Ⅴ 俺達に天国はない - 1/5

ますます強くなるばかりの嵐の中を、デッカードの運転するスピナーが突き進んでいく。それを、少しずつではあるがギルガメッシュのスピナー──J‐007が引き離していく。

器用にもデッカードは、先の特殊部隊への通信に応じて的確な指揮を執っていた。……正直、見た目だけ仰々しいあの人達はお世辞にも役に立っていたとは言えなかったけれど、それは形だけ見れば彼等についてきただけだった私だって同じようなものだ。彼等からの通信を切った途端、ギルガメッシュは不機嫌さを隠しもせずに窓の外を眺めながらぼやく。……あのスピナーのことは意外と気に入っていたらしい。

「使えぬ木偶ばかりであったが、あれが貴様の組織の限界ということか?」
「まあまあ、色々事情があるのですよ。政府と密接な関係のあるタイレル社ですから。対レプリカントの訓練を全くしていない部隊でも、向かわせる必要があったということです」
「つまらぬ事情だな」
「立場上おおっぴらに同意はできませんけどね」

彼とギルガメッシュが会話を交わしている間に、新たな通信が入る。どうやら都市警察からだ。ハンドルに手を添えながら、デッカードは通話ボタンをタップする。

『お疲れ様。検視の結果が出たわ』
「あなたでしたか。お疲れ様です」

アイコンに映っているのはどこか儚げで可憐な銀髪の女性だった。話の内容から、どうやら先程捜査資料を引き渡した検視官の同僚らしい。モニターを見たギルガメッシュがぴくりと眉を動かした気がしたが、気のせいだろうか。

『DNA検査はクロ。タイレル社から提供されたK‐404のものと一致。それと、一緒に引き渡された白い粉末だけれど。これは人工蛇の鱗ね』
「人工蛇ですか?」
『素材に痛み止めの効能のある成分が使われているの。でも、普通の人間はこんなものを使う前に正規品を買うわ。……それで、私の記憶と都市警察のデータベースが確かならだけれど。これを薬として売っている男が一人、市の外れの路地裏にいる』

淡々と事実を説明しつつ、検視官はスピナーにファイルを転送する。どうやらその男に関するデータらしい。運転中のデッカードに代わりギルガメッシュがファイルを開くと、黒い膚に紅い刺青を入れた、少し幼い顔立ちの青年の写真が表示される。その隣にはプロフィールと、彼の縄張り付近の地図データが並んでいた。

「ああ、彼ですか。噂にはかねがね」

デッカードの口ぶりを聞く限り、どうやらこの青年は都市警察の中ではちょっとした有名人らしい。お尋ね者というわけではなさそうだが、警察から目をつけられている人物ではあるのだろう。

『性悪だけれど、正当な見返りがあれば情報は提供してくれるはずよ』
「わかりました。申請すれば上も手当をくれるでしょう」

用件はそれだけだったのか、彼女からの通信が切れる。再びモニターに映ったのは、埋まらないJ‐007との距離を示すナビだった。

「人工の蛇──この世界の生態系はそこまで崩れているというのか」

ギルガメッシュの呆れた声に「返す言葉もありません」とデッカードは苦笑いする。ギルガメッシュはというと、先の不機嫌そうな面持ちはそのまま正面から視線を外して何か思案していた。

「……父を、守っていただいてありがとうございます」

急なデッカードの発言に私は「え?」と間の抜けた声を上げてしまう。急いでギルガメッシュの方をもう一度見遣ると、「ふん、やはりな」と彼は全て理解した様子でふんぞり返っていた。

「おや、ばれていたんですか」
「当然であろう。我の千里眼を何だと心得る」
「え、ちょ、ちょっと待って」

運転席と助手席の二人だけで話を完結させるのはやめてほしい。……父? そういえばデッカードはJ‐007に対して「兄さん」と呼びかけていた。彼と対峙している途中「父さん」と独り言ちていたのも確かに見た。──ええと。それはつまり、どういうことなんだろう?

「言ったでしょう? デッカードはコードネームのようなものだと。僕の本当の名はタイレルです」
「……えっ!?」
「いい加減察しが悪いぞ、白野」

私の理解の遅さに少々の苛立ちを見せるギルガメッシュだが、正直急な展開が多すぎて頭がついてゆかないのが現実だ。今一度情報を整理しよう。デッカードの本当の名前は、タイレル。つまり目の前の彼はあの社長の血縁……息子ということか。

「大学を飛び級で卒業した僕は父の会社に入社し、彼を継ぐことになっていました。ですが少々思うところがありまして──ブレードランナーになることにしたのです」
「その思うところ、というのが貴様がJ‐007を兄と呼んだ理由か」
「ご明察」

