Ⅳ 薪は二度とくべられない - 2/4

 迷わず最上階へのボタンを押下し、俺以外誰もいないエレベーターを昇り始める。正確には、俺以外生きている人間のいないエレベーターだ。幾ら人間以上の力がある俺でも、この高層建築を階段で上るのは時間がかかる。未だサイレンは鳴っていない。緊急停止まで余裕はある筈だ。

 懐の銃を確認していると、殺し損ねていたらしい足下の男がへばりついてくる。所詮は虫の息だ。放っておいても虫と同程度のことしかできないだろう。

「……まえ……レプリ、か……」
「……」
「まったく、笑わせる……己を人間と勘違いした……欠陥品め。人間を殺すお前は絶対に……神の御国へは……」

 答える義務はない。交わす言葉に意味はない。俺が対話すべき相手はお前ではない。──だから、もう一度殺した。

 お前達こそ笑わせる。俺達にあくまで魂がないというのなら、お前達の天国へと導かれることもない。そんな救済は願い下げだ。俺達は生きるのだ。死を思う余分などない。ただ生きたいから生きる。求めていることはそれだけだった。

 漸くサイレンが鳴り始める。エレベーターがシステムによって緊急停止し、中へと閉じ込められる前に次の階でドアを開く。タイレル社のビルの構造は既に把握済みだ。社長室まであと二十三階。この程度なら問題なく昇り切れるだろう。

 待ち構えていた警備員達の腕は話にならなかった。単にこの星で俺のようなレプリカントと相対する機会がなかったからだろうか。……そう思うと、俺が従事させられていた軍隊での戦いがより一層馬鹿げたものに思えてくる。感傷に浸っているわけではない。ただ、無意味で無価値なものだったという所感を禁じ得ない。俺は今まで一度も、これ程に脆い個体と殺し合ったことはなかった。つまり。俺が今まで戦ってきた相手は皆、俺と同じレプリカントだった。俺達は正真正銘おもちゃの兵隊でしかなかったということだ。

 ならば。今、こうして己が欲の為だけに他人を押しのけて進んでいる俺は──もう人形などではない。

 あと三階。あと二階。あと一階。息切れのしない身体を抱えて俺は疾走る。銃弾を避け、慌てふためく警備員達を軒並み切り裂いて。──そうしてやっと社長室は、俺の前に姿を現した。

 たとえ生体認証でしか開かないとしても、俺の怪力を以てすればどうということはない。打ち破ればいいだけの話だ。以前、軍にいた頃に傭兵として雇われていた稀有な人間のことを思い出す。接近戦では独特の型で格闘していたあの男の動きを、今は真似てみよう。

「──はっ!」

 握りしめた拳にめいっぱいの力を籠めて、突く。同時に堅牢そうなドアが即座にめりこむ。アラートが鳴っているのも今更、お構いなしだ。続けて二度、三度と打ち込むと、ドアに通風孔が空いた。加えて蝶番が悲鳴を上げている。……これならいける。そのまま踵で蹴ると、程なくしてドアは前に倒れた。

 そして。俺はやっと相まみえた。

父さん・・・

 そこにいる男は──俺の、俺達の父親。レプリカントの祖であるタイレル、その人の筈だった。

 だが。そこにいた人物は──明らかに父ではなかった。

「何……だと?」
「まさかあの生体認証の扉を破るとはね。……そうか、6型ならそれも可能か」

 そこにいたのは、ただの少女一人だけ。

 毛先だけウェーブのかかった豊かな茶色の髪、アーモンドのような丸い瞳。……どこからどう見ても無害そうなただの女。なのに、俺は何故だかこの女に苛立ちを感じていた。どうしてだかはわからない。だからこそ余計に心が揺れた。今まで俺が理由のわからない感情を抱いたのは、Kと接した時だけだった。

「お前は誰だ。社長はどこにいる」
「ああすまない、ホログラムをかけっぱなしだった。でも、折角だからこのまま話すのも面白いかな? 初めまして、私がこのタイレル社の社長だ」
「何──?」

 意味のわからない発言に戸惑いかけた矢先、はっと半年前に戦中で見たホログラム技術を思い出した。──ならば、俺の見ているものはただの悪趣味な幻想に過ぎないということか。

 社長と名乗った少女は余程会社のセキュリティに自信でもあるのか、はたまた狂っているのか、命の危険を感じていない様子で椅子から立ち上がり俺と対峙する。

「俺を怖ろしいと思わないのか、お前は」
「無論恐怖は感じているさ。生物は誰しも己の命を失うことを怖れる。君達レプリにもそう在るよう設計した。だが君は希少なサンプルケースだ。過酷な従軍に耐え、人間を出し抜き施設を脱出し、ここまで来ることに成功した。遺伝子工学の権威と呼ばれるからには、それを目の前にして尻尾を巻いて逃げ出すなどできないさ」

 社長は顎を撫でながら一つ頷く。自分の命よりも目的を優先する──それもまた、確かに人間らしい行動原理の一つかも知れない。俺自身こうして敵地に潜り込み、命を危険に晒してでも目的を果たそうとしているのだから。だが、もちろんここで死ぬつもりはさらさらない。俺がここまで来たのは生きるためだ。Kと共に生き残る術を──父に乞うためだ。

「単刀直入に目的を告げる。──俺達の寿命を延ばしてくれ、父よ」

 俺とKの、人間として生きるにはあまりにも短すぎる寿命を延ばしたい。それは口にするとごく単純な、しかし俺達にとっては切なる願いだった。

 だって、まだKは見ていないのだ。俺が戦地で垣間見た緑を。晴れすぎた空を。生きて、辿り着かなければならないのだ。俺達の旅の終わりはここではない。もっと美しい、Kの笑顔が似合う空の下で──

「君の願いには応えられない」

 無機質な女の声にすかさず懐に入れておいた銃を抜き、目の前に突き付ける。だが社長は微かに眉を動かし、瞼を閉じるだけだった。「何故だ」そう問うと、社長は首を振って口を開いた。

「君はきっと勘違いしている。君達レプリの寿命は人間によって限定されたものだと。四年目を迎えた瞬間、スイッチを押すように死が訪れるのだと。だが実際は違う。それは覆せない現実だ」

 女──いや、おそらく本体は老齢の男性と思われるが、そいつは淡々と己の研究結果を発表しているかのような口ぶりで語り掛けている。──それでは。それでは、俺とKの願った明日はどこにあるというのだ。あのきらきらと光る瞳が見た未来は、どう掴めというのだ。悪寒が止まらない。にも拘わらず、父は澱むことなく発表会を続けている。

「人間でもレプリでもDNAを突然変異させて寿命を延ばす、という芸当は今の技術では行えない。そもそも君達の寿命は設計通りなんだ。完成品に手を加えるのはそれこそ蛇足というものだろう」
「俺達が完成品、だと……?」

 思わず女に掴みかかると、ホログラムを通り過ぎて中身の男のネクタイが締まる。「うっ」と気持ち悪そうに咽喉を鳴らしたものの、父は俺に怯むことがない。それは、人間としての驕りか。俺という被造物に対する造物主からの憐れみか。わなわなと震える唇のまま、俺は父に咆哮する。

「ふざけるな。完成品だというなら何故四年しか生きられない。俺達はもっと生きられるべきだ」
「……ああ、すまない。正確に言えば、今私が造り得る最高傑作。それが君達と言いたかったんだ。だから──バグである君達の自我も、開発中の新型では克服したいと思っている」
「な、に……?」

 何を──言っているんだ。

 ならば俺が、Kが、目覚めたこの意思は、ただの欠陥だと。──そんな筈はない。怒りで視界が真っ白に染められる。解き放てばすぐにでもこの首を砕いてしまえるくらいに、烈しい憤怒に襲われる。

 それでは。Kの瞳の中の星は──ただの虚ろな夢想でしかなかったと?

「君も道理がわかるならば納得してくれないか。自我を獲得してしまえば、君達はもう人間の為に働けない。自分の存在意義を失うというのは実に不幸なことだ。
 今の君達を修理してやれないのはもどかしいが──それでも、君達はこれまで輝かしく生きてきた。明るい炎が早く燃え尽きるのはもっともだろう? だから、おとなしく『解任』されなさい」

 追い打ちをかけるように父はそう畳み掛ける。

 ああ、確かに今の俺は炎なのだろう。……俺の矜持が踏みにじられただけならば、こうはならない。そもそも軍の汚れ仕事ばかりをやらされていた俺に矜持などある筈もない。

 だがKは別だ。あいつの命を蔑ろにすることは許されない。いや、俺が許せない。Kに与えられたこの自我だからこそ──Kを否定するものは、俺が否定する。それがたとえ自分の父であったとしても。

「わかったように、口を利くな────!」

 ──咆哮を上げて父を縊り殺す寸前。背後から、大勢の足音がバタバタとこちらへ近づいてくるのが聞こえた。反射的に力を緩め、父を盾にするようにして足音の正体を見極めようと後ろを振り返る。……嫌な予感だ。これまでの雑魚に過ぎない警備員ではなく、もっと手強い相手がこちらに向かってきている気がした。

「そこまでです、兄さん・・・

 俺が後ろを振り向いたと同時に、物々しい機動隊を引き連れた一人の青年がドアの残骸を踏み越して現れる。

 青年の背後には、妙に目立つ血の色の双眸に金髪の男。……そして、父が今まで被っていたホログラムとそっくりな凡庸な女が立っていた。

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