ACT.3/エピゴノスは夢を見ず - 3/9

 それから誰も入ってくる気配のない喫煙ルームの中で、ダンとヘリワードはとりとめのない世間話を続けていた。と言ってもヘリワードがほぼ一方的に話を振り、それにダンが言葉を返すだけのやり取りである。

 傍目からはおしゃべりなヘリワードにダンが迷惑しているように見えるだろう光景だったが、実際ダンは腹の内でこれを好機と考えていた。ヘリワードが信頼に足る人間かどうかはわからない。しかし、ダンはこの業界――所謂「オパールビジネス」については専門外である。その筋の詳しい情報は、たとえリスクを冒してでも得ておくべきだと彼は感じていた。

 オパールビジネスの発端は、つい一年程前に世間を騒がせていた「月の聖杯戦争」の終結まで遡る。詳細は秘匿されているが、その争いの末に聖杯を得た者はおらず、西欧財閥次期当主であったレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイは安否不明。月への回線も全てがシャットアウトされているという。
 再び月にアクセスする手段を一刻も早く開発するために、やむなく西欧財閥は宇宙開発の規制を緩和した。これによりここ何十年も停滞するばかりだった世界は、再び進歩の未来を歩み始めたのだった。
 その足掛かりとして最も注目されているのが、ムーンセルを構成する画期的資源・フォトニック結晶である。オーバーカウント1999以降、大源マナが枯渇した地球においても採掘可能な天然鉱物であるオパールはそのフォトニック結晶の研究・生産のために活用され始めており、物にもよるがダイヤモンドよりも高値で取り引きされている。特にダン達が滞在するこのアフリカ北部の小国――セラサ共和国では、タイミング良く新しいオパール鉱山が発見されたばかりだった。一週間後行われるオークションには各国から買い付けに訪れた商人や投資家達が多数参加する。そのパーティー会場こそが、ホテル・ニュームーンなのだった。

「ほーんと立派なホテルですよねえ。取引先のお偉いさんに口利いてもらってなきゃ、あたしみたいなチンピラ崩れは一生泊まれませんよ」
「先方も既にここに?」
「ええ。……ちょっと大きな声では言えませんがね。このオークションの中でも特に注目株――悪い意味で、ですけど。その内の一人があたしの取引先でね」

 ヘリワードは芝居がかった調子で肩を竦めため息をつくが、その困った眉からは彼の本心が窺える。……それだ。その情報が欲しかったのだ、とダンは少しばかり目を細めて彼に続きを促す。

「……というと?」
「アトラム・ガリアスタ。中東、カマル連邦の資本家……所謂石油王ってやつです」

 彼は言いながら端末を取り出し、検索エンジンにその名を打ち込む。するとすぐに本人――褐色の肌に金色の長髪を垂らした、端正な顔立ちに自信ありげな笑みを浮かべる男性の画像が表示された。

「石油王って言やあ聞こえはいいが、オーバーカウント1999後……あたしは生まれてないんで、それ以前のことは知りませんけど。とにかく石油は時代遅れの資源になりつつある。そんなときに突然注目されるようになった鉱物資源、時代はゴールドラッシュならぬオパールラッシュ! ……どうです、うまい話に聞こえるでしょ? ガリアスタはここで一山当てようって心づもりみたいですね」

 確かにヘリワードの言葉は事実なのだろう。研究自体が発展途上なフォトニック結晶を除けば、現状石油以上に効率のよいエネルギー資源は見つかっていない。石油の価値が下がったわけではないのだ。しかし決定的に資源が枯渇している地球において、いつまでも石油資源にだけしがみついてもいられない。アトラムが新しいビジネスとしてオパールの取引に手を出すのも当然の話といえる。

「確か……彼はよくない噂もあると聞いたが」

 そう言ってヘリワードにちらり視線を遣ると、「おや、ご存知でしたか」と彼は小さくため息をついた。

「ガリアスタがクローン密造の為の人身売買にも手を出してるっていうのは、どうやら本当らしいです。クローン技術の発展は人類の生存に必要だって意見もありますし、まあ、その辺あたしには何の心情も思想もありませんし? 取引先としてお相手させてもらうだけですけど。国際協定に背いた証拠がもし表沙汰にされたら、流石にヤバいでしょうね」

