Ⅱ アッ=サフラー=ル=クブラー - 3/5

 タッシリ=ナジェール──私達が出会った地であるメソポタミア平野から見て西方の山脈へ向かうと決めたのはギルガメッシュだった。ムーンセルの記録によると、白い巨人が力を失い倒れたのは所謂サハラ砂漠と呼ばれるアフリカ大陸北部に拡がる砂漠地帯だ。今回の巨人が再びマテリアルボディを作成する場合、そこを起点とする可能性が高いのだという。
 アフリカ大陸を移動するのにラニ、ひいてはアトラス院のコネクションの数々は非常に役立った。基本的にアトラス院は外部社会との接触を断ち己の研究に専心する組織なので、どうして彼女がそんなコネクションを保持していたのか私は詳しく知らない。けれどラニがあまり訊ねてほしくなさそうな表情をしていたので、黙ってついていくことにした。

 出発から今日で十四日。西欧財閥の目を逃れる為、蚯蚓がのたうち回るようなルートで私達は目的地近隣に辿り着いた。幸運にも大規模な巨大生物との交戦は避けて来られている。だが諸国の路地や都市共通ネットワークはその話題で持ちきりだ。あれはいったい何なのか、新種の病気か、うちの家畜も感染しないだろうかといった不安。それに端を発した西欧財閥への不満。ネットワーク上に書き込まれたそれらは悉く当局によって削除されているものの、このままではいずれ収まりがつかなくなるのは目に見えている。
 今日訪れた街も今までと同じく空気はひりついていた。ラニからの目配せに頷き、私は彼女と連れ立って目立たないよう街路の端を歩く。当局に見つからないようギルガメッシュは霊体化しているが、傍にいるのは何となく感知できる。

「白野さん」
「何?」
「王の予見した通りです」

 ラニはそう呟いた途端、近くの路地へ向かって走り出した。彼女に問う間もなくワンテンポ遅れて後に続くが、人の流れに逆らって動き始めた私達に向かう視線が痛い。

「何かあったの!?」
『やはりな。来たぞ、十四日ぶりの獣退治だ』

 状況が理解できていない私の疑問には、ラニではなくギルガメッシュが姿を見せないまま返答した。……この人、ちょっと面白がってない? そう感じざるを得ない彼の愉快気な声音にむっとしつつ、前をひた走るラニから距離を離されないよう駆ける。途端、その向こうより地鳴りと人々の悲鳴が上がった。
 路地を抜けると、市場があった筈の街路が瞬く間に獣達に蹂躙されていた。轢き潰された果実と一緒に生きているか判別のつかない人間の体が累々と重なっている。無辜の人々が獣に嬲られていることへの憤りと同じくらいに、自分が彼等と同じ末路を辿ることへの恐怖が冷たく全身を支配していく。そのまま反射的に後退りそうになる身体を抑え、私はラニに事前に与えられていた小銃の安全装置を外した。……だめだ、余計なことは考えるな。今立ち止まってしまえばそれこそ全部が終わってしまう。

「白野さん、援護を!」

 そう口にして腕を一振りしたラニの真後ろにシールドが現れる。獣がこれ以上市街に入り込まないための措置だった。「了解!」と私が銃を天に向かって構えると、ラニの手にたちまち方天画戟──ラニが好んで用いる大振りの矛だ──が実体化して、そのまま彼女は獣の群れ目掛けて走り出す。それを見てすぐに私は引き金を引いた。

「届け────!」

 銃口から連続発射された自立誘導型の銃弾がたちまち軌道に乗ってラニを追い越し、獣達を追い回し始める。何発かが命中して動きが鈍くなった獣を一頭、ラニの戟が貫いた。

「!」

 だが、彼女の戟を受けてなお獣の息の根は止まらない。戟を引き剥がそうと獣はのたうち、間もなく彼女の身体はそれに振り回され始める。柄は未だ離していないものの、遠心力に耐えられず彼女の身体が投げ出されるのも時間の問題だ。身に着けた礼装によって一時的な身体強化が施されている筈のラニを凌駕する馬力があの獣にはあるらしい。そう気がついた瞬間、私は前に駆け出していた。私がまともに扱えるのは彼女に託されたこの銃と自律型防御壁を作る使い魔だけ。それでもこのまま何もしないでなんていられない。隙を突けたら彼女を受け止める為の防御壁くらい作れる筈だ。

「離れよ、ラニ」

 ──だけど。私が走り始めて数秒もしない内にギルガメッシュの声が天から響いた。ラニが柄から手を離して宙に身体が浮いた瞬間、暴れていた獣の身体に数々の剣が突き刺さる。慌てて使い魔を放つと、それらはラニの落下地点を中心に防御壁を展開して彼女を受け止めた。ほうと胸を撫で下ろす暇もなく、ラニと私を避けるように武器の雨が獣の群れへ降り注いでいくのを私は唖然と見つめた。

 獣達の前に立ちはだかる黄金の鎧姿のギルガメッシュ。彼は、余裕たっぷりに腕を組んでラニに駆け寄った私へ視線を流した。

「ギルガメッシュ、実体化しちゃいけないんじゃ」
「そうも言ってはおられまい。この状況、我の宝具なくして何とする」

 彼の正論にぐうの音も出ないまま、気を失っているラニを背負う。西欧財閥の目を避ける為、人の往来のある場所では実体化しないようギルガメッシュには再三頼んできた。だけど──正直彼の助力がなければ、ラニはきっと死んでいた。ホムンクルスである彼女の生存能力は非力な人間である私と同等かそれ以下だ。運よく生き延びたとしても、回復には多くの時間を要していただろう。

「そこを動くな! お前達、何をしている!」

 ラニが気を失ったことにより消失した都市防御壁の外から、西欧財閥配下の警察がこちらへ向かってくる。ああ、やっぱりだ。私はギルガメッシュに目配せをする。今ならまだ間に合うぞ、と顎で明後日の方向を指し示す彼に首を振る。私達は既に当局にマークされてしまった。このまま逃げたところで国境のゲートを潜り、タッシリ=ナジェールを目指すのは至難の業だろう。
 ……私にもっと力があればよかった。唇を強く噛むと、乾いた皮膚は容易に切れて血が噴き出した。

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