Ⅲ 出会わなければ終われない - 2/3

 デッカードから指示のあった場所へ向かい、手袋を嵌めて「KEEP OUT」と黄色いテープの張られた部屋の先に端末を翳すと、ドアの鍵が外れた音がしてテープが跡形もなく消え去る。ただのホログラムだったらしい。

 中は何の変哲もない八畳一間のワンルームだ。ついこの間まで人が生活していた様子がそこかしこに見受けられる。──だが、明らかにおかしな点が一つあった。玄関に黒い染みが点々と散らばっているのである。

「血だな」

 事も無げにつぶやく王様が言うならそうなんだろうけれど──と私は端末に染みの写真をおさめ、デッカードに送信する。詳しい鑑定に必要な細胞の採取はギルガメッシュに任せて、私は部屋の中を見回す。

「血か……でも被害者はこの部屋で殺されたわけじゃないんだよね」
「十中八九レプリカント、それもK-404のものであろうな」
「わかるの?」

 彼はやはりその千里眼で様々な真実を見抜いているらしい。願わくばその真実とやらを早急に示して事件解決に繋げてほしいところだが──それでは彼の愉しみが台無し、になってしまうんだろう。まあ、人命を危険に晒さない限り私は彼を責められない。私だって、純粋な正義感ではなくあのレプリカント達を知りたいという個人的な理由により、この事件に関わろうとしているのだから。

「でも部屋の中にはないんだね。血痕」

 なるべく物を動かさないよう注意しつつ部屋を観察していると、そんな疑問がふと湧いた。あんなにわかりやすい血痕という足跡を残しながら、生活の痕跡が色濃く滲み出るであろう室内にはそういった違和感がない。

「随分と注意深い奴等だったらしいが。最後の最後で襤褸が出たのであろう」
「最後? ……部屋を出ていく時、とか?」
「その通り。やるではないか白野。また飴でも食べるか?」

 久々のお褒めの言葉に少しばかり心拍数が上がりながらも、「仕事終わったらね」と遠慮しておく。何となく、この緊迫感に満ちた現場で彼に甘えるのは気が引けた。

 他に何か様子のおかしいところはないだろうかと足下を見ると、不意に自分のすぐ傍に白い粉末が散らばっているのが見えた。はじめはただの埃のようにも見えたが、塵というには少し量がある。周りのフローリングを見てもごみらしいごみがないため、目立っているように感じたのだろうか。

「ふむ。これも持ち帰るとするか」
「何だろうこれ」
「さあな。我の見立てでは奴等が使用していた薬か何かか」

 薬──そうか。二人共、特にK-404は体調が優れない筈だ。鎮痛剤を使用していてもおかしくはない。

「……肉体を持って生きていくのって、大変だね」
「電子生命体であっても命が永遠というわけではないぞ?」
「それは……わかってるけど。それでも随分脆い気がする。電脳世界なら肉体を失いかけても霊核が無事なら再生するし」

 言いつつ、ギルガメッシュの無垢心理領域で身体をそこかしこ吹き飛ばされながら前へと進んだことを思い出す。後で身体はどうにかなるだろう、なんてあの時は考える余裕すらなかったけれど。結局私は五体満足で、その後もこうして生き延びてきた。

 そう思うと、ますますJ-007とK-404のことが眩しく見えてしまう。足が折れてしまわない限り、彼等は走り続けるのだろうか。目覚めた自我の急く通りに。

「でも、そうなるとますます不思議ね」
「不思議、とは何がだ?」
「どうして彼等はここに戻ってきたのかな……」

 それはデッカードや社長から彼等について耳にした時初めに抱いた疑問だった。束の間かも知れないが、せっかく手に入れた自由だったのだろう。他の惑星にもブレードランナーはいるのかも知れないが、寿命を迎えつつあるというこの雨の惑星に戻って来る意味がよくわからない。私達のように旅に出るならば、もっと身分を偽装できそうな場所へ行くのが道理なのではないだろうか。