 ヘリワードは軽い口ぶりでそう言い捨てる。だが、彼の瞳が鋭く光ったのをダンは見逃さない。彼が一瞬見せた表情は、取引相手を語るそれとは到底思えない程冷ややかだった。

「……ミスター・グリーン。君は何故、アトラム・ガリアスタと取引を?」

 話を聞きながら抱いた疑問をそのまま彼にぶつけると、ヘリワードは「え?」と気の抜けた声を上げてダンへ視線を投げる。表情の揺れのせいか、三十前後であろう彼がその時だけは少しばかり幼い風貌に見えて、ダンもまた僅かに目を瞠った。

「何故ってそりゃあ……向こうの金払いがダントツでいいからですよ。てか、商売にそれ以外の理由ってあります?」
「いや……わしはこの方商売というものに関わったことがないのでな。その辺りの機微はよくわからんが……君はあまり、金銭自体に興味がなさそうに見える」

 ダンがそう指摘したのは、ヘリワードの有様を疑ったからではない。ただ純粋に、彼と接して受けた印象をそのまま述べただけだ。ヘリワードはダンの言葉に何か感じ入った様子で口を引き結ぶ。それからすぐに声のトーンを落とし、彼は応えた。

「……お察しの通り。あたしは成り行きでこの仕事をやってるだけです。それ以外生きる道を知らなかったもんですから。金は稼げるだけ稼ぎますが、それを使って何かしたいとはとても思えない。……そういう華やかな人生は、あたしには似合わねえ」

 諦めたような、――いや。諦めという言葉で表現するには足りない程厳しく、線を引くように彼は己の言葉を切る。その姿に、ダンは彼の人生の断片を感じ取った。……彼はこれまでどのように生きてきたのか。これからどのように生きるのか。己が目的のために利用する駒としてではなく、彼がヘリワード・グリーンという名を持った一人の人間なのだと、そこで初めてダンは意識した。「年の割に随分と達観したことを言う」そう思わず口走ると、ヘリワードは目を細めて苦笑する。

「いやいや、ただの若造の戯れ言と思って聞き流してもらえれば幸いです。……あ、火を貸して頂いたお礼にもう一つだけ」

 ヘリワードがそう言って煙草のボックスを仕舞うと、タイミングよく彼の端末が軽く振動する。用意周到にもタイマーをかけていたらしい。

「仕事仲間が教えてくれたんですが。このオークション、どうやらあの遠坂リンも参加するらしいですよ」
「トオサカリン……?」

 何やら覚えのある響きだ。そう思い数秒考え込んだ後、そういえばとダンは退役した直後にその名を聞いたことを思い出す。中東レジスタンスの偶像。まだ若年でありながら西欧財閥と真っ向から敵対する、A級ハッカーの少女がいるのだと風の噂で耳にしたことがあった。

「旦那もご存知の通り、このオークションの主催はセラサ共和国。西欧財閥にも中東レジスタンスにも与さない第三世界です。つまりここホテル・ニュームーンはあくまで中立地帯だ。と言っても、参加者の七割は西欧財閥関係者。それだけでも不利な状況だってのに……遠坂リンはあの月の聖杯戦争の、唯一の生存者なんですよ」
「――ハーウェイの次期当主でさえ安否不明だというのにか?」

 一層声のトーンを落とすヘリワードを見上げ、ダンは眉を顰めた。確か聞くところによると、月の聖杯戦争は霊子ハッカーならば腕前に関わらず誰でも参加資格があった。その代わり、参加した人間は最後まで勝ち上がって聖杯を手にしなければ、地上へ帰還することはできずそのまま電脳死ロストする。聖杯を得た者がいないというのなら、その触れ込みと参加者であったという遠坂リンが生還している事実に矛盾が生じてしまう。

「詳細はあたしもよく知りませんが……とにかく、遠坂リンにとってこのホテルはほぼ敵陣です。ハーウェイにとって見れば、彼女が次期当主の仇かも知れませんしね。そんな場所に単身乗り込んでくるなんて、余程の事情か裏の目的があるのかもわからない。……くれぐれも、気をつけてくださいね」

 表情のないままそう忠告した後、ヘリワードはドアに手をかけて喫煙所を退出する。硝子越しに見た彼の横顔はつい先刻初めて彼を見た時の、あの軽薄な仮面に覆われていた。いつの間にか火の消えていた紙巻きを灰皿に押しつけて、ダンは視線を落とし逡巡する。シガレットケースを胸ポケットにしまってドアをスライドさせると、ふとすっきりとした残り香が鼻腔をついた。ヘリワードが最後に吹かした煙が、まだその場に漂っているようだった。

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、3回まで送信できます

送信中です送信しました!