ACT.3/エピゴノスは夢を見ず - 4/9

 ヘリワードとの邂逅後、ダンは夕食を自室ではなくホールで摂ることにした。素性を隠して潜入しているわけではないが、一部の人間には顔が知られている自分が目立つことで目的が果たせなくなるのは困る。そう思い初日は出方を窺っていたが、情報を幾つか得た今は行動すべき時だと判断した。ウェイターに案内されたテーブルにつき、程なくして運ばれた前菜に手をつけながらダンは周囲を見渡す。空いたテーブルは殆ど見当たらない。19時半を回った今が一番利用客が多いのだろう。暫くして、昼間に見た顔――例のアトラム・ガリアスタが、複数の女性を傍らに侍らせながらデザートを口にしているのを視認する。ヘリワードは見当たらないが、食事の時間がずれているのだろうか。

 それとなくアトラムの様子に気を配りつつ食事に耽っていると、ふと視線の端に紅い影がちらついた。顔を上げると、出入り口でウェイターに席を案内されている人影が目に入る。深紅のAラインワンピースを着た金髪碧眼の美少女だ。それが音に聞く遠坂リン本人であると気がついたとき、彼女の足がぴたりと止まる。リンの目の前の道を、食事を終えたらしいアトラムが塞いでいた。

「初めまして。遠坂リンというのは君かい?」
「そうだけど。何かご用かしら、アトラム・ガリアスタ」
「おや、こちらから名乗る必要がないなんて僕もすっかり有名人だな。僕こそ訊きたいんだが――中東レジスタンスの偶像がこんなところに何の用だ?」

 二人の周囲の空間が一瞬で凍りつく。近辺のテーブルの利用客達はその様子を眺めながらひそひそと言葉を交わしているが、皆一様に顔が青ざめていた。ウェイターも互いの顔しか見えていない二人に対し強く出られないまま、所在なさげに棒立ちになっている。

「もちろん、一週間後のオークションに参加するためよ」
「君の資産じゃオパールの欠片を競り落とすので精一杯なんじゃないか?」
「あら。人の心配をする余裕があるだなんて、よっぽどの勝算があるのかしら」
「当然だ。僕は文字通り全力を尽くすつもりだ。君のように、勝てないゲームに挑むほど蛮勇じゃないからね」

 そんな周囲の人間など意にも介さず、彼等の舌戦は続く。アトラムもリンも互いに一歩も引くつもりがない。

「本当は他に目的があるんじゃないのか?」

 アトラムは身を屈めてリンの顔を覗き込んだ。彼の蛇のような眼が、少女を品定めするように蠢いている。

「何ですって?」
「君も等価交換をモットーとする魔術師ウィザードならば考えずにはいられないだろう? こんな敵地に身を投じる程の目的が、君にはある。それが単なるオパール資源獲得の為とは、僕にはどうしても思えない」

 だが、リンも負けていない。彼のさもしい目つきを真っ向から見上げ、不敵な笑みを浮かべながら啖呵を切った。

「そうね。その推測を否定できる論拠を私は持っていない。だけど、あなたには教えてあげないわ。商売敵ですらない人・・・・・・・・・に私のゲームを荒らされるのは困るもの」
「何だって――」
「……あのー、いい加減その辺にしときましょうや」

 ふと、彼等の間に立って互いの肩をぽんと叩く男が一人。……ヘリワードだ。彼の姿をみとめたとき、ダンは一瞬背筋がひりつくような怖じ気を震った。彼が足音も響かせないまま気配を消して、突然その場に現れたからだ。自分を含めその場にいる全員がアトラムとリンに注目していたとはいえ、その隙の無い所作は並大抵の人間が真似できるものではない。しかし、ヘリワード本人が纏っている空気はアトラムとリンのそれに比べて極めて緩く締まりがない。ウェイターや付近の席の利用客が息を吐き出す音が重なる。

「誰? あなた」
「……ヘリワード」
「しがない宝石商、ヘリワード・グリーンと申します。旦那、オークションの前哨戦はその辺にして、そろそろお休みになってください。部屋にここの特産の蜂蜜酒を用意させてますから」
「あのテジとかいうワインか? ……ふん、まあいい。今日のところは戻ろう。せいぜい少ない資産で足掻くがいいさ、遠坂リン」

 ヘリワードの袖の下が気に入ったらしく、アトラムは満更でもない顔でホールの出入り口へと歩き始める。彼の姿が見えなくなったのを確認してから、ヘリワードはリンへ振り返って肩を竦めた。