ギルガメッシュの合いの手に頷くデッカードの横顔は相変わらず整った笑顔が張り付けられていたが、すぐにそれも強張る。

「父は素晴らしい研究者ですが、研究の為なら人間の倫理を平気で踏み越える人です。そもそも、あなたがたは何故タイレル社以外がレプリカントを製造していないかわかりますか? ……それは、タイレル社以外は人間の禁忌に触れなかった。レプリカント製造の為に人柱を立てることなどしなかった。だから、タイレル社製レプリカントの質を超えることができなかったんです」

デッカードの言葉に、私もまた全身が硬直する。察しが悪いと叱咤された私も流石に今回は嫌な予感が走る。

「まさか……J‐007のモデルは、あなたのお兄さん……?」
「血の繋がりは半分だけですし、一度も会ったことはありませんけれど。……彼は私生児でした。生まれて間もなく彼の母によって都市外にある孤児院という名の収容所に入れられ、強制労働させられていたところを父が見つけ出し、極秘裏に連れ戻したのです。レプリカント研究の生体実験に用いる為に」

デッカードはアクセルを踏み、ハンドルを操作する手を止めぬまま滔々と私達に事の次第を語り始める。彼のあまり抑揚のない声音に対し、私はじわじわと背を氷で撫でられているような心地を得る。

「兄は実験中に死亡。ですが、彼のもたらしたデータはネクサス6型の製造に大いに貢献し、その結果事実は闇に葬られました。
これを知ったのは僕が進路を決める寸前のことです。──父に反抗するつもりはありません。声を上げたところでもう証拠は巧妙に隠蔽されている。それに、この開発によって人間は更なる労働力を得た。危険な労働現場や戦争で命を落とす人間は激減した。なら──彼は無駄死にしたわけではないのでしょう。
ですが……ある衝動に駆られました。いずれ僕はあの会社を継ぐことになります。そうなる前に僕は、知らなければならないと思ったんです。人間を踏み台にして作られた人形を。彼等に宿った魂は、本当に『バグ』であるのかということを」

デッカードの横顔からは感情が全く窺えない。それは彼が、彼という人物がこの命題に己の人生を賭している覚悟の証拠だったのだろう。

「その仮定こそ、貴様が懐いてはいけないものではないか? それは貴様が初めに言った世界の秩序の崩壊に繋がるだろう」

冷や水のようなギルガメッシュの問いかけに対し、デッカードは躊躇いなく首を縦に振る。

「──ええ、まったくその通りです。どうして僕はここにいるんでしょうね。でも、この衝動に僕は抗えなかった」

そのまま車内には暫く沈黙が満ちた。デッカードがブレードランナーになった経緯。ネクサス6型に秘められた真実。──人間とレプリカントの境とは、何なのか。咄嗟に答えは出せなかった。それに、彼の答えは彼自身が見出すべきものだ。デッカードはブレードランナーとしての自分の使命を十分に理解している。この世界の秩序を守ることが第一であること。その上で彼はレプリカントという存在に対して疑問を抱いているのだから、一筋縄でいくはずがない。

そこに突然フラッシュを焚いたような閃光が車内を照らす。反射的に目を瞑った。雷か、と理解した瞬間、地に稲妻が轟く。

「……見通しが悪いな。我の目では捕捉しているが、貴様等はもうスピナーを見失っただろう」

再び目を開いた時、ギルガメッシュがつまらなそうに腕を組み直す。言われた通り、先程まではぎりぎり彼の乗っているらしきスピナーの粒を追えていたものの、もう目を凝らしてもわからない。「無駄話のツケでしょうか」と苦笑するデッカードに「笑っている場合じゃないのでは!?」と声も腰も上がりかけるが、モニターを見直すと未だJ‐007の反応は消えていなかった。

「たとえ彼であっても、あのGPSは破壊できません。スピナーを破壊することと同義ですから」
「何だ……ならまだ望みはあるんだよね」
「ええ。もうすぐ都市警察です。ギルガメッシュさん、ハクノ。ここからは二手に分かれて行動しましょう。J‐007を追うための車両を新しく用意させました。ギルガメッシュさんはそちらへ乗り、引き続き彼を追ってください。データは既に同期済みです。スピナーを捨てたのなら取り逃がすまでに追いつけるでしょう。ハクノ、あなたは僕と一緒にあの薬売りの青年の下へ。K‐404の居場所が掴めるかもしれません」

デッカードはそうしてちらりと私のいる後部座席へと視線をスライドさせ、すぐに正面を向き直る。彼の言う通り、ワイパーの拭った窓の先には都市警察のビルが小さく映っていた。

「……その命令には従えない」

彼にそう告げると、予想通りギルガメッシュが腕を組み直してふっと息を漏らす。……そう、あなたの反応はそれでいい。動揺することなく「それは何故ですか?」とデッカードは私に問い返す。──デッカードの覚悟。レプリカントに隠された真実を知り、それを告発しないとした上でレプリカントに向き合うと決めた彼に負けないくらいの強がりで、私は息を振り絞る。

