女は宣言通り毎週水曜日、午前十四時きっかりにやってきた。要らんと毎度拒絶したところで女の態度は変わらない。化生の如き微笑を浮かべ、「本日もよろしくお願いいたします」と徐に頭を下げるのであった。
「大体、私はあなたの宗教をこれっぽっちも信仰していない。だのに何故私の下へ来る」
こうしてじろり、と私が睨みをきかせれば、大抵の人間は怯み目を逸らす。だが、女は微動だにせず視線を受け容れ、まっすぐ私を見返した。
「仏門に入られているかいないかは関係ありません。私が救うと決めたのはこの世すべての衆生。無論あなたもまた然り」
女の放言に私は笑いすら出なかった。……女の眼には嘘偽りがなかった。それが実現可能だとはその時の私には到底思えなかったが──本気で、この女は全ての人間を救うと口にしている。それだけはすぐにわかった。
「何故、そのような夢を口にできる」
「ええと……それは……」
思わず問うた先の女は先程までのきりりとした眼を唐突に伏せて、年ごろの娘のように──実際、未だ二十五も過ぎていない頃合いであろうが──恥じ入った。
「……私は、そこに法悦を感じるのでございます。いいえ、……そういうことばかりに法悦を感じてしまう、というか……」
女の蕩けるような視線が宙を過るのを眺め、「ふん、ばかばかしい」と首を振る。今ばかりは女というより少女の趣すらある。隙のないようでいて、妙に抜けたところのある女だ。
「では、あなたの法悦とは何でございますか?」
「は?」
急に切り返した女の視線に思わずごくりと唾を呑み込む。
「知りたいのです。あなたが今まで何を感じ、どのように生きてこられたのか」
「……知ってどうする」
「それが私の法悦ですから」
そうしてにっこりと天上の華の如き微笑をこぼす女に私は思わず狼狽える。──やはり、魔性である。そうわかっていてもついうっかり口を滑らせてしまいそうになる程には。
「私に法悦など……最早……」
そう言いかけて、口を噤み窓の外へ視線を逸らす。女は、それでも微笑みを絶やさぬまま静かに椅子に腰かけていた。
✦ ✦ ✦
「息子は、──どういう風の吹き回しであなたを呼んだのか」
女の来訪が両手を使っても足りぬ程となった折、ついそんな言葉を零してしまった。
「以前息子さんが仰った通りです。ただお父上を思う一心でのことだと私も思います」
女はすかさず言葉を継ぐが、そのようなことは言われなくともわかっている。わかっているのに、私は未だに女への視線を定められずにいる。魔性の気があるとはいえ、何故自分ともあろう者が斯様な小娘に慄きの感情を懐かねばならないのか。不甲斐ない醜態を晒している己自身への憤りに巻かれて私はろくに返事をすることができない。
「息子さんを深く愛してらっしゃるのですね」
突然そのような妄言を吐く女へと振り返って──私は──くらりと眩暈がして、一瞬ばかり息が止まる。「……何を、笑わせる」そう水気を絞り切った雑巾から垂れた一滴のような声が掠れた先、「私も仏門にて修行を積んだ者の端くれ。観の目なくしてはこの職業は務まりませんわ」と女は長い睫毛で縁取られた目を徐に伏せた。
「──私は、非情な人間だ。あなたも風評は聞き知っているのだろう。たとえ西欧財閥傘下であろうと満足することはない。会社を大きくする為ならどんなことでもする、リストラも買収も。余分は全て切り捨ててきた男だと」
「ええ。根っからの実力主義、過ちを許さず自他拘わらず厳しいお方だと。随分と気難しく生きてこられたのですね。……ですが、お会いした時確信しました。あなたの本質はそこにはない」
ただただ嫋やかに感じていた女の声がきんと、一本芯が通った力強いものへと変貌する。掛け布団を握りしめた私の指は震えている。──この女は。私の臓腑を、見通している。
「彼を通して──どなた様を見ていらっしゃるのですか?」
患者衣に汗が染み出す不快感に耐え、何とか女を見据える。それでも見据えるだけで何も返事できないでいると、「時間ですね。……また、来週に」とだけ言い残して女は椅子から立ち上がり、そのまま立ち去ってしまった。
✦ ✦ ✦
次の週、何事もなかったかのように女はやってきて、いつものように「こんにちは」と東洋風のお辞儀をした。
「……あなたと話すことはない」
「あら、どうしてですか?」
「話さんでも見えるんだろう」
もう言葉を交わしたくない。だって、その必要がない。どの程度までかは知らないが、女は私の腹の底を視ている。それが前回の来訪で理解できてしまった。──これ以上知りたくない。いや、知らされたくない。それは、私が一人で背負ってきたものだ。この私の頑なな態度に、流石の女も辟易とした様子で首を振った。
「私の務めは、あなたの心を解きほぐすこと。決して秘密を──あなたの抱えてきた心の内を、無理に暴くことではございません。ただ……あなたの心は少なからず苦しんでいるように見える。だからこそ、私はここに通ってきているのでございます」
女の眼光は、先週耳にした声と同じ程に力強い。意思ある瞳だ。……こんな瞳を、わたしはこれまで二度見たことがある。一たびは我が息子が私を継ぐことを決めた時。もう一たびは──
「……魔性だな。本当に」
女──殺生院には聞こえないようにぼそりと呟き、「はい?」とおっとりとした様子で訊き返す彼女に首を振る。だが、その魔とも呼ぶべき力に屈し魅せられてきたのはこの私自身だ。その為に──私の人生はあった。
「殺生院さん。あなたの得意とする治療方法については既に私も知っている。電脳世界で患者の精神にダイブして心の隙間を取り除く、とかいう」
「その通りでございます」
「なら、試してみてくれ。あなたの治療は私に効くのか。……この長年の心の燻りを、あなたは鎮めることができるのか。知りたくなった」
そうして枕元に置いてある端末を翳すと、「START」の文字が画面に浮かぶ。殺生院ははっと目を瞠った後、ふわりと春の風のような微笑みを浮かべて頷いた。
「──わかりました。それでは十字を逆り、仏性を写し転びましょう──」
STARTボタンをタップすると、すぐに眠気が私を襲う。魂が砂のように崩れ、霊子化されていく。そのまま私の意識は波に攫われ、夢を見るように零れ落ちた。
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