それからあっという間に一週間が経った。
一日がかりの最終試験の結果は合格。とにかく骨の折れるものばかりだったけれど、何とかどの教科も赤点は取らずに済んだ。「アイツに恥かかせないで済んでよかったわねー」とリンは揶揄しつつも喜んでくれた。
教官も、言葉少なではあるがきちんと褒めてくれた。「最後に何もないところで転ばなければ、あと十点は取れていたな」なんていつもの皮肉は混じっていたが、嬉しいことには変わりないので敢えて指摘せずにおこう。
夜には私の合格祝いと教官の送別会を兼ねて、ささやかではあるがパーティーが開かれた。コーチ達やキャンプで暮らす人々に祝われてこそばゆい気持ちになりながら、私はちびちびとジンジャーエールを口にした。教官は教官で、幹部の人達相手に酒を酌み交わしていた。私の教育に関する契約はこれで終わるが、今後もレジスタンスと彼との協力関係は続いていく。次の彼の長期任務もレジスタンスからのオーダーによるものだ。多くの人に囲まれながら、私はその輪の外にいる彼をぼんやりと見つめていた。
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そうして、次の日の朝。彼の出立の時がやってきた。
もう少しゆっくりしてから行けばいいのに、と思ってしまう心はあれど、彼曰く先方のスケジュールの都合で、夜が明けた頃にはここを発たないと間に合わないらしい。私は彼を見送る為、いつもよりずっと早起きして顔を洗いながら、朝焼けの光に彩られた砂漠を見つめる。
お守りとしてもらった青いリボンは髪飾りにすることにした。髪を後ろで一つに束ねた後、ゴムの上からリボンを結わえる。案外と手間取ってしまったが、一応ちゃんと形にはなっている筈だ。
キャンプの敷地の入り口へ足を向けると、今後の教官の足になるのであろうラクダが行儀よく座っているのが目に入る。その近くでシュマーグを被った教官本人と、既に私以外――パーティーに出席していた人々が彼を囲んでいた。その中には当然リンもいる。……聞いていた出立の時間に合わせて出てきたつもりだったけれど、これはもしや時間を間違えたのではなかろうか。焦りながら小走りで向かうと、リンがいち早く気づいてこちらに手を振ってくれる。
「ごめん、遅れちゃった!」
「大丈夫、時間通りよ。……さて、そろそろ私達は戻るわね」
リンはそう言ってこちらへウインクした後、私と入れ替わるように場を去っていく。周りの人々も「達者でな」「どうかお元気で」「またね! お兄ちゃん」と口々に餞の言葉を交わし、彼女の後へ続いた。
「え? ……え?」
そうして示し合わせたかのようにぽつんと、私と教官だけが残される。これはどういうことなのか。教官へ視線を向けると、彼はやれやれと多少の呆れ顔でため息をついた。
「おおかた彼女が余計な気を回したんだろう。オレ達が最後、周囲の目を気にせず別れられるように」
そう言われると何だか急に気恥ずかしくなってくる。別に私達は周囲の目を憚るような関係ではなく、教官とその教え子に過ぎないのだが。
「……ええと、その……あなたとはいつも通りの雰囲気でいたいんだけど」
変な空気が流れ始めたところで素直な気持ちを告げると、「それもそうだ」と彼はおかしそうに笑った。……これ、絶対私だけ知らなかったパターンだ。あとでリンに抗議しなければならない。そう決意しながら、私は照れるのを隠すように顔をしかめる。
「ちょっと失礼」
「え?」
そう言って教官は徐に私の背後へと回り込む。何だろうと思っている内に、しゅるりと衣擦れの音がして頭に結わえていたリボンが解けた感覚があった。
「縦結びになってる。この結び方じゃあ縁起が悪いぞ」
そのまま彼はリボンを結び直してくれた。鏡のない今は見えないけれど――きっと綺麗な蝶々結びにしてくれたのだろう。
「次に会う時までに練習しておくことだ。オレがいなくても、綺麗に結べるように」
教官からその言葉を受け取って、私は唐突に泣きたくなってしまう。……わかっていたつもりで、勝手にこちらで覚悟していたことなのに、いざ彼が口にした途端びっくりする程私は心を揺さぶられてしまった。
私だけではなかった。教官も、私とまた会えると信じてくれている。できない約束はしない人だ。そんな彼がわざわざそう言ってくれたということは――次に会える未来を確信してくれている、ということ。それが今、震える程に嬉しかった。
「……うん。ちゃんと結べるようになる」
涙声にならないよう一生懸命耐えて、私は一度天を仰ぎ色々なものを引っ込める。涙とか、鼻水とか。そんな湿っぽいものでこの別れを彩ることはしたくない。
「私は、大丈夫」
再び敷地の境界に立つ教官を見上げて、私は言い切る。……そうだ、私は一人じゃない。リンという友人がいて、支えてくれる人々がいる。だからこれは暫しの別れ。それぞれの定めを信じて、等身大のまま私達は別の道を走っていく。きっとその先で再び交わることもあるだろう。その時にはあなたの背中についていけるように――私もこれから頑張っていくから。
「だから……またね。シロウ」
「ああ。また会おう、白野」
別れの言葉を口にして、彼はラクダに跨がった。利口なラクダはゆっくりと身体を起こして立ち上がる。そのまま彼等は迂回して、静かにこの地から去って行く。暁光は砂漠を往く教官の、――衛宮シロウの姿を明るく照らしていた。私は何も言えないまま精一杯の笑顔を浮かべ、彼が見えなくなるまでずっとその地平線の先を見つめていた。
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