青年の情報を頼りに、殆ど人の住まないアパルトメントに僕は足を運んだ。
管理人の老婆に身分証を見せ、特捜権限で指定した部屋の鍵を渡してもらう。ガタガタと揺れる旧式のエレベーターに乗って、ボタンを押下しドアを閉める。
雨足は変わらず強い。……ギルガメッシュさん達は、きっと追いつけているだろう。だがギルガメッシュさんと言えど、彼が手強いネクサス6型であることに変わりはない。特定管理番号404──ハクノを何故同行させたのか。その意味がいまひとつわからなかった。
ハクノはレプリカントだ。愛玩用、慰安用のレプリカントに入れ込む人間は少数いると聞くが、それでも彼等は用途のはっきりした人形だ。
だがそれでも、と反駁する自分もいる。ハクノは自らを「人間だ」と言った。それに加え、ギルガメッシュさんも彼女を人間として扱っているように見えた。彼等のやり取りはあまりに人間じみていた。ただのバグとは思えない程、彼女は自分のアイデンティティに自覚的だった。
──彼等は異なる世界からやってきた。その世界におけるレプリカント技術がタイレル社よりも優れていた、ただそれだけのことかも知れない。……今はそう結論づけ、扉の開いたエレベーターから降りる。すぐ近くのその部屋の鍵穴に、僕は渡された鍵を差し込んだ。
軋む音を立てながら開いた扉の隙間から、漏れ出ずる光はない。彼は眠っているらしい。電燈のスイッチを押すと、部屋の奥から衣擦れの音が聞こえた。迷わず懐から銃を取り出して安全装置を外す。相手は寝たきりのネクサス4型だ。大した抵抗はされないだろうと思いつつも、念のためそれを構えながら部屋に踏み込む。
殺風景な部屋だった。ベッドとキッチンと備え付けの収納以外家具らしい家具がない。そのベッドの中に、彼──K‐404はいた。
起き上がる力はもうないのか、首だけをこちらに向けて僅かに目を開いている。顔色もひどく悪い。……けれどその姿は、先程見えた父の纏ったホログラムの少年そのままだった。
「お前は……」
「デッカード。ブレードランナーです」
データでしか見たことのなかった少年が目の前にいる。父の言う言葉が本当ならば、僕は彼のことを無意識に天敵だと感じていたらしい。
考えてみればおかしな話だ。父が兄の形をした彼、J‐007の姿を取っていたならまだわかる。けれど何の変哲もない、彼と比べれば驚異でも何でもないこの死にかけのネクサス4型の彼が、どうして僕の天敵たり得るというのか。
「……Jは?」
「もう二人のブレードランナーが追っています」
「俺達は……死ぬのか」
「人間に従えないレプリカントは『解任』する決まりになっています」
彼の独り言のような声に応じてやると、瞬きの後K‐404はわずかな後悔を表情に滲ませながら首を振った。
「……死にたくないな」
ぽつりと漏らした彼の呟きは、外の雨音にかき消されぬまま僕の鼓膜を震わす。
「──それは、何故ですか」
だからだろうか。問う価値などないはずなのに、つい口が滑った。己の失言に眉を顰めている内に、K‐404は「何のため……」と律儀に僕の言葉への答えを思案しているようだった。
「俺はさ……たくさんの実験で、たくさん体が痛んで。何で自分が生きているのか、自問自答する内に俺が俺だってことに気づいてた」
たどたどしい表現ながら、彼の言葉には確かな経験という重みがあった。レプリカントに人権はない。生体実験とは名ばかりの、残酷な処刑じみた行為も彼は受けてきたのだろう。……それでも意識を保ち生きていた彼だからこそ、「バグ」が起きても仕方がない。
「……僕がここで殺さずとも、あなたはもうすぐ死んでしまうでしょう」
続けて僕は彼に通告する。自分でも不可解なことをしていると思った。繰り返し自分が納得してきたその結論で、今回も納得すればよかったのに。……けれど、一度開いてしまった穴は容易には縫合できなかった。
「わかってる。Jは必死に俺の生きる道を探してくれてるけど。多分、俺はもうすぐ死ぬ。それはすごく……怖いことだ」
言いつつK‐404は全身の力を振り絞り、両腕を──手を、宙へ上げる。
それはまるで、この地ではもう見ることのできない星へ手を伸ばすかのようだった。
「でも俺は、俺なんだって気が付いてしまった。だから……俺自身を諦められない。Jとまだ一緒にいる明日を、夢見たい。それだけなんだ」
息を呑んだ。彼の瞳の中には未だ煌めきが灯っている。天井の蛍光灯などではない。もう満足に動かない彼は、それでも確かに、ある一つの個として認識せざるを得ない光を宿していた。この世界がもう、忘れてしまったかも知れない──命の燈火を。
そうして、ぱたりと糸が切れたように彼の腕がベッドへ倒れる。K‐404は、既に意識を失っていた。……息はまだ微かにある。そこで漸く、僕はいつの間にか自分が銃を下ろしていたことに気がついた。
(ああ。これが僕の知りたかった答えか)
──本当は、最初からわかっていた。こんな簡単なこと。ただ、その輝きを目にするまで信じることができなかっただけ。だって僕は生まれてから一度も星を見たことがない。酸性の黒い雲に覆われた空に光は見つからない。ならば、星に手を伸ばすなんて空想じみたことをしたことがないのも必定だ。
だが、彼は当然のように虚空へと手を伸ばした。決して届かぬとわかっていながら、輝く明日を夢見ていた。……レプリカントが明日を夢見るなんて芸当、バグだなんて事象では到底説明できない。彼等は新しい「人間」だ。それを僕達旧い「人間」は、許容できなかった。
僕が求めていた、そして──知るべきではなかった答えは、彼にあった。
気を失ったままの彼を抱き起こし、背中に負う。僅かに聞こえる寝息を耳元で感じ取りながら、僕は再び部屋のドアノブへと手をかけた。
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