何とか脱稿し無事イベントが終わって一週間が経った。原稿自体は3月の頭に終わっていたのだが、その後本の中身をwebでも読めるようにページを整える必要があったので何だかんだと時間には追われており……仕事も当然のように毎日無茶ぶりを受け……という調子で、今ようやく一仕事終わったなと言える雰囲気になってきている。
2023年1月に頒布した『置かれた場所では咲きたくない』の続刊が今回の新刊だった。タイトルは『雨が降るから星は見えない』。前回同様に美しいイラストとデザインは山本麻衣子さん、野分まもりさんに依頼したもので、装丁(ベルベットPPのカバーにモノクロの表紙)も1巻の仕様と揃えている。2冊並べてみるとちゃんとシリーズものの雰囲気が出ていてとってもいい感じ。
雨が降りながらも光さす庭、やさしい微笑みを浮かべる表紙の長谷部くんに対し、裏表紙にいる宗三の背中が話の内容の暗さを物語っている。この表紙だけ見てへしさに本だ!と買ってくれた人がもしいたら大変申し訳ございません。詐欺ではないのだが……。わたしにとって長谷部くんへの感情は何よりも勝るものなので、へしさにはどうしても本丸の中心に存在する。でもそれはそれとして、普段自分に寄り添ってくれて居心地がいいのは宗三なわけで。長谷部くんは長谷部くんで外に女作ってるし(語弊のある言い方だが事実である)様々な感情が多方から乱立していて何というか……とにかく読む人を選ぶ話だろうなと思いながら書いていた。
だからいよいよ今回の本は少数のフォロワーに配るだけで終わり、イベントでは1冊も捌けない可能性が高いなと思っていたのだけれども……幸運なことにそれは杞憂で、手に取ってくれる方々はちゃんといた。ありがたい。たとえ1冊も捌けなかろうが、誰からも感想をもらえなかろうが、書き始めた以上この話は満足いく話ができるまで書くつもりだけれども。
でもフォロワーじゃない人からしたらこの話って面白いのかな? わたしが書いているものって長谷部くんが好きな人が読みたい内容ではない(遠野咲はわたし自身だから他者が投影できる存在ではなく、よだかは審神者ではないから審神者としての自我が強い人が読んでも投影できなさそう)と思うし、かと言って長谷部くんに興味のない人が読みたい内容かと言われるとそれもわからない。宗三が好きな人からしたら遠野が宗三を選ばないのはマジで意味わかんないだろうし……やっぱ徒花本丸って徹頭徹尾貴方の為の物語なんだよな。誰かの為の物語ではない。
多分、これが自己投影夢小説を書く/「わたし」の話をするオタクが少ない理由の一つなのかな、とふと今思った。程度の差はあれ日本人って自分の話=他人にとってはどうでもいいことだと刷り込まれている気がする。その刷り込みのせいで書いてるものを面白くないのでは感じてしまい、筆が止まりやすいんじゃないかな?という仮説。
何だかんだとわたしは自分の書く小説を一定レベルで面白いと思っているけど、Fate/EXISTEDを書き始めた最初なんかはそれでも自分の話をするのって精神が試されるな……と感じていた。他人にとってつまらなかったらとか、この話をすることで自分自身までつまらないと思われたらとか、ていうか恥ずかしい(※自分の話をする行為自体を恥じているのではなく、単にわたしが生きていることを恥じているため)とか色々考えてしまっていた。でも23万字弱書いたらわりとどうでもよくなったので、やっぱり書き続けること/完成させることって大事なんだと思う。書きたいと思っている状態と実際書いた状態って、内面の思考回路は変わってなくても絶対変化はあるから。書いたという事実から得られるものはあるから……。
今自分が書くべき話って徒花本丸くらいなんだけど、これ書き終えたら本格的に余生になるのかな? どうなんだろう。小説を書くこと以外自分に示せる祈りってないんだけど、自分こそが書かなければならない話って昔はめちゃくちゃあったはずなのに今は全然ない。それだけ昔の方が外の世界に目を向けて新鮮に怒ってたってことなんだろう(怒りが原動力のオタクのため)。
復職してからかな、怒ると本当に心から疲れてしまって後々抑うつが発生しやすくなる気がして、怒りをセーブするようになっているふしがある。そもそも仕事でめちゃくちゃ客に怒ってるから、プライベートでも怒ってたらわけわかんなくなっちゃうし。社会で生きながら他のことにも目を向けて怒ることができる人はすごい、力があって。わたしは無力だ。こんなに日々いっぱいいっぱいにならず、カードの支払い金額や銀行の口座の残高とにらめっこせずに済む人生になりたいな……。












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