扉をノックした先にあったのは、無論彼女の診察室だった。「ようこそ」といつもの僧衣を纏った彼女に挨拶をして僕は用意されていた椅子に腰かける。ここは電脳世界だが、こういういつも通りの所作を行う度いつもここが現実であるとつい錯覚しそうになる。
「いかがでしたか、父は」
肩を竦めながら問うと、彼女は「素敵な方でしたわ」と屈託ない微笑みを浮かべた。
「ご冗談を、と言いたいところですが……本当にありがとうございます。あれからまったく人が変わったようでしてね。児童養護施設やらに寄付だの何だのやっていますよ」
「まあ、そうでしたか」
目を丸くしつつもあまり驚いていない様子の彼女にある意味こちらが驚いてしまう。あの偏屈だった父はもういない。少しぎこちないものの、今までの様子からは考えられなかったような柔らかい微笑みを浮かべて他人と接している。無論、息子である自分に対してもそれは変わらない。彼女の精神に直接干渉する治療の効果は計り知れないと聞いていたが、これ程までとは僕も考えてすらいなかった。
「無論、守秘義務がございますので幾ら息子さんとはいえあなたに彼の心の全てをお話するわけにはまいりません。ですが……あなたは初めからお気づきだったのではないですか?」
殺生院キアラはそうして小首を傾げる。──やはり彼女の人を見る眼は本物だ。彼女を欺くことは、並大抵の人間には不可能だろう。ひらひらと掌を返して「隠しごとはできませんねえ」と僕は苦笑した。
「自分の出生についてはやっぱり気になっていたんでね。……ある程度は見当がついていましたが。でも、僕だって父の愛を疑ったことなんかありませんよ。ただ……僕のことで万が一父が苦しんでいたのだとしたら、嫌だなと思ったんです。あなたに仕事を依頼したのは本当にそれだけの理由、なんですよ」
「ふふ……わかっています。私が何もせずとも、お二人は思い合っていたのですね」
「そう言われると照れるなあ。でも、そういうことなら僕も安心して父を見送れます」
虚空を見上げ、僕は父の横顔を思い出す。いつも苦しそうに寄っていた眉間の皺。誰にも付け入らせまいとする鋭い眼光。……それでも、僕には最後の最後で甘いところがあった。それを理解できない程、自分ももう子どもではない。
父の命はもうすぐ尽きるだろう。調子の悪い日々がここのところ続いている。それでも──もう整理はついている。ならば幕は下ろされる時だ。
「あなた方父子の安寧を祈りましょう。それが私の得られる真なる法悦なのですから」
キアラはそう言って目を伏せ、静かに手を合わせた。その姿を見て、父が最近口にしていた言葉を思い出した。
彼女は御使いだ。──天が地上に遣わした、人ならざる聖者なのだと。
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