「やればできるではないかマスター」
「えっ」
「此度の一件はおそらくそこが最も重要だ」

 ギルガメッシュは心底おかしそうに口元を歪めてこちらを意味ありげに見つめる。──どうやら、思わぬピースを嵌めてしまったようだ。

「そも、この事件を解決したいならばまず彼奴等の動機を理解する必要があるのだ。デッカードめはその視点が欠けている」

 そうか。彼は当然の如くJ-007とK-404のことをレプリカントだと認識している。確かに言動や捜査の方法を見る限り、デッカードは彼等から人間らしい動機を推し量ろうとはしていなかった。だが、それもこの世界の「人間」に根付いた価値観では仕方がないのかも知れない。レプリカントは普通自我を持たない。彼等「人間」にとってレプリカントの主張する自我とは紛い物で、そこに真っ当な人間としての思考回路は存在しないとするのが自然なのだろう。

「じゃあ……何でこの二人が脱走しようとしたか考えなきゃいけないってこと?」
「そうだ。白野、貴様はこの二人の施設の脱走経路を考えたことがあるか」
「爆破された施設の見取り図なんて資料にはなかったけど。そういう意味じゃないんだよね」
「無論。貴様のような凡夫にはこう言った方が伝わるか──この二人が脱走する様を思い浮かべたことがあるか?」

 煽られつつも、ギルガメッシュはこの推量の答えの先へと誘導してくれる。……脱走する様。デッカードも言っていた通り、J-007は今回の事件の主犯だ。おそらく彼が爆破の大部分を取り仕切り、施設を混乱に陥れたのだろう。その後、動けないK-404を庇いながら逃走用の機体を確保し脱走した──と簡単に想像してみる。

「……何だか大変そうだね?」
「ほう。具体的に申せ」
「えっとその……J-007が。K-404は殆ど動けない、って考えると」

 思った通りのことを口にしてみる。きっとこの推測は間違っていない。効率のみを考えればJ-007がK-404と施設を脱出するメリットはない。寧ろまともに動作のできない彼はJ-007の足手まといになってしまうだろう。ギルガメッシュは私の思考の反芻に頷き、再び口を開く。

「J-007は軍属で戦闘経験に長けている。奴一人が自我に目覚め、人間への反抗心を抱いたというなら一人で事を済ます筈だ。だが奴は様々な実験の被験体にされ、身体が穴だらけであるというK-404をわざわざ連れて脱出した」
「K-404を連れて行かないと……彼にとっては意味がなかったってこと?」

 ギルガメッシュは黙ってにやりと片側だけ口角を吊り上げる。ちょっとだけ意地の悪い、彼が好奇心という硝子玉を人差し指の上でくるくる回しているような笑みだ。どうやら私の推測は彼と一致しているらしかった。

 では──J-007はK-404のためにここに来た。というのは過言かも知れないが、少なくとも彼はK-404への何かしらの思い入れがあるのだろう。彼がK-404のためにしてやれることとは、何か。実験に次ぐ実験の日々から解放してやることだろうか? ……だが、それではこの星に戻って来る意味がない。新天地を目指した方が余程利がある。

「彼奴等は運よく施設から逃げられた。だが、それでも彼奴等に明日はない」

 それは、この世界にはブレードランナーがいるから。──いや違う。そもそも彼等には時間がない。K-404もJ-007も定められた四年という耐久年数が近いのだ。「解任」されようとされまいと、彼等に明日を夢見ることは許されていなかった。

「違う……」

 そんな結論を出した自分自身に思わず否定が飛び出る。……違う。彼等はきっと人間だ。命がある限り、前に進み続けたいという願いを持った生命だ。ならば「生きたい」と、「死にたくない」と叫ぶのが道理だ。それだけは絶対に、間違った願いなんかじゃない。

「生きたいと彼奴等は願った」

 ギルガメッシュの星を詠むような声に私は唇を噛んで頷く。

「かつての貴様のように。死にたくないと立ち上がり、ここでは死なないと進み続けることを決めた。──ならば。彼奴等がその先に待つ死の運命を曲げたいと思ってもおかしくはあるまい?」

 そうして、ギルガメッシュはコートのポケットから端末を取り出す。再び錠が外れ、もうここに用はないと言わんばかりに彼はさっさと私を置いて部屋を出て行こうとする。慌てて彼の後ろ姿を追いながら、私は彼の最後の言葉を繰り返し口ずさむ。

(その先に待つ死の運命を曲げたいと──)

 死の運命を曲げる。……そんなことが果たして可能なのだろうか?
 彼の真意を理解できないまま、私はドアノブへ手をかけた。

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