「すいませんねえ。金払いは良いんだが、どうも敵を作りやすいお人柄なもんだから」
「あなた、アイツの取引先? 勘弁してよね。今日の私はただホテルのディナーを楽しみに来ただけなのに」

 そう言ってリンが身を翻した瞬間、ヘリワードの視線が十数メートル先のダンを捉えた。あ、とダンが口を開く間もなく、彼はひらひらと手を振る。

「ブラックモアの旦那!」

 ヘリワードの声を肩越しに耳にして、リンはすぐに足を止めた。……これは、十中八九よくないタイミングだ。一縷の可能性に希望をかける間もなくヘリワードはダンの座っているテーブルへと向かい、リンもまたその後ろを窺うようについてきている。軽いため息をついた後、ダンはヘリワードの方へ向き直った。

「ミスター・グリーン。今来たところかね」
「ええ、遅い時間の方がゆっくり飯が食えるかと。……おや?」

 己の背後でリンが腕を組み憮然と立っていることに気がつき、ヘリワードは首を傾げた。ダンは間の悪さを感じながらも、座ったままリンを見上げる。

「まさか、あなたがダン・ブラックモア?」
「正しく。君が遠坂リンか」

 リンはウェーブのかかった金髪をかき上げながら「その通りですけど」と眉を顰める。想定外のことが起こっていると誰かに文句を言いたくて仕様がない顔だが、彼女の瞳からは一分たりとも輝きが失われていない。

「え、旦那は遠坂リンと面識が?」

 状況が把握できないといった様子で困惑しているヘリワードに首を振る間もなく、リンが「あなた知らないの?」とヘリワードを問い糾す。

「知らないって、そりゃあ知りませんよ。旦那ともあんたとも今日が初対面なんだから」
「はあ、そう。この男性……ダン・ブラックモアはイングランド王国の騎士よ。軍属にも関わらず女王からサーの勲章も与えられた、女王陛下の懐刀とも称される狙撃手」
「へっ……? 旦那……確かに軍人さんっぽいなとは思ってましたが。そんなご立派な方だったんですか」

 はあ、と瞬きを繰り返すヘリワードに「よしてくれ」とダンは首を振った。リンの言葉は概ね事実ではあったが、彼女の表現はどうも誇大に過ぎる。軍人であった頃、ダンが騎士として戦ったことなど一度もなかったのだから。

「このオークションの開催には女王の思惑も絡んでるってこと? まあ、どうせ聞いても答えてくれないでしょうけど。……はあ。まったく面倒なところに来ちゃったわね」

 それだけ言い捨てて再び席に戻ろうとするリンに、静かにダンは語りかける。

「確かにわしはかつて女王に忠誠を誓った身だ。その信念は今でも変わらない。だがわしは既に年老い引退している。ここに来たのはイングランドの為ではない。……ただ、自分自身の為に人を探しているだけだ」

 ダンの言葉を聞き終わった後、リンはちらりと視線だけを彼の方に遣って「……そう」と呟く。そのままコツコツとヒールを鳴らしながら、彼女は遠巻きに見ていたウェイターの下へ戻っていく。今度こそ彼女は一人静かに夕食を摂るつもりらしい。ふと気がつくと、腕時計の針は20時過ぎを示していた。

「……ミスター・グリーン。君もそろそろ夕食を摂らなければ」
「おおっと、そうだった。このままじゃせっかくの牛ヒレ肉を食い逃しちまう」

 自分の傍で少しぼんやりとしていたヘリワードに声をかけると、彼は我に返ってネクタイの結び目を締め直す。

「そんじゃ、また。良い夜をお過ごしください」

 再びひらりと手を振って、彼はウェイターのいる方へと歩いていった。自分のテーブルへと案内してもらうつもりなのだろう。そこから視線を外し椅子に腰掛け直すと、タイミングを見計らったかのように給仕がデザートを配膳していく。

 血のように真っ赤なベリーソースが添えられた、レアチーズケーキを見下ろす。銀色のフォークに手を伸ばすと、思った通りに握り込めなかったらしく、フォークが卓の上を転がった。床に落ちる前に咄嗟に持ち直すと、柄が天井のシャンデリアの光に反射してきらりとダンの目を灼いた。――その一瞬。フラッシュバックしかける夢に、眩暈を起こす。

 掌にじわりと汗が滲んでいることに気がついた時、フォークの先に己の顔が映っているのが見えた。灰がかった白髪に覆われた自分の表情は、「あの日」以前よりも随分と老け込んでいるような気がした。

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