──もちろん!」
そしてもう一度、差し伸べられた手を握る。令呪に仕掛けられていた仕組みはよくわからないけれど、私はまた彼と戦えるらしい。私だけじゃなく、彼の掌も熱を帯びている。深呼吸し、一つの令呪を残して私は二つの令呪を使用した。
一つ、自分たちは対等であること。互いの信念を認め、尊重し、必要であれば対立する自由を。
そしてもう一つは──ギルガメッシュは私、岸波白野の行く末を思う存分愉しむこと。私は貪欲に生きることを希求する。たとえ行き着く先は死だとしても、私は生きることを諦めたりはしない。だからそれを──私の命が果てるまで、傍で見ていて欲しい。その為に、力を貸してほしい。
「──そうか、よい誓いだ。我も存分に貴様の言に応え、剣を撃とう」
また、この魔力があれば、宝物を回収する糸口は掴めると彼は言った。それならば本当によかった。幾ら彼が最強とはいえ、私の命と引き換えに家財をなくすだなんて色々と申し訳が立たない。最後に一画遺された、ギルガメッシュの眸の色にも似た紅の文様。ふと太ももを見遣ると、鬱血の痕は消えていた。残りの二つも多分同様に消滅しただろう。令呪が起動したから? それとも私が彼を思い出したから、消えてしまったのだろうか。
でも、それならそれで構わない。彼との繋がりはこうしてより認識しやすい形へと変容した。言葉で表し難かった私と彼との繋がりは、こうして令呪へと形を変えた。岸波白野とギルガメッシュはマスターとサーヴァントであり、それ以上でも以下でもない。今はただそれでいい。
「でも──どうして私、こんな回りくどい状況になってたの? 令呪が戻ったのはギルの細工?」
すると待っていたとばかりに、彼は悪戯がうまくいった童子のように笑んだ。
「貴様が寝入っている間、我が蔵に収めてあった令呪に匹敵する魔力をその痕に籠めておいた」
「ギル、令呪の補填なんてできるの!?」
「当然だ。我を誰だと心得ている。──ま、本来ならば水の中で火が燃える以上に有り得ぬことだがな。自分の生を有り難く自覚し、頭を垂れ存分に己のサーヴァントを礼賛するがよいぞ」
それはとんでもない種明かしだった。令呪三画分の魔力を蓄えていて、それをもう一度私へ譲渡するだなんて。彼のような破格のサーヴァントに言われたら納得してしまう。そんなの反則じゃないだろうかと焦る気持ちもあるれど、実際にそれで私はムーンセルに消されずに済んだわけだから、頷くしかない。
凡百の民など歯牙にもかけない英雄王が、光る才能も力も持たないただの人間を信じてくれた。宝物と引き換えに私を選んでくれた。……その事実だけで、正直泣いてしまいそうな程嬉しいのだから。
「ありがとう、ギルガメッシュ」
ぐっと涙を堪え、私は彼に背を向けてマイルームのドアを引いた。
「どうしたマスター。貴様が部屋に戻ってくるまで退屈しておったのだ。貴様が散策するならば我も共に行こう」
恐ろしいことを言い出し椅子から立ち上がろうとする彼に振り返って、その動きを決死の思いで引き止める。
「着るもの買ってくるから、ここで待ってて!」
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