「彼と話さなくちゃいけないの」
「話す必要はありません。あれではもう対話は望めない」

デッカードは先程の淡々とした口調に戻り、私を諭すように語りかけた。……だけど、私だって簡単に引くつもりは毛頭ない。

「どう足掻いても彼の目的は果たされない。ならば向こうにもこちらと話すメリットはない。あの様子では自暴自棄に襲ってくるばかりでしょう」
「J‐007を知らなくちゃ、私は私の存在意義について……あなたにレプリカントと判断されたことについて納得できない。……それに。彼の言葉を聞いてあげる人がいなきゃ、彼だって止まらないと思う」

──私がこの世界にやってきてレプリカントと判断された意味があったなら、今がその意味を果たすときだ。人間であってもこの世界では「人間」ではない私だからこそ、彼に手が届くはずだ。ネガティブな感情抜きにそう思った。

元々NPCでしかなかった過去は変えられない。変えようとも特に思わない。そんなことより、今は共に歩んでくれるギルガメッシュのいる現在を、そして未来を尊びたい。今はまだ推測に過ぎないけれど──それはJ‐007だって同じなんじゃないのか。K‐404と共に生きたいと願っているからこそ、彼はこんな事件を起こしたんじゃないだろうか?

「これに関しては我も白野に同意するぞ。加えてこの娘が我の近くにいるからこそ出せる切り札もある故な」

ギルガメッシュはそう言ってこちらへ軽く目配せした。……確かに、例の魔術結晶は彼の蔵の中にしまってある。彼のサーヴァントとしての力を少しでも引き出そうとするならば、マスターである私が近くにいる必要がある。

「……はあ。仕方がありません。命はあなたがた自身で護ってください」

デッカードは呆れた様子で一つため息をつき、スピナーを減速させ始める。こちらへ警棒を振っている警官がいるが、近くに黒塗りの警察車両が停められていた。あれが新しく用意させたというスピナーだろうか。

こちらを振り返らないまま、デッカードはがさごそと運転席の引き出しを弄った後、私へ銃を差し出した。

「預けておきます。ギルガメッシュさんには既に渡してありますが、それでも自衛できるものが何かあった方がいいでしょう。使い方は彼に訊いてください」

躊躇いがちにそれを受け取る。こういった魔術的な意味を持たない武器を握るのは、覚えている限り初めてのことだった。

SE.RA.PHにおいて私はマスターであり、ギルガメッシュはサーヴァント。私が扱う武器とは彼のことだった。私は、私達はそうやって戦ってきた。けれど──何気なく渡されたただの銃を酷く重く感じたのは、覚悟が足りなかったということなのだろうか。

……それでも。もう一度心を奮い立たせて、銃をぎゅっと握りしめる。直接剣を交えたわけではなくとも、私が私の願いの為に戦ってきたことは変わらない。その為に他人を押しのけたことも。

だから今度も同じだ。私はJ‐007を知る。そして、その上で──私が成すべきだと信じたことを成すのだ。

「くれぐれも前には出てはいけません。ネクサス6型の身体能力は先程目の当たりにしたでしょう。これまでギルガメッシュさんと共にあったあなたなら、諭す必要もないかも知れませんが」
「……心配してくれてるの?」

デッカードのその言葉に反射的に応じてしまった後、少しだけ後悔した。デッカードにとって私は人間ではなくレプリカントである。心配なんて人間的な感情を向けているわけがないのに。

「──さあ、どうでしょう。失うのが惜しいと思える程、あなたが有用な場面を見ていないので」

ふ、と息を漏らしてデッカードは微笑む。後部座席からはその微笑みにどんな色が宿っているのかよく見えない。そんなやり取りをしている内に私達の乗ったスピナーは着陸してしまう。

「行ってください。ご武運を」

ドアを開けたギルガメッシュに続いて私もシートベルトを外し、外に出る。既にエンジンのかかった近くの黒塗りのスピナーに乗り込もうとして、ギルガメッシュは再び彼の下へ身を翻した。それに気が付いてデッカードが窓を開けると、彼は口を開く。

「貴様も己の信念を過つなよ」
「それは……どういう意味でしょう」
「この世界の正義と秩序の為に今の貴様は在るのだろう。それを決して忘れるな。天秤を持つ腕を揺らしてはならん」

ギルガメッシュの、デッカードへ向けられた瞳は──私の心の内を見定める時のように鋭かった。彼の眼差しに開きかけていた唇を引き結んだ後、デッカードはひとつ頷く。

「──ご忠告感謝します。わかっていますよ。僕は、ブレードランナーですから」

彼の答えに満足したのか、ギルガメッシュが改めて用意されたスピナーへと踵を返す。私も開きかけていたドアの隙間から助手席に乗り込むと同時にデッカードのスピナーが離陸を始めた。

彼の車から目を離し、既にGPSナビが起動しているモニターを覗き込んでいる間に手際よくギルガメッシュもスピナーの発進準備に入る。……いよいよだ。私も覚悟を決めなければならない。決まってはいるつもりだけれど、それでも改めて己に問い直さなくてはならない。

私であったかも知れない彼をこのままころすことができるのか、と。

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