ダチュラの偶像 - 2/5

 そうして順調に彼女に心酔していった俺は、一年後彼女の教団に入信することになった。と言っても、彼女が説く御仏については詳しいわけじゃない。勿論入信前に詠天流に関する情報はくまなく調べ勉強した。……下心などないのだと己に言い聞かせる為に。だが、教団に入ってみると自分のような輩はごまんといることがわかった。皆、キアラに救いを求めている。まるで御仏ではなく、彼女自身が信仰対象であるかのようにしてキアラにかしずいている。──そんな周囲の教団員を俺は心の内で嘲弄した。

「あなたとこうしてお話するのは、とても楽しいです」

 キアラはそうして俺の手を取ってくれた。あの時俺は彼女と同じ景色を見たのだ。自分の人生の中で最上と言っても過言ではない喜びが、そこにはあった。だから、俺はあなたと共にいたい。あなたは俺を救ってくれた。だから──今度は俺があなたの力になりたいのだ。お前達とは違う。ただあの人の優しさにつけ込みたいだけの、お前達とは。

「実は……新しい医療ソフトの開発を考えていますの」

 キアラがそう口にしたのは、俺が教団に入って一年が経過した頃。彼女が経済界では偏屈で有名だった御仁──ついこの間亡くなった、キアラに出会うことで人が変わったようになり、余生を慈善事業に費やしたという老人だ──を救ったことで更に名を馳せるようになった時だ。

「新しい……五停心観に代わるソフトということですか?」
「いえ、五停心観はこれまで通り用います。これは患者の精神に更に深くダイブする為のソフトです。と言っても、元になるコードキャストは存在します。私が未だ幼い頃、身体の治療の一環として開発した『万色悠滞』──これは今まで一部の方にしか適用できませんでした。ですがやはり、私はすべての人を救いたい。その為に誰彼も関係なく、万人に応用できるよう開発し直したいのです」

 彼女は、俺にそのソフトの共同開発を頼みかけてきた。彼女の教団内にいる霊子ハッカー……特に医療ソフト開発経験のある自分なら、問題なくサポートを頼める。「お願い、できませんでしょうか」そう上目遣いで小首を傾げるキアラに、俺はすぐさま頷いていた。

「もちろん……もちろんです! キアラ様の願いであれば、喜んで。俺ができることなら何でもしましょう」

 ああ──やっとあなたに恩を返せる時が来た。あなたの力になれる時が。再び俺はあなたと同じ視界を得られるのだ。その歓喜に打ち震えながら、俺は彼女の手を取っていた。

「では……ぜひ、あなたにも万色悠滞を体験していただきたく」
「俺が……? よろしいのですか?」
「はい。きっと──あなたのような方には、気に入っていただけると思います」

 握った白い指にわずかに力が籠められるのをどうしようもなく嬉しいと感じてしまう。そのまま、わけもわからず首を縦に振ると、すぐにハッキングが始まった。

「では──十字を逆り、仏性を写しまろびましょう──」

✦ ✦ ✦

 ────それから体験したのは、あまりの甘美。現実世界では絶対に味わうことのできぬ随喜だった。

 俺の中に、キアラがいる。俺の丸裸になった心を、彼女が抱擁している。

『ああ──あなたの心は、こんなにも力強く……そして愛らしい……』

 蜜のような微笑みに文字通り自我が蕩けていく。頭のてっぺんから爪先まで、隅々を余すことなく愛撫されているような感覚に支配される。止めたい、だけど止まらない。恥ずかしい、けれど見てほしい。相反する心がぶつかり合って、やがて快楽ばかり感じる方へと押し流されていく。

『お……俺の全てを……受け容れてくださるのですか……』

 二十数年間生きてきて、こんなにみっともない声を出したのはきっと初めてだった。それ程までに、俺は心を奪われていた。こんなの、どんな電子ドラッグよりも性質が悪い。辛うじて残った理性がそう囁いたが、剥き出しになった本能がすぐにその自我を喰らう。鎖をなくした俺はただ、目の前のキアラに首を差し出すほかない。キアラはただ、嫣然と微笑んでいる。

『もちろん……ですから、あなたも私の全てを──』

 受け容れてくださいまし。そう、言葉にする間もなく俺達はひとつに融け合った。

 気がつくと、俺の目の前にあったのは元の小部屋のベージュの壁。──電脳世界からも既に離脱して、現実世界に引き戻されていたようだ。

「いかがでしたか」

 花の薫りのくゆる声にはたと振り返ると、元の僧衣に身を包んだキアラがうっそりと唇に指を這わせて俺を見つめている。

「……こ、れが……万色悠滞……」
「ええ。電脳世界において魂をさらに霊子化し、相手の中へ潜り込ませるコードキャストです」

 そうして彼女が語ってくれたコードキャストの中身に、俺は驚愕──できなかった。いや、もちろん驚きはした。ソフト開発において、そんな発想も──それを可能にする知識も、俺にはなかったからだ。

「このままだとあなたに適用できる時間は一分が限度。他の方に使用した時もこんなものでした。ですが、これが開発に成功すれば──」

 それに、すぐこのコードキャストが禁忌の外法であることも理解できた。万色悠滞は医療ソフトの領域を逸脱している。これを用いれば、他の電脳体を自在に支配できてしまう。ましてこれが万人に適用できるものとなってしまえば、世界はひっくり返る。西欧財閥にだって目をつけられる可能性がある。それどころかキアラ様をめぐって、国家間の争いすら起こりかねない。
 だが──それ以上に。いや、そんなことがどうでもよくなるくらい、俺はこのコードキャストに夢中になってしまっていた。

「素晴らしい……」

 気がつけば瞳から雫が垂れている。──あの感覚を。キアラ様を抱き、キアラ様に抱かれている感覚をもう一度味わいたい。文字通り俺の全てが肯定されている随喜に包まれたい。これは、万色悠滞は、この世に必要なコードキャストだ。既に俺は魂の底から理解していた。理解、できてしまっていた。

「必ずお役に立つと約束しましょう」
「まあ! なんて頼もしいこと。私も尽力いたしますわ」

 花が綻ぶような彼女の笑顔に徐に指を這わせる。隠された耳たぶを布の上から触ってやると、「ん……」と官能的な囁きが漏れた。

「──だから。俺のものに、なってください」

 そう言ってキアラの柔らかな身体を抱き寄せ口づける。先の万色悠滞の残り香をまとった蜜が俺の唾液と交じり合う。そうして彼女の腕が、俺の背に回った。

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