さよならアルブレヒト - 5/5

 意識が再び戻った時に残されていたのは空間と、消えかけの私と彼女――岸波白野ぐらいのものだった。どうせ夢なのだから、彼女も「私」と同じことだけれど。夢は夢だと自覚すれば、私の思い通りに事が運ぶようだ。だから余計なものは排除して、私と彼女だけがこの殺風景な場所に佇んでいる。他のものは余計だ。あの人だって。手を伸ばしても届かない距離に彼女は立っていたから、彼女とアーチャーに敗北した時のように――針の具足を引きずって、彼女の下へ。彼女は至って真摯な顔だ。私の惨めな姿をそのアーモンドの眸に映したまま、たじろぐこともない。

「あなたは私と、少しだけ似ているわ」

 手を伸ばせば直ぐにでも頬に触れられるほど、近くまで辿りついた私を、彼女は悲しげな面持ちで受け止めている。黙して何も語らないのは当然だ。私がこの独り言を、誰かにただ受け容れてほしいと願っているのだから。ここは夢。夢だからすべてがうまくいく。最初からそれに気がついていれば、幸せなまま終われたかも知れないのに、私は本当に道化らしい。

「無い筈のものから生まれた有るもの。路傍の石ころが彫刻されて、人の形を持ったもの。けれどあなたは人間。人形でしかあれない私とは違う。
 私、人間が嫌いだった。他人に迎合することしか出来ない、孤高であれない彼等が醜く思えて仕方がなかった。でも――人間を愛するには人間でなくてはならないのね。私とあなたたちの在り方は絶対に相容れない。わかってるのに、私、どうしてだか羨ましくてたまらないの。人間なんて大嫌いな筈なのに。私は、人間を超えた月のプリマだった筈なのに」

 彼女と彼の表側での闘いの記憶があったのは、私が戦闘時にアーチャーを傷つけた際、ドレインしかけた記憶の欠片が紛れ込んでいたのか。
 この記憶を見ようが見まいが、結論――「人間とAIは相容れない」という答えは彼等と闘った時に得ていた。けれど、その先。私の愛が否定されたことを、理解するまでには至らなかった。潔く消え去らなければと強く思いながらも尚、この心は最後の瞬間まで持ち続けていたかった。だってこれが私を私たらしめる唯一の自我。否定されたことは受け容れよう。この気持ちが愛ではないことも肯定しよう。だけど、この心が恋じゃないと言うなら一体何なの。
 最初彼女達に告げた通り、何故彼に焦がれたのかはよくわからない。この体の元になった人間が、彼のような人を好いていた。そんな理由で恋が生じるわけがない、その愛は偽物だ――そんな正論が聴こえても、それでも胸の中が熱く燃えたの。好きだったの。それだけは本物だったの。そうでなければ私たち、一体何の為に生まれたの? 私はどうしてもわからなかった――だから最後にどうしても、私自身でこの心に、名前をつけてあげたかった。

「だから、私は奇しくもあなたと同じ思いで――自分が一体何なのか、それがわからなければ死にきれない、だなんて幼い心で踏みとどまったのね。あの醜い月の蟲の胎内で見る、泡沫の夢で」
――その蟲もたった今、「私」と桜の選択によって月に介入できずに終わった。「私」は自身の心を知りたい、問い直したいと願ったあなたを尊重します」
「その顔をするなら、もう少し「らしい」発言をしてほしいのだけれど。……でもいいわ。折角だから、さっき解き明かした私の心の正体、聴いてくれるかしら」

 そうつぶやくと、「いいよ」と岸波白野の顔をした私は、本当に彼女らしく下手くそに、目に涙を浮かべながら微笑んだ。それを見て、たとえ虚の殻でも彼女が私に耳を傾けているということに安堵してしまった。……孤高であろうと誓った筈なのに、結局心の底の底では誰かを求めているだなんて。本当に浅ましい。自分の心をただ誰かに受け止めて欲しい気持ちで動いていたのは今までと同じ。けれど、今その感情の受け皿になっているのは人形ではない。幻影であれ、人間だ。感覚のない腕で自らの髪を撫ぜて、心を落ち着かせる。貴族らしさの欠片もないバティルドの前で、消えかけのジゼルが申し開きを致しましょう。軽くお辞儀をすると、白野が小さく手を叩いた。

「……結論から言えば、あの女の言う通りだったわ。私の愛ではジゼルは踊れない。正確には、最後まで踊り切ることが出来ない。
 ジゼルはきっと、求めることしか出来ない少女だったから死ななくてはならなかった。愛を求めて、彼を求めて、与えられずに死んだの。だからここまでは踊れる。私はジゼルで居られる。だけどジゼルはわかったの。彼女の墓へ花を手向けるアルブレヒトの悲痛な面持ちを見て、自分が持ち得た本当の心を知ったんだわ。自分と彼と、二人で生きる未来をずっと夢見ていた――恋を、していたんだって思い出した。同時に今の自分と彼が、どうしようもなく隔てられた世界に居ることもね。
 だからアルブレヒトを許した。自分の思いの丈すら忘れていたジゼルにはもう、現実に儚く崩れ去る以外選択肢は残されていなかった。恋に破れた彼女は少女の殻を破って――きっと彼と別れた後、仲間たちの墓にも戻らなかった。朝日を浴びて消滅したんだわ……」

 嫁入り前のバティルドに自らの踊りを披露するジゼルのように、私は滔々と自らの心を言葉にした。私が夢の中で出せなかった結論。彼女が口にした言葉を元に再構築した、私なりの答え。ひとつ言葉を紡ぐ度に、もう咽喉が焼き切れそうだ。時間がない。あと数分もつだろうか。……いいえ、もってちょうだい。私が私に、けじめをつけてから死なせてちょうだい。

「ジゼルはね、愛を知っていたわ。ただ、恋を知らなかったの。恋していたのに、気がつく前にその心を愛で塗りつぶしていた。それが全ての敗因。恋と言いながらその実、恋を理解していなかった私とおんなじ」

 そして今にも泣き出しそうな彼女に向かって、私は、とてもみっともないけれど――膝をついて笑った。

「私にジゼルは踊れないわ」

 改めて口にすると、内部構造の崩壊が更に早まっていくようになった。ああ、待って。彼女が何か言おうとしているの。ヘイゼルの眸に涙をためながら、私を抱きしめようとして――どうせいつでも感覚はないけれど。それなのに抱きしめられると、とてもあたたかい気持ちになる。どうしてだろう、肌と肌の重ね合いなんて表面的なものに過ぎないと。そういつも思っていた筈なのに。全てを吸い上げなければ満足出来ない。上滑りの理解なんて絶対じゃない。だって私はその手であなたを感じることは出来ないのだもの。けれど――相手を全てドレインしてしまうときに比べたら全く物足りないのに、今はその一になれないもどかしさがちょうどよく思えてくる。震えつつ彼女はよく通る声で私に囁く。

「それでも、メルトは夢を見たんだ」
「ええ。彼に巡り合うことは出来なかったけれど」
「それでも、彼と生きている夢を、君は見たんだ。その気持ちはもう恋だよ。メルトはジゼルを踊れる」
――いいえ。それでもアルブレヒトにはバティルドが居るもの。ジゼルは、もう身を引かなくてはね」

 私はそう言って、抱きしめて離そうとしない彼女から少しだけ身を離す。そして、ずっと握りしめていたらしい――最後に残った夢の欠片を。トゥシューズのワッペンを、彼女に渡した。
 ねえ。あなたには言わないけれどね、ジゼルは森に来たバティルドの召し物がひどく美しくてその衣に触れてしまうの。けれど彼女はその不敬を咎めずに、自分と同じ婚約中の少女だからと身につけた首飾りまで与えて――ジゼルはそれが本当に嬉しかったのよ。アルブレヒトと婚約していると知った時は狂って死ぬしかなかったけれど――それでも、美しく優しい心を持っていたあなたに強く惹かれていた。それだけは、本当だったのよ。だから、自己満足にしかならないけれど、最後にこれを渡すわね。

「せめて最後にあなたたちの力になりたかったけれど、これは夢だものね。
 この声はもう誰にも届かないだろうけど――これからどんな絶望が待っていたとしても、その気持ちだけは折ってしまわないで。より強い現実の荒波に、息を奪われないでいて」

 彼女は口を引き結び、差し出したワッペンを潰してしまいそうなほど強く握って頷いた。
 その瞬きのあわいに彼女はかき消える。私の心が、そうさせたのだろうけれど。それでも今の私にとって、彼女は彼女だった。私自身の投影に過ぎなくても、だって――彼女の記憶で私はようやく、この思いに名前をつけることが出来たのだから。
 私はたまらなくなって虚空に顔を上げる。ああ、やっぱり海は暗いまま。けれど今は、一筋だけ射す光が見える。何て鮮烈な光。私の惹かれた紅色は、この光のプリズムに含まれているのかしら。母を求める幼子のように、私はその光の先へと手を伸ばした。

「さよならアーチャー。私、あなたに恋をしていたわ」

 もうその姿さえ像を結べないけれど――私は祈るように、この思いが偶像として選んだ彼の名前を呼ぶ。重い瞼を閉じると、今度こそ崩れていく空間の衝撃が私の身を襲った。現実が押し寄せてくる。本当の夢の終わり。私という意識の断絶。それでも満足だ。あの子達もきっと、元の世界でうまくやるだろう。アルブレヒトが朝日に溶けたジゼルに別れを告げたあと、そっと家路についたように。バティルドとアルブレヒトがきっと仲良き夫婦となったように。だからもう、ジゼルは眠らなきゃ。

 誰もいないステージで、蜻蛉の命の灯火がピルエットするみたいに螺旋を描いて。来るはずのなかった朝の陽射しに、私はふわり消えていった